コラム「海外でくらす、はたらく。」(157号)

 

 

「インターナショナル ナーシング レビュー」の連載コラム「海外でくらす、はたらく。」(最新刊:157号)のWeb版です。国内外で活躍する7人の“異邦人”看護師が、日々の暮らしと仕事について語ります。(バックナンバー:155号

〈※2013.1.18更新:執筆者のご厚意により、誌面掲載分のコラムも公開いたします。〉

 

 

 

◯「韓国で看護師をしよう」 吉野 淑代さん(韓国・ソウル)

私の夫は韓国人です。夫は私が看護師になることに大反対でした。あまりに強く抵抗するので、勉強していた試験用の問題集を全部捨てて諦めた時もありました…… 読む

 

 

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「韓国で看護師をしよう」

文と写真:吉野淑代
 

ソウルの中心部、鐘路にある公園。独立運動の発祥の地。1919年3月1日に4000~5000人の学生が集まり、次第に全国に広がっていったのですが、その時、独立万歳を叫びながら、この無数の大極旗(韓国の国旗)が振られたのでした。


 
韓国に住み始めてから16年が経ちました。来てすぐの頃は「こんな国にはとても住めない」と、よく泣いて日本に帰ることばかり考えていました。でも今は日本に帰ると逆に外国に来たような感じがするくらい、韓国に慣れてしまったかもしれません。
 
長くこちらで暮らす中で、今後はもう看護師として仕事をすることはないだろうと思っていましたが、2000年を過ぎた頃、「韓国で看護師をしよう」と、心の中で何かが甦って再び看護師になりました。韓国に来た当初、そんなことは夢にも思いませんでしたが……。
 

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「ああ、オランダ語。」

文と写真:坪田トーレナース育子
 
 

その昔、ニューヨークがニューアムステルダムと呼ばれていた頃。もしオランダ人が、あの土地をアメリカ人に二束三文で売らなければ、英語の代わりにオランダ語が世界の共通語になっていたかもしれないのに。せめて鎖国を解いた時代に入り込んできたオランダの文化が日本の生活に残ってくれていたら、私はオランダ語習得にこんなに苦労することなかったかもしれない……。
 
そんな例え話を勝手につくって嘆いていた来蘭当時。オランダ人の夫に出会うまではオランダ語の存在さえ知らなかった私が、気がつけばオランダにいて、オランダ語によるオランダ語の授業を受けているのですから、人生とはわからないものです。 

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暮らすことの苦労、働くことの苦労

文と写真:森 淑江

 

ネパールで初の看護師国家試験実施(JICAネパール事務所、新関調整員撮影)

このコラムのタイトルは「海外でくらす、はたらく」ですが、現在の私の本拠地は日本にあります。長期間海外で「くらす」生活はなくなりましたし「はたらく」ことも出張程度ですが、昨年は9回海外に出て合計すると3カ月間、1年の4分の1は日本の外で暮らしていたことになります!
 
過去には長い時では4カ月間、日本を留守にしていたことが2回ありましたが、さすがにその時は大丈夫か?と内心思いつつ「(大学がどこまで許してくれるか)限界に挑戦」と、周囲には笑い飛ばす振りをしていました。思うに、十分に成果を上げて「はたらく」ためには、どこでどのように「くらす」かが大事です。

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本人の責任に基づく医療のかたち

文と写真:木下澄代
 

病室に備えられているロッカーには100℃の高温で選択できる衣類やタオルが常備されている。

 

デンマークでは入院に必要なものは保険証(イエローカード)と歯ブラシだけ。というのも入院に必要な費用も必要品も現段階では予定入院、緊急入院にかかわらず公が負担するからです。入院中には食事・ケア・検査・診断・治療・費用はもちろん、薬代も本人負担はゼロ。タオルや下着なども、高温で洗濯できる木綿のものが病院に用意されています。

 

もっとも、病院に入院中は、末期の患者など症状が悪いためにベットから動けない患者や、手術直後で麻酔からすっかり覚めていない患者などを除き、昼間は自分の服に着替えるので、病院に用意されている衣料品を使用することはありません。オムツなども必要品なので無料で提供を受けることができます。
 
福祉機器も、入院中はもちろん退院後でも短期間なら病院が、長期に必要であれば患者が住むkommune(日常生活に一番近い自治体の単位)が貸し出してくれます。そのための自治体間の連絡・支援ネットワークが機能しているのです。

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