SPECIAL BOOK GUIDE ナイチンゲールの宗派は何? 19世紀イギリスの宗教事情

フローレンス・ナイチンゲールの生きた19世紀イギリスは、
イングランド国教会だけでなく、カトリックやプロテスタント
などさまざまな宗派が入り乱れた時代で、
それぞれの宗派が対立していました。
ナイチンゲールが一躍注目されることになった
クリミア戦争においても、
彼女が何よりも悩まされることになった問題は、
派遣看護師間の宗教的な派閥争いでした。
ここでは当時の宗教事情と、ナイチンゲール自身の宗教的背景
および信仰的立場について紹介します。

 

 

▶ ナイチンゲール家の宗教的背景

 

フローレンス・ナイチンゲールの父、ウィリアム・ナイチンゲールは熱心な「ユニテリアン」信者でした。ウィリアムの母(フローレンスの祖母)のメアリーはイングランド国教会の信者でしたが、そのメアリーを除いてウィリアムの家系は代々ユニテリアンだったのです。

 

ユニテリアンはプロテスタントの一派ですが、他の宗派と異なり、三位一体(父[神]・子[キリスト]・聖霊の三位は、唯一の神が3つの姿となって現れたもので、元来は一体であるとする教理)とキリストの神性を認めず、唯一絶対なる神のみを信仰の対象としています。聖書や教会よりも人間の理性や良心に慰めを求め、祈りよりも「実践」(刑務所改革や女性の権利運動など)に重きをおいていました。

 

17世紀、君主と議会の見解に従わない宗教の発展や普及を制限するため、議会はさまざまな法律を成立させ、イングランド国教会以外の宗派の人の権利を厳しく制限しました。非国教徒は迫害されたり、公職に就けなかったり、大学に入学できないなどの社会的な排除を受けていました。

 

ところで、フローレンスの母、ファニーの父(フローレンスの祖父)であるウィリアム・スミスも情熱的なユニテリアンでした。ウィリアム・スミスはホイッグ党*1の有力な地方議員で、長い間イギリスの公的立場から排除されてきたユニテリアンを含む非国教徒の権利確保や奴隷解放などの社会運動に力を注ぎました。そして1813年、ついに議会に「ユニテリアン寛容令*2」を通過させたのです。

 

ファニーはそのような環境で育ち、兄弟姉妹もユニテリアンの者が多かったのですが、自身は夫ウィリアムと2人の娘(パーセノープとフローレンス)とともにイングランド国教会の教会に通いました。ただし、それは信仰心からそうしたというよりは、上流階級の人びとの多くがイングランド国教会の信者だったので、彼らと交流する機会を得るためという、野心家のファニーらしい選択でもありました。

 

また、ウィリアムは大叔父から財産を相続する際に、大地主の義務に伴いイングランド国教徒になっています。ウィリアム自身はユニテリアンの教えに心を残していたので、気が進まなかったものの、妻に促されるがままに国教会に通っていたという話もあります。

 

 

▶ナイチンゲールの宗派は何だったのか

 

では、ナイチンゲール自身はユニテリアンだったのでしょうか? あるいは、イングランド国教会の信者だったのでしょうか?

 

祈りよりも「実践」を重視するナイチンゲールの信念は母方の祖父譲りとも思われ、ユニテリアンと共通するところも多いのですが、彼女はユニテリアンの教義に全面的に賛同しているわけではありませんでした。ナイチンゲールは「三位一体」に惹かれており、一時はカトリックへの改宗も考えていたほどです。「ユニテリアンの“唯一絶対なる神”のみへの信仰は退屈」と、彼女は評しています。

 

ナイチンゲールがカトリックへの改宗について友人のマニング枢機卿に相談したとき、マニングはナイチンゲールの信仰がどの宗派とも異なる彼女独自のものであり、カトリックの教義とは相容れない部分があることを見抜き、改宗を思いとどまらせました。

 

表向きにはナイチンゲールはイングランド国教会に属していましたが、彼女にとって重要だったのは宗派ではなく、教会の権威や儀式、神への祈りでもなく、17歳のときに聞いた「神の召命」に応えるために「行動する」ことだったのです。

 

▶クリミア看護婦人団員間の宗教的派閥争い

 

クリミアに派遣する看護婦人を募集する際、ナイチンゲールはできるだけ宗教的隔たりをなくすことを希望しましたが、プロテスタントの団体がしり込みしたため、結果的に第1陣の38人はカトリック教徒と国教徒が大部分を占めることになりました。それについて世間では「ナイチンゲールがオックスフォード運動*3、もしくはカトリシズムを広めようとしている」という非難が起こったのです。

 

さらに、ナイチンゲールが選抜にかかわらなかった第2陣はカトリック教徒が多数を占めたため、それ以外の宗派からの批判はさらに増しました。また、看護婦人団の内部でも、カトリックの看護師から「ローマ教皇に誓うべき忠誠を、プロテスタントの総看護師長(=ナイチンゲール)に誓うのは滑稽だ」と、公然とナイチンゲールに反旗を翻す者が現れ、団内での宗教的対立が激化しました。ナイチンゲール自身は宗教的に寛容であり特定の宗派に肩入れも偏見もなかったのですが、否応なくそうした宗教対立に巻き込まれ、それは最後まで彼女を消耗させ続けたのでした。

 

*1
イギリスの政党。1680年頃に、都市の商工業者や中産階級を基盤に形成され、議会の権利や民権の尊重を主張した。後の自由党および自由民主党の前身政党。

*2
ユニテリアン礼拝の容認を全面的に認める法。これによりユニテリアンは迫害を受けることなく、合法的に自分たちの宗教を実践することができるようになり、また公的な場から排除されることもなくなった。

*3
オックスフォード大学の教官や研究生が中心になって行ったイングランド国教会の改新運動。長年、政府の保護の下で特権的地位に甘んじ形骸化していた国教会を批判し、国教会の権威回復をはかるためローマ・カトリック的な教理を取り入れることを主張した。

 

 

ナイチンゲールの越境5・宗教
『ナイチンゲール、
神の僕となり行動する』
徳永哲、平尾真智子、佐々木秀美、野口理恵、眞壁伍郎、大北全俊、伊藤幸史 著
●A5判144ページ
●定価1,760円
(本体1,600円+税10%)
ISBN 978-4-8180-2363-5
日本看護協会出版会
(TEL:0436-23-3271)
ナイチンゲールにとって〈神〉とは、「祈り」の対象ではなく、貧しい人びとを救済する善意に基づく「行為」の内に存在するものでした。「神の僕として、貧しい人びとの救済のために行動する」──これこそ、17歳のときに〈神〉の声を聞いた彼女が人生を捧げたものだったのです。特定の宗派に属さず「善きサマリア人」派だったナイチンゲールの宗教観に迫りました。

 

 

看護2022年2月号より

 

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