関係が何度も揺らぐ利用者とのかかわりの中で、看護師自身の利用者への見方や支援のあり方が少しずつ変わっていく経験を通して、訪問看護だからこそ担える役割について考えます。
平野 智子 ひらの さとこ
訪問看護ステーションコスモス 所長
「問題のある人」という見方を超えて「つながりを求め続ける人」として支えることに気づく
孤立を深めながらも、つながりを求める
1. 繰り返されてきた関係の断絶
Aさんは30歳代女性で、統合失調症の診断を受けています。過去に他の訪問看護ステーションを数回利用した後に当ステーションがかかわっていましたが、看護師が被害妄想の対象となって何度も担当変更となり、転居を機に訪問看護は終了していました。その後、精神症状の再燃による措置入院を経て、本人の希望により再び訪問看護を開始することになりました。
今回は、措置入院後としては2回目の依頼でした。入院により地域とのつながりが途切れた後、再び訪問看護へ連絡をしてくることが繰り返される中で、訪問看護がAさんにとって「戻ることのできる関係」の一つになっていたようにも感じられました。
Aさんはこれまで、就労や対人関係の構築に何度も挑戦し、その過程で傷つき、関係が破綻する経験を重ねてきました。そのたびに飲酒量は増加し、生活が乱れる傾向が見られ、状態が悪化すると被害的な言動が顕著となり、入院に至ることもありました。
2. 家族との関係の中で深まった孤立
介入当初、Aさんは結婚していました。ある理由で他県と東京を往復する生活を続ける中で、飼育していた文鳥が預け先の動物に襲われて死んでしまったことを契機に、精神状態が不安定となり措置入院となった経過がありました。退院時には当ステーションでの訪問看護再開を希望していましたが、当時は夫の元へ戻ることとなり、再び私たちがかかわることにはなりませんでした。
しかしその後、Aさんは離婚して再び東京へ戻りましたが、近隣住民とのトラブルから警察介入となり、再度措置入院となりました。また、母親との関係も徐々に疎遠となっていきました。再び結婚することを考えて、先に婚姻届のサインをもらおうと思い母親に送ったそうですが、書類には何も記入されず「母親卒業」と書かれた返事が届いていました。それを看護師に見せながら「母親にも捨てられました」と話すこともありました。こうした経過の中で、家族との関係においても孤立を深めていったように思われました。
3. それでも人とのつながりを求め続ける姿
訪問時にAさんは、1週間の出来事や思いを途切れることなく語りました。あるときには「結局、家族にも見放されて、友だちもいない。すぐ出禁になるし、何のために生きているのかわからな
い」と話すこともありました。
一方で、「また結婚したい」「仕事をして社会参加したい」とも言っていました。ある落語家の追っかけをしていて遠方まで足を運んだり、オープンチャットやマッチングアプリを通して人とのつながりを求めたりする姿も見られました。
また、あるときには金沢方面へ一人旅をし、「鴨居玲展を見に行ってきた」と、写真集を見せながら語ることもありました。「この芸術家は自分と同じ病気だったのではないか」「今の世の中に“病気にさせられている”だけかもしれない」など、自身の苦しさを芸術や社会のありようから理解しようとしている様子も見られました。
会話を重ねる中で、18歳のときに統合失調症と診断された後、大学院では民俗学と病気の関連について研究していた時期があったことも知りました。しかし、その探求は次第に本人自身の負担となっていったようでした。
あるときAさんは、「自分がいろいろ考えていたことが、もしかしたら妄想だったのかもと気づいてしまって……。そうしたら、自分が空っぽな気がして情けなくなった」と話しました。私はその言葉を聞いたとき、症状が落ち着くことは必ずしも安心だけをもたらすわけではなく、自分を支えていた世界が揺らぐ苦しさを伴う場合もあるのだと感じました。
4. 訪問看護が「語れる場」になっていた
一方で、支援者に対する不信感や被害的な受け止めが強まる時期もありました。訪問時に「訪問看護師自体も悪影響ですよね」と言われたときには、刺激量を減らすため短時間での訪問終了を提案したこともありました。しかし一方で、「今は話したいです」と訴え、会話を続けることを希望することもありました。
そして帰り際には、「少し気持ちが楽になりました」と言われることが何度もありました。私はその言葉を聞きながら、Aさんにとっては訪問看護が自分の苦しさや生きづらさを否定されずに語れる場になっているのではないか、と感じるようになりました。
→続きは本誌で(コミュニティケア2026年夏号)







