〈新連載〉暮らしは筋書きのないドラマ

〈新連載〉

 

第 1 回
「なりわい」
人生最期の最高の他人

 

なるせ ゆうせい
脚本家/演出家
株式会社オフィスインベーダー代表

 

「これからこの国は少子高齢化社会です!」
なんて誰もがわかりきってることをどこかのお偉い方々はちょくちょく発信したりするけれども、だからと言って看護や介護などの業界で働く人たちの待遇やらが劇的によくなってるかと言えば、なんだか、うーん、て首をかしげてしまう(というと怒られるから「これはあくまで私の主観です」と付け足しておきましょう)。

 

そんな業界に少しでもスポットライトが当たればいいなと思って、数年前、「ヘルプマン!」という介護関連の漫画を舞台化させてもらったことがありました(申し遅れましたが、わたくし舞台や映画づくりをなりわいとしてる生き物です)。

 

その舞台づくりを通して感じたことは、「福祉の業界」と、「演劇の業界」の親和性だ。

 

え? 全然違う業種じゃん、どこが親和性あるの? そう思われる方もいるかもしれない。

 

これも私の主観だとあらかじめ念を押しつつの発言ですが、一番の親和性は“どちらの業種もがっつり接触系である”ということ。

 

ロボットやらなんやらが進歩してるとはいえ、やっぱり基本は対「人と人」なのである。

 

予測のつかないアドリブ劇

 

相手が主に役者であるか、主に高齢者であるかの違いはあれど、基本は一緒な気がする。

 

少し余談にはなるが、プロの役者をめざす若者がする練習の1つに、「会話」とか「対話」というものがある。

 

バカ言っちゃいかんよ会話なんて練習しなくても普段、誰でもしてるじゃないか、と思われるかもしれない。

 

ところがどっこい、いざ台本に書かれたセリフ(それがつまり会話)を素人に読ませてみても「会話」にならない。ただ「本に書かれたセリフを読んでるだけ」となる。棒読みと言うやつだ。有名スポーツ選手とかが、めちゃ棒読みで言葉を発してるCMとかを見たことがあるだろう。まさにその現象。

 

会話や発する言葉というのは、本来、無意識の中で成立している。さらに言えば、その“無意識”の中で、相手の空気、つまりは相手が何をしたいのか、何を望んでるのかをちょっとした目線、声色、しぐさ、においなど五感を使いながら察知し、成立させているのだ。

 

それをいざ、台本という「意識の産物」がある上で会話や対話を成立させる、というのは非常に難しい。役者という職業は、今まで本当に無意識だった行動を、意識的に無意識に行わねばならないのだ(←ややこしい表現)。

 

それで言うと、介護あるいは看護業界は、その辺がさらに高度だ。台本すらない対話が常に必要となる。エンタメ業でいうところのアドリブ力。つまり、毎日がアドリブ劇の連続なのだ。その場での臨機応変な対応が求められる。

 

往々にしてどこの業界もハウツー的なものは存在するが、それはあくまでベースであってそれどおりにやってりゃうまくいくことはない。

 

役者も、ヘルパーさんも、看護師さんも、ハウツーやマニュアルに書かれたことだけしかできない人と、そうじゃない人では、やっぱり相手とのコミュニケーションに差が出る。

 

予測のつかないアドリブショーを毎日臨機応変にやってのける看護師さんやヘルパーさんは、まさに最高のエンターテインメントの仕事だ。演出家の私なんかは、そう感じてしまう。

 

→続きは本誌で(看護2024年11月号)