文と写真・山中 郁
(INR日本版 2012年夏号, p.104に掲載)
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山間で津波の難を逃れた普門寺を訪れると、県の天然記念物の百日紅が悠然と出迎えてくれました。
2012年3月11日。世界を震撼させた東日本を襲った大震災から、ちょうど1年が経ちました。私はこの日、宮城県気仙沼市総合体育館(通称“ケーウェーブ”)の合同慰霊祭に参加するため、気仙沼市にいました。
慰霊祭の代表者の方々の中に、震災当時高校2年生だった被災者の女性がいました。彼女は津波で7人の家族を失ったと話し、その一人ひとりに心のこもったお別れの言葉を読み上げたのですが、おじいさん、おばあさんに続いて、それぞれ中学生、小学生、就学前だった幼い妹たち、そしてお父さんへの手紙と続きました。
メッセージを聞きながら、家族7人の最後の一人が、そうであってほしくないと思いましたが、やはりお母さんへの言葉だとわかった時は、言葉がありませんでした。大家族でにぎやかな毎日を過ごしていたであろう普通の17歳の少女が、一晩で最も近い家族を全て失ってしまったのです。
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