トシコとヒロミの往復書簡 第10回

本連載では、聖路加国際大学大学院看護学研究科特任教授の井部俊子さんと、訪問看護パリアン看護部長の川越博美さんが、往復書簡をとおして病院看護と訪問看護のよりよい未来を描きます。さあ、どんな未来が見えてくるのでしょう。

 

川越さんイラスト

 

 

川越博美さんから井部俊子さんへの手紙

訪問看護の社会的認知度
文:川越博美

 

 

井部さんは、返信で「看護を学び職業としたわれわれ娘の最大の功績は、自分の親を悔いなく看取ること」と伝えてくださいました。あらためて、私が看護師であることへの“期待”が存在していたことを思い起こしました。

義母と実母の2人の母を看るに当たっては、「看護師だからやらなければ」という責任感はなく、成り行きで、愚痴をこぼしながら世話をしました。結果的に2人とも、私の家で静かに人生を閉じました。きょうだいたちは「(私が)看護師だから家で看ることができるのだ」と考えることで、自分たちが母の世話をしないことへの免罪符にしているのではと思うこともありました。しかし、今は母の世話ができたことに心から「ありがとう」と言いたい気持ちです。看護師である私への、母からの“苦労を伴ったプレゼント”のように思われます。

介護のプロセスでは、いろいろな思いが複雑に絡み、よい嫁・娘ではありませんでした。それでも母たちは私に感謝して生を閉じました。本当は私が母たちに感謝しなければなりません。老いて人の世話になって、もの忘れをするようになっても、人間は死ぬまで人として成長するのだということを、生きざまをとおして私に伝えてくれました。人に頼る、自分の老いを受け入れる、忍耐する、小さなを喜びを感じる、感謝する……“言うは易し”ですが、なかなかできないことです。母たちの介護の経験からは、多くのことを与えられました。きれいごとを言っているようですが、考え方次第で、苦労をプレゼントだと思えるのですね。

 

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2016年7月号)