市民とともに歩むナースたち(3)

 

「People-Centered Care(PCC)」とは、市民が主体となり保健医療専門職とパートナーを組み、個人や地域社会における健康課題の改善に取り組むことです。本連載では聖路加国際大学のPCC 事業の中で経験した「個人や地域社会における健康課題の改善」を紹介します。

 

菱沼 典子ひしぬま みちこ

NPO法人からだフシギ 理事長

 


NPO法人「からだフシギ」

からだの知識をみんなのものに

 

 

あなたの健康はあなたのもの

 

人は具合が悪くなったときに、まず「寝て治す」「市販薬で治す」などを試みます。それでも治らなければ、かかりつけ医のところへ行くでしょう。そして自らの健康課題を解決するため、さらに紹介された医療機関を受診するかもしれません。

 

しかし、そこで診察室に入った途端、主人公の座を医療職に奪われた……。そんなふうに感じてしまったことはないでしょうか。

 

私たち「NPO法人からだフシギ」の活動は、この違和感への疑問から始まりました。なぜ人は、患者となった途端、自らの健康に関する決定権を手放さざるを得ないと感じるのでしょうか。

 

市民と医療職の情報量の差

 

今日、インフォームド・コンセントの必要性は、「医師、歯科医師、薬剤師、看護師その他の医療の担い手は、医療を提供するに当たり、適切な説明を行い、医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」と、医療法にも明記されています。さらに、患者・家族と医療者が情報を共有し、共に治療法のメリット・デメリットを考え、その人に合った決定をする「シェアード・ディシジョン・メイキング」も広まってきています。

 

しかし、体のことから病気のこと、治療法まで、医療者が用意した膨大な情報を前に、選択や判断を求められた市民がお手上げだと感じてしまい、つい「お任せします」となるのは無理もありません。医療職と市民が持つ情報量の違いはとても大きいのですが、その差を埋めていかなければ、医療職と市民がそれぞれの役割を果たし、市民の健康課題の改善に向けて共に取り組む「People-Centered Care」には、なかなか手が届きません。

 

“からだの知識をみんなのものに”

 

健康の最も基本となる情報は体の知識です。体あっての人間であり、体を知ることは、自分自身を知ることです。市民と医療者の情報量の差を埋める第一歩として、私たちは“からだの知識をみんなのものに”をスローガンに活動を始めました。

 

例えば、医師に「腎臓に問題がありますね」と言われたときに、「腎臓はどこにあるの? 何しているの?」という疑問からスタートするのと、あらかじめ「腎臓は腰寄りの高い位置の背中側に1対あって、血液から尿をつくっている臓器」と理解しているのとでは、医師との対話のスピードも深さも違います。自身の体のつくりを知ることで、病気や治療法の理解も、より容易になるでしょう。

 

とはいえ“からだの知識をみんなのものに”していくために、さてどこから始めようか、と私たちは迷いました。もう20年も前の話ですが、養護教諭から、子どもはもちろん、親も体のことは知らないという話を聞きました。そこで、まず子どもにアプローチしながら、その親にも知識を提供していく方向を探りました。

 

子どもの発達段階としては、保育園や幼稚園の幼児が最も素直に興味を示すことがわかり、アプローチする年代を小学校に上がる前の5、6歳児としました。そうすることで、子どもから親を含む家庭内にも情報が広まることも狙えると考えたのです。そして、「正しい知識を、ごまかさないで、わかりやすく伝える」という方針を立て、教材として用いる絵本づくりを始めました。


続きは本誌で(コミュニティケア2025年3月号)