原子力災害による屋内退避区域下での「自主退避指示」
―“患者”か“家族”かという究極の選択
福島第一原発事故の教訓を今後に生かすために
―浜岡原子力発電所周辺施設の看護師等のアンケート結果を踏まえて
南相馬市立総合病院(以下、当院)は、福島県浜通りに位置する災害拠点病院です。東日本大震災で、南相馬市は福島県で最も多い1,000人以上の死者・行方不明者を出しています。当院は海岸線より約3km地点に位置し、約23km南方に福島第一原子力発電所があります。震災当時、病床数230床、常勤医師14人、看護師約150人で、南相馬市近隣において最も大規模な総合病院でした。
2011年3月11日、当地域では震度6弱の地震と10m以上の津波により多くの被災者が発生し、当院は震災直後約12時間で重症患者20数名を含む、約100人の患者を受け入れました。翌12日に福島第一原子力発電所1号機の水素爆発が起こり、さらに、14日の3号機の水素爆発により、周辺地域の空間放射線量が上昇し、福島第一原発から20km圏内に屋内退避指示が出されました。
当院は病院のもつ機能以上の患者を受け入れざるを得ない状況に陥りましたが、通信が遮断したため、近隣の医療機関、行政と情報交換ができませんでした。やがて当院も原発から20〜30km圏内に出された「屋内退避区域」に入ったため、本邦で初めて制限区域での救急医療を経験しました。