「ものづくりから、 ひとづくりへ」

文と写真:錢 淑君

(INR日本版 2012年夏号, p.105に掲載)

 

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左から2人目が松元先生で、その右が金田先生。

海外へ留学したいと、高2の時から夢を見ていたのですが、実際に東京にきて日本語学校に入ったのは1983年の4月でした。

 

1983〜1984年は中曽根首相の時代であり、対外貿易は大黒字で経済成長が進んでいたおかげで、アルバイトが見つかりやすく、奨学金の申請も現在より厳しい状況ではありませんでした。母親が国立がんセンター(当時)にお世話になったことがあり、日本で看護を勉強するとよいとの勧めもあったので、1年後、千葉大学の看護学部へ進むことに決めました。

 

今でもはっきり覚えているは、入学の面接担当教授が見藤隆子学部長、解剖生理学の石川稔生教授、そして小児看護学の吉武香代子教授でした。入試を受けるまで1年間ぐらいしか日本語を学習していなかったので、質問がうまく理解できていない私の表情を見て、アメリカ留学経験のある吉武教授がわかりやすい日本語でもう一度聞いてくださいました。

 

当時の千葉大学には現在の国際教育センターという組織がありませんでしたが、学生課の中に留学生担当の係があり、外国人のための日本語や日本事情を教える授業もありました。担当していた先生方は留学生の顧問にもなっていて、日本人学生と別の留学生寮もその時からありました。

 

千葉大学の留学生顧問の先生方、日本語学校の先生もそうですが、単に学業を教えるだけではなく、生活一般の世話についても本当によくしてくださいました。例えば大学の受験に向けて、お正月に帰国できない私たちを大晦日に家へ呼び、食事をご馳走してくれ、翌朝に初詣に連れて行ってくださったりもしました。

 

現在、千葉大学国際教育センター教授の金田章宏先生も、寮に近い浅間神社への夜中の初詣や、夏の稲毛海岸で開催される花火大会に連れて行ってくれました。亡くなった松元泰忠教授もよく寮を訪れ、生活に困ったことがあるかどうか話を聞いてくれました。日本に来て、学校の先生が生活の世話までこんなにしてくれたことに、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。

 

「Become a person to become a doctor before」という名言を借用すれば、日本で勉学に励み、専門職になる前に人になろう、というように先生方が育ててくださったのだと思います。

 

 

小さい頃、台湾のいくつかの港の近くに、「加工区」という輸出品を生産するための特別な工場地域がありました。現在それらは「科学園区」という名称に変わっていますが、当時の「加工区」には多くの日本企業、特に電子部品を製造する会社の工場が数多くありました。日本の電気製品はとても人気が高く、台湾では日本に旅行した際に家電製品を買って帰るのがブームでした。
日本はものづくりが得意な国だというイメージが強かったのですが、近年の動きとして、日本のASEAN(東南アジア諸国連合)域内における人材育成の取り組みが顕著です。昨年度の閣僚会議で決定された「新生長戦略」では、ASEAN諸国などとの大学間交流形成支援事業が挙げられています。

 

日本はかつてのものづくりの時代から、この人材育成に力を注ぐ段階に進んでいることを感じています。戦後しばらくアメリカの軍事支援を受けていた政治的な背景で、台湾では大卒後にアメリカ留学する風潮が盛んです。数年前には欧米の名門大学が台湾に支部を設置し、現地で学生を募集することが話題になっていました。

 

一昨年にシドニーで行われた学会の参加でわかったのは、オーストラリアの大学も近年積極的にマレーシア、インドネシアなどに分校を設立し始めていることです。つまり、高等教育が一つの産業として取り扱われ始めているのです。

 

激しいグローバル競争の中で他国に打ち勝つには、これまで日本を経済大国にしてきた意識が、新しい思考にバイアスを与えてしまっていないか振り返る必要はないでしょうか。つまり、日本の専門性の匠をアピールすると同時に、その学習プロセスを通して「人間として育ててくれた」ありがたさを、留学生が身を持って理解できるような教育課程の構成が必要だと、私は考えます。

 

ものづくりの時代における製品の品質管理は、すでに国際的なスタンダードが確立しています。一方、人としてのこころを育てるプロセスは目に見えないものであるため、評価が難しいですが、その反面、大きな潜在性があると思っています。

 


ちぇん・しゅちゅん

台湾出身。千葉大学准教授。1984年に同大学看護学部に入学、90年より国立成功大学講師、2004年博士号取得後、2004~2012年3月まで、宮崎県立看護大学准教授。現在、千葉大学看護学部准教授。



コラム「海外でくらす、はたらく。」(INR 157号)

“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介