文と写真:森 淑江
今年から始まった4年生の看護学総合実習では、実習分野は学生の希望によって決められますが、そこに国際看護学実習が選択肢の一つとして加わりました。これまで国際看護の授業は講義のみでしたので、いきなりまとめの実習としての国際看護学実習となるわけです。
どこでどのようにすれば、国際看護の考え方を理解して総合実習の目的に合う実習になるかを悩んだ末、タイで22年間ハンセン病の方を対象としたセルフケアクリニックを開いている、阿部春代さん(社団法人好善社)に受け入れをお願いすることにしました。
3年前に学生を連れて同クリニックで1日見学実習させていただいた際に「看護の素晴らしさがよくわかりました。基礎実習を1週間行うよりもずっと勉強になりました!」と言った学生の言葉がずっと印象に残っていたからです(教員として、この言葉を喜んでいいのかどうか……)。
阿部さんのご活躍についてはぜひ、INR140号(2009年4月発行)をご参照ください。
この国際看護学実習は4人の学生が選択し、9月3日から5日間行いました。日本以外での実習と言うと、まず言葉はどうする? 異文化看護は? と、読者は思われるのではないでしょうか?
確かにそれも学生に学んでもらいたい点でしたが、日本と異なる場であっても看護の基本は共通していること、クリニックに来る患者さんには、どういう生活によってその問題が生じているのかということを、結びつけて考える力をつけてほしいということが主な狙いでした。
ハンセン病自体は化学療法で完治しますが、後遺症としての末梢神経障害が原因となって生じる、手足顔の変形や視覚障害などが患者さんを苦しめます。知覚障害のせいで足の傷に気づかず悪化させ、手足を切断する例はしばしば見られます。そのため傷をつくらない、傷を悪化させないことが重要です。
ハンセン病についてほとんど知識のない学生は、タイでの実習に先立ち、ハンセン病療養所の多磨全生園の見学と、草津の栗生楽泉園でインターンシップを体験していました。
実習したクリニックは、タイの東北部コンケンの県立シリントン病院内にあり、学生は毎日午前中の外来を手伝い、その後ハンセン病コロニー内の訪問看護に同行し、午後はタイの医療や履物の重要性などを学びました。
来所する患者さんは手や足に傷があり、すでに阿部さんから受けている指導に従って手や足を洗い、学生も手伝ってブラシで角質を落とし、その後自分でワセリンを塗り、靴下を履きます。必要があれば阿部さんが消毒を行います。
学生は、手足を洗う前と後の違いに驚き、さらに数日後にやって来た時にもう一度前回との違いに驚きます。きれいに洗って角質を落とし、ワセリンを塗り帰って行っただけなのに良くなっているからです。
しかし、クリニックでの処置はせいぜい1時間、残り23時間の生活を、患者さんはどのような場所で、どのような状態で過ごすのか。どのように座っているのか、歩いているのか。どのように靴下で足を保護するのか、ずっと使っている履物がどのようなものか……といったことが、実は大事なのだと実感することができました。
患者さんの傷の状態を見て、触れて、嗅いで観察し、患者さん自身がどう感じているのか、どのような変化が生じているのか把握します。どのように自分で手足を手入れするのか、クリニックに来ていない23時間を、どのように過ごすのか。その指導は看護師の役割です。
学生たちは阿部さんに多くの質問を投げかけられながら、患者さん自身が傷の変化を自覚し「なぜよくなったのか」あるいは「なぜ悪くなったのか」を考えることがセルフケアにつながるのだという、看護の基本を理解していくのでした。
このように学生の思考を導いてゆく阿部さんの方法は、指導者として実に見事なもので、私自身、大いに勉強になりました。
国際看護で大事な異文化コミュニケーションの部分について言えば、タイ語のできない学生たちは、初日こそひたすら黙ったままでしたが、2日目からタイ語での挨拶の声が徐々に大きくなってきました。
言葉の通じないもどかしさに慌ててタイ語の資料を読み返し、また通じない部分を身振り手振りで補い、すっかり患者さんたちとの良好な関係を築いていきました。学生たちの吸収力と順応性に感心し、成長の速さに驚いた5日間でした。
ハンセン病に関心をお持ちの方は、ぜひ映画「砂の器」(野村芳太郎監督、1974年)をご覧ください。この映画を見た時の衝撃は今でも忘れられません。
もり・よしえ
群馬大学教授。国際看護学の研究と教育に携わる一方、独立行政法人国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局の技術顧問を務める。