SPECIAL BOOK GUIDE コロナ禍に蘇るナイチンゲール病院 『病院覚え書き』の現代性を考える

2020年4月、新型コロナウイルス感染症の流行を受け、
イギリスの国民保健サービス(NHS)は重症患者のための
仮設の収容施設を設置し、「NHSナイチンゲール病院」と
名づけました。ナイチンゲールは著書『病院覚え書き』で、
患者にとって望ましい機能的な病院建築形態
について、「感染防止」「療養環境の向上」
「容易な看護観察」を主眼に置き提案しています。
19世記後半に流行した「ナイチンゲール病院」は、
なぜ160年後のコロナ禍で再注目されたのでしょうか。

 

 

■「病院が備えるべき眞に第一の必要条件は、病院は病人に害を与えないこと」

 

「病院が備えるべき眞に第一の必要条件は、病院は病人に害を与えないことである、と宣言すると、おそらく奇妙な原則だと思われるだろう。」──『病院覚え書き』の冒頭に出てくる有名な言葉です。病院に入院している患者の死亡率が、病院以外で療養している同種の病気の人の死亡率よりもはるかに高いことを知ったナイチンゲールは、病院の建築様式や環境が患者の入院期間や死亡率に影響を及ぼすと考え、詳細な調査を行いました。そしてそこから得られた膨大なデータから、病院敷地、隣棟間隔、棟の向き、病床数、ベッド間隔、窓の寸法、換気の方法、給水・排水方式といったハード面だけでなく、家具や壁、床、食器の素材や色に至るまで詳細に記述し、患者にとって望ましい機能的な病院建築とはどのようなものかを提示しました。ナイチンゲールが提唱した病院建築形態は「ナイチンゲール病院(病棟)」と称され、19世紀後半〜20世紀前半にかけてヨーロッパをはじめ世界各地で病院建築のモデルとなったのです。

 

ナイチンゲール病院は「感染防止」「療養環境の向上」「容易な看護観察」を主眼に、長方形の大空間の中に、片側に半数ずつベッドを振り分けて配置し、中央にナースステーションなどを設けた大部屋が基本です。ナイチンゲール病院の典型といわれるセント・トーマス病院の病室配置図を図1に示します。

 

  図1 セント・トーマス病院の病室配置図

病棟からの入口は中央廊下からの1カ所で、大部屋につながる廊下の両側に師長室、リネン庫等と個室があり、階段室とエレベーターに接している。大部屋病室は片側に15床、計30床が壁に直角に配置され、一番奥の1床ずつを除いて各病床間に縦長の窓が切ってある。

 

 

 

一世を風靡したナイチンゲール病院でしたが、20世紀後半になると建物の老朽化に加えて、プライバシーの欠如が敬遠されるようになり、次第に消滅していきました。「ナイチンゲール病院は古い。現代にそぐわない」と忘れられていったのです。

 

■コロナ禍に登場した「NHSナイチンゲール病院」

 

2019年に発生した新型コロナウイルス感染症は瞬く間に世界中に広がり、パンデミックを引き起こしました。各国が急激な感染者の増加と重症化に直面し、医療体制の維持に懸命になっている中、イギリスはいち早く2020年4月、国民保健サービス(NHS)が運営する、治療とケアが必要な重症患者のための仮設収容施設「NHSナイチンゲール病院ロンドン」を建設しました。

 

NHSナイチンゲール病院ロンドンはイーストロンドンの既存施設エクセル・ロンドン・コンベンションセンターを改装したもので、建設には700人の軍人が参加し、わずか9日間で完成となりました。当初の患者収容数は500床で、感染拡大に応じて4000〜5000床まで増床できる当時世界最大規模の重症患者収容施設でした。その後もイギリス政府とNHSは、バーミンガム、マンチェスター、ブリストル、ヨークシャー・ハロゲート、エクスターなど各地に次々とNHSナイチンゲール病院を開設していきました。

 

「NHSナイチンゲール病院」という名称は、もちろん母国の英雄フローレンス・ナイチンゲールにちなんだもの。もともと国際会議場である大空間にベッドが縦一列に整然と並ぶさまは、かつてのナイチンゲール病院を彷彿とさせます(写真1・2)。

 

写真1 セント・トーマス病院のナイチンゲール病棟

 

(Image courtesy of Wellcome Images / CC-BY-4.0)

 

 

写真2 NHSナイチンゲール病院ノースウエスト

(Image courtesy of Stephen Richards / G-Mex Centre, Windmill Street, Manchester / CC-BY-SA 2.0)

3番目のNHSナイチンゲール病院として、2020年4月13日、マンチェスター中央コンベンションセンターに設立された。内部の様子はウェブ検索「nhs nightingale inside」で閲覧できる。

 

 

 

実際は、イギリスでは新型コロナウイルスの重症治療のほとんどは既存の病院で対応することができたため、これらのNHSナイチンゲール病院がフル稼働することはなかったそうです。そのことを批判する声も一部あるようですが、結果的に稼働率が低かったことは幸いですし、医療体制を崩壊させないようにパンデミック初期に即時行動したイギリス政府とNHSの危機管理能力の高さは、さすがナイチンゲールを輩出した国といえるのではないでしょうか。

ナイチンゲールが提唱した「ナイチンゲール病院」は、一度は時代遅れとなったものの、新興感染症の流行に伴い復活を果たしました。感染伝播防止に効果的な十分な気積(室内の空気の総量)を有し、野戦病院としての即時性を備えたナイチンゲール病院。『病院覚え書き』の完全版といわれる第3版の出版(1863)から160年後に再び注目が集まるなんて、ナイチンゲール本人が一番驚いているかもしれません。

 

 

[参考]WEBサイト「教養と看護」

長澤 泰「建築家が読む『病院覚え書』」

https://jnapcdc.com/LA/nagasawa/

 

 

 

 

『病院覚え書き 第3版』

 

フロレンス・ナイティンゲール 著

小玉香津子 訳

 

A5判208ページ

定価3,190円

(本体2,900円+税10%)

ISBN 978-4-8180-2416-8

日本看護協会出版会

(TEL:0436-23-3271)

 

クリミアの戦地でイギリス軍病院の恐るべき実態を目のあたりにした経験から、「病院とはどうあるべきか」「いかに管理されるべきか」を示した、『看護覚え書き』と並ぶナイティンゲールの代表的著作、本邦初の完全翻訳版。

 

 

看護2022年8月号より

 

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