NT2013年6月号の連載「楽しく読んじゃう 新★看護学事典」では、看護学事典2版で「清水耕一」の解説を執筆してくださった鷹野朋実先生(日本赤十字看護大学精神保健看護学講師)からエッセイをおよせいただきました。
精神科看護の礎
私が東京都立松沢病院という精神科病院の看護師だったころ、院内図書室で「至誠の人 清水耕一君」と題された、明治から昭和初期に松沢病院(前身の巣鴨病院も含む)で勤務していたある看護人の生涯を綴った冊子を見つけました。これが、私と清水耕一との出会いです。清水には、日本赤十字社の看護人として戦時救護に従事したり、多数の読者に支持された著書『新撰看護學』の執筆など、さまざまな業績があります。
清水は、松沢病院の医療・看護の惨憺たる状況を改善しようと、精神科医の呉秀三が病院を大改革していたころの看護長です。呉は、清水に絶大な信頼を寄せていたそうです。これを知った時、18世紀、フランスの精神科病院で“鎖からの解放”を行った精神科医ピネルの傍らで、彼の改革を支えた男性看護人ピュサンを想起しました。清水も、呉の病院改革にかかわっていたかもしれません。病院が巣鴨から移転した直後に以下のようなことがあったと、そこに居合わせた医師が後に述懐しています。
新しい松沢病院の塀は、呉の“病院と周囲の境界は簡易に”という主張から、従来の頑強な塀ではなく大部分が生け垣と簡素になりました。そこで清水が「これでは私たちは仕事ができない」と呉に言ったのです。「この塀では患者が簡単に離院してしまい、大変だ」ということなのでしょう。すると呉は、「病人の囲いは看護人の目で行いなさい、垣根に頼るからいけない」と答えたそうです。(続く)
★清水耕一