「本当はいつも、“日本に帰りたい”と思っている」

文と写真:杉江 美子

 

毎年約2万人の観光客が訪れるトロント市のアイス・フェスティバル。

 

今年で海外生活の合計が22年になります。本当は日本に住みたいと思い続けながら、それでもまだ海外で暮らしています。

 

事の始まりは、小学校1年生の頃からなぜか「アフリカに行って仕事がしたい」と思い続けていたこと。6年生の時、青年海外協力隊の小さな新聞広告を見つけました。心ときめかせながら問い合わせたところ、応募できるのは20歳からだと知ってずいぶんがっかりしたのを覚えています。

 

こうして協力隊に恋をし、協力隊に参加するために、私は看護師になったのです。

 

最初の職場は国立循環器病センターのICUでしたが、頭の中は協力隊とアフリカのことでいつもいっぱい。泣いて笑って2年間を勤めました。その後は、我が分野は公衆衛生だと確信し、“歌って踊れる保健師”になりたくて大阪市の保健師学校に通いました。

 

就職活動では地元の保健所には見向きもせず協力隊に応募。2次面接の時に「どこでも行きます」と面接官に言ってしまったおかげで、派遣国はマレーシアになり、以来東南アジアとの付き合いが長くなります。そして結局、アフリカへは未だに行っていないのです。

 

協力隊の活動を通じて、生身のプライマリ・ヘルスケアをマレーシアの人々に教えてもらい、帰国後、国立公衆衛生院(現国立保健医療科学院)の専攻科看護コースで学びました。その後、虎の門病院の夜間専門看護師という制度に興味を持ち血液科に就職。2年間は勤めるぞという当初の固い意志はどこへやら、すぐに浮き足立って外に出たくなり、1年後、気がつけばカンボジアにいました。

 

カンボジアでは、日本国際ボランティア・センターと国際保健協力市民の会(SHARE)共同の母子保健プロジェクトに携わりました。国際援助とは何かを考え続けた1年9カ月間でした。帰国後に出産し、大阪に定住かと思いきや、国際協力事業団(JICA:現国際協力機構)から専門家としてのお誘いを受け、1歳3カ月の娘を連れて再びマレーシアに向かいました。政府開発援助(ODA)のプロジェクトに立ち上げから関わり、その前線で3年間働きました。

 

帰国後1年して、カナダのトロントに移住しました。一カ所には落ち着けない人間なのかも、と我ながら心配していましたが、加齢とともに安定志向が強まったのか、15年の月日が経ちました。そもそも私は“帰巣本能”がとても強く、常に「いつかは日本に帰ろう」と思っています。トロントには結構たくさんの日本人が住んでおり、ほとんどの人は覚悟を決めてこちらに永住しています。でも私自身は優柔不断なのか未だに決心しきれずにいます。

 

トロントでは、すぐにカナダの看護師国家試験を受けて看護師免許を取得したものの、保守党の緊縮財政政策真っ只中の看護職就職氷河期で、1年半近く仕事に就けませんでした。やっと看護師派遣団体で週1日程度の訪問看護の仕事に就いたところ、2〜3カ月後に、ある病院のCCUで非常勤で働くことになり、カレッジでクリティカル・ケア看護のコースを取りながら、錆付いていた昔のICUでの知識・技術を磨き直しました。

 

仕事の傍ら、看護師のための看護学士課程を大学で取っていました。カナダでは保健師免許制度はなく、保健師の仕事には看護学士が必要です。卒業してすぐにトロント市保健局の保健師に応募したところ、雇用に年齢制限がなく、就職氷河期も終わっており幸運にも就職できました。以来、勤続10年半になります。

 

このうち9年間は家族保健プログラムで家庭訪問、育児教室、地域との連携に関わりました。トロント市は半分以上が移民です。仕事で関わった家族も約9割が最近の移民。まるで世界各地で働いているような気分だったから、ここで勤続年数を延ばして来られたのだと思います。

 

この1年半、家族保健と健康生活推進プログラム「質の向上」を担当するヘルス・プロモーション・コンサルタントという職に移っています。また、3年半前からトロント大学大学院の公衆衛生学修士課程に通い、この6月にやっと卒業する予定です。学位を得て何か計画があるわけでもなく、ただ公衆衛生学修士の勉強がしたかったのです。健康と社会について考え続け、自分の価値観がよい意味で変化していくのが手に取るようにわかりました。

 

勉強して心底よかったと思います。ただそのおかげで、トロント市保健局にこのまま身を置いていていいのか? と疑問を持ち始めています。次はどこに行こうか……。

 


 

すぎえ・よしこ
大阪府出身。1984年より青年海外協力隊の保健師としてマレーシアへ、1989年からはJVC/SHAREの看護師として、カンボジアで国際援助に携わる。1996年よりトロント市在住。

 



コラム「海外でくらす、はたらく。」(INR 155号)

“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介