「子どもたちが、ここで生きていきたいと思える町に」

文と写真:山中 郁


陸前高田市の広田町黒崎のお祭り「虎舞(とらまい)」のようす。

同じ北国でも英国のロンドンと言うコスモポリタンの代表のような都市から、東北は岩手県に移り住み、早4カ月が経ちました。

 

国際NGOである公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO)は、現在も東北でいくつかの事業を展開していますが、私が看護師という専門家として活動していたのが、心理社会的サポート事業です。その中の一つに、被災地の仮設住宅団地集会場で行う、“こころとカラダの健康の集い”があります。

 

阪神・淡路大震災の後に孤独死の直接要因で最も多かったのは、高血圧、そしてアルコール依存症でした。放置された高血圧やアルコール依存症が他の疾患(心疾患・脳血管疾患・肝障害)を引き起こし、それらが原因で人知れず亡くなってしまった方々がいました。

 

精神的ストレスが身体に与える影響は計り知れず、高血圧も見逃せません。私たちの集いの目的は、知らない人たち同士が集まった仮設住宅団地の中で、出会いと交流の機会をつくること、また集いを通して精神的ストレスの軽減を図ることです。そしてそこに看護師の血圧測定が盛り込まれているのは、血圧測定をきっかけに、健康や不安などについての個別相談を受けるとともに、必要な保健や医療の支援につながっているかどうかを確認していくためです。

 

震災後、陸前高田市内で行われていたこのNICCOの集いを、宮城県気仙沼市内に活動範囲を広げるためのコーディネーターとして、私は昨年の9月末に派遣されました。地域に入り、そこで活動する保健所を初めとする行政、地域の自治会、そして他のNPO/NGO団体と情報交換をする中、徐々にこの地域が、そしておそらく日本が抱えるさまざまな地域医療の問題点も、見えてきたように思います。

 

岩手県は全国でも自殺率が高いのですが、東北の都市部におけるその主な原因として、地域産業が衰えたことによる「経済面」や、高齢化による「健康面」が指摘されています。陸前高田市でもまさに高齢者世帯のみが残された過疎化の市町村の増加や、仕事を求めて若い人たちが都市部へ流出する問題を抱えています。

 

また、気仙沼市内の美術館で学芸員を勤める方が、復興支援を行う団体に対し、震災前の街についての勉強会を開催してくださった時のお話が印象的でした。よく美術館に遊びに来ていたある小学生が、成長して将来のことを語った際、「地元には残らない。こんなところ、何もないじゃないか」と言ったそうです。

 

学芸員の方は「美術館を通して地元を紹介する私の仕事を見てきた子どもさえ、ずっとここにいたいと思えない町なのか? それとも自分たちがきちんと地元のよさを伝えられていないのか?」と自問されました。今回の震災を一つのきっかけに、気仙沼を広く多くの人に知ってもらい、子どもたちがここで生きて行きたいと思える町にしたい。そう熱く語る彼に私は大いに刺激を受けました。

 

このような背景を抱える東北地方で今回震災があり、多くの人が亡くなり、家族を失い、職場を失いました。現在も、保健設備の充実もままならず、この地に残りたい人々の心身の健康を守れるものがなくなったのです。

 

これと比較してお話させていただくと、英国の医療システムは、実に合理的です。住民は自分が住んでいる地域の家庭医(General Practitioner:GP)に登録し、検診や予防接種も含めて、何かあればまずGPの診察を受けます。

 

その後GPが専門医の診察が必要と判断した場合に、病院に紹介します。その中心を担うのが、国立の医療サービスグループ(National Health Service : NHS)であり、英国全土の町にNHSの病院が必ずあります。NHS病院は自分たちの得意分野を持っており、重症度の高い患者、専門的治療が必要な患者は、より規模が大きいもしくは専門性の高いNHS病院にスムーズに搬送されます。

 

私立病院が乱立している状況では難しい連携が、国立病院主流の医療システムによりうまくつながっていることは、患者さん本人や家族にとってプラスなだけでなく、専門性がはっきりしているため、看護師にとっても働く場所を選びやすいと思います。そしてこの連携のおかげで、英国のどこに住んでいても、何かあった時に最終的には最も専門性の高い医療機関ともつながっているということが、生活圏を決める際のストレス軽減にもなっているのではないでしょうか。

 

これから本格的な復興が始まっていく東北ですが、保健医療専門家として、日本全国どこに住んでいても、皆同じ医療が受けられるというコンセプトが盛り込まれることを、期待するばかりです。

 


やまなか・かおる

神奈川県出身。国内の病院(小児科)に勤務後、2000年に渡英。現地病院の小児科及び小児病院などに勤務。震災を機に帰国し公益社団法人日本国際民間協力会(NICCO)で心理社会的サポート事業看護師として3月初旬まで活動。


 

コラム「海外でくらす、はたらく。」(INR 155号)

“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介