文と写真:杉江 美子
(INR日本版 2012年秋号, p.108に掲載)
「星の数ほど」という表現がありますが、それが大げさでないほどのNPO・団体・個人が、東北の被災地で支援活動をしています。その活動の多様性と柔軟性も特筆すべきことです。この素晴らしい現象に感激し、膨大なボランティアの延べ人数をギネスブックに登録申請して、被災地支援状況を世界に知らせるべきだと考えるのは、私が半分異邦人だからでしょうか?
カナダの友人は、被災地がその後どうなっているのか全く知りません。興味があっても海外には被災地復興状況のニュースが届かないのです。日本では「無言実行」が美徳とされますが、少なくとも北米では通用しません。「無言」は「無知」や「不実行」とみなされます。「有言実行」が最も尊ばれ、不実行でも「無言」より「有言」が好まれます。
日本国内のことですから、被災地支援活動・自助努力を海外に自慢する必要はないかもしれませんが、震災直後に世界中から受けた援助と励ましに対する返礼として、この素晴らしい支援活動のニュースを海外へ発信していくべきではないでしょうか。私のような者が微力ながら貢献するべき分野ではないかと内省しています。
宮城県看護協会が石巻市から委託された、仮設入居者の健康支援事業に就いて間もなく2カ月。石巻市内の復興ぶりは驚嘆に値します。私が非当事者だから言えるのかもしれませんが、沿岸部(冠水地域、瓦礫の山、自動車の墓場)を除けば、震災の爪痕は全くと言っていいほど残っていません。しかし、これは目に見える復興であり、目に見えない部分はどうなっているのでしょうか。
津波をかぶった石巻市街地では蝉が鳴いていないと、職場の上司が指摘しました。地中の幼虫が海水の塩分で全滅したのでしょうか。昨年と今年の夏、飛来した成虫が産卵したとしても、幼虫が羽化する数年先まで、蝉の鳴き声を聞くことは少ないままかもしれません。
震災自体とその後の生活環境、将来の不透明さが被災者の健康に与える影響が多大であることは周知の事実です。過去の震災と復興から学んだ知識・経験を生かし、さまざまな健康支援事業が行われています。それらが功を奏しているとはいえ、「少ない蝉の鳴き声」のように、被災者が受けた健康被害は静かで根深い問題であるように思われます。元々あった生活習慣病の悪化、生活不活発病、独居老人の孤立化、PTSD、うつなど、一朝一夕では解決できない課題が瓦礫のように山積みです。
先日のニュースで、宮城県では児童虐待数が増えたと伝えられていました。被災者の産後うつ病が増えたというニュースも聞きました。仮設入居者に不眠の訴えが多いのも事実です。いつまで仮設で暮らすのか、以前住んでいた所に戻れるのか、元の仕事に就けるのか、浜に戻れるのか、まだ元気で働ける間に漁港は復元するのか、無職で貯蓄もない状態でどうやって家を建て直すのか、いつまた地震・津波がやってくるか……。
「あの時、死んでしまったほうがよかったのかなと思う」。この2カ月間に健康相談会や家庭訪問で一度ならず聞いた言葉です。先行きの見えないことがどれほどつらいかは、この言葉に明らかです。心に与えるその影響に、どう対処していけばいいのでしょう。
「1、2年後のことも何もわがんねぇんだ。んだげども、おら、花が好きだがら仮設の裏で花の世話してんだ。あぁ、きれいな花咲いだなぁって見でだら、幸せだなぁって思ったんだ。そしたら、こんなことに幸せ見つけで生きでったらいいのかなぁって思ったんだ。そんなんでいいんだべなぁ」。死んだほうが……と口にしていた人が1カ月後に語ったこの言葉に、私は救われました。
「地域おこし」や「絆の強化」は、健康増進や地域保健の向上に欠くことのできない重大要素であり、私の最も大きな関心事です。しかし言葉の美しい響きとは裏腹に、それはとても一筋縄ではいかない泥臭く地道な活動であることも再認識しました。
広範囲で複雑な人間関係が基盤のため、たとえモデル地域で成功してもプログラム化するのは難しい。それぞれの地域で、多様で柔軟な活動を息長く続けていかなければならないでしょう。仮設団地の集会所で行う健康相談会を通じて、どのように「絆」を強化し、どのように「地域おこし」につなげていくか、現在模索中です。
すぎえ・よしこ
大阪府出身。1984年より青年海外協力隊の保健師としてマレーシアへ、1989年からはJVC/SHAREの看護師として、カンボジアで国際援助に携わる。1996年よりトロント市在住。
“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介