訪問看護制度のなかった時代から地域で実践を重ね、制度創設後は日本看護協会常任理事を務めるなど、ステーションの設立拡大、訪問看護の普及、訪問看護師の養成等にかかわってきた山崎摩耶さんに、制度創設からの30年を概観いただきます。
「老人訪問看護ステーション」の誕生から30年
制度前夜のバトルロイヤルから訪問看護普及と“業界”確立まで
山崎 摩耶
やまざき まや
前衆議院議員/元日本看護協会 常任理事
筆者略歴
元日本看護協会常任理事、元日本訪問看護振興財団、元全国訪問看護事業協会常任理事。旭川医科大学客員教授、岩手県立大学看護学部教授、旭川大学特任教授を歴任。2009年衆議院総選挙に北海道比例で初当選。衆議院議員2期を務める。主に厚生労働委員会等で活躍。近著は『世界はチャレンジにあふれている 高齢者ケアをめぐるヨーロッパ&中国紀行』を日本医療企画から出版。その他、著書・論文多数。http://maya-net.jp/
私たちの前に道はなかった——。1970年代から20年間、地域という荒野で実践しながらその必要性を言い続けたパイオニアたちの歩みで踏みしめられた道ができ、1991年に訪問看護ステーションは制度化されました。「ようやく、これで欧米に肩を並べられる」と、深い感動が込み上げました。
それから30年、地域包括ケアシステムの中核になった訪問看護は、市民の選択に不可欠な社会共通資本(サービス)となりました。本稿では、制度創設から訪問看護の普及と進化発展までを秘話を交えて紹介します。
老人訪問看護ステーション制度創設
筆者の古い資料のファイルに黄ばんだ「週刊保健衛生ニュース」(社会保険実務研究所)があります。1992年4月20日第634号から3号にわたって連載された「老人訪問看護ステーション制度発足に当たって」と題した座談会の収録記事です。座談会はまさに、ステーションのスタート前夜、1992年3月19日に開催。審議会で人員基準や設備基準、運営基準等が決まって料金設定もなされたばかりで、指定事業者の申請を待つ状況でした。出席者は厚生省(当時)の担当課長、日本医師会の担当常任理事、日本看護協会の担当常任理事、訪問看護実践者、筆者(当時短大教員)で、ステーション稼働前夜の状況を忌憚なく語っています。
座談会では「初めての制度だから、もっと条件や縛りが少ないほうがよい」「看護職として事業を新たに拓く取り組みが鍵になるが、大きなチャンス」などの発言があり、筆者は「わが国で訪問看護がようやく社会に認知され、エポックメイキングだと評価する。地域特性に見合ったどんな姿で運営するのか、訪問介護や訪問診療、歯科領域、在宅介護支援センターとの連携が課題」「問題はマンパワーの確保、管理者のマネジメント業務などの教育」「自治体によるバックアップを期待」と述べています。