住民の“生きる”に伴走 進化を続ける地域ケアシステム「幸手モデル」

地域包括ケアシステムの先進事例として、全国から注目されている「幸手モデル」。地域住民とともにこのモデルをつくった筆者の医師としての歩みを振り返り、幸手モデルの本質に迫ります。

ケアシステムの未来を

妄想してみる

 

 

最終回となる本稿では、私が考える未来のケアリング(以下:ケア)の制度・政策を妄想してみたいと思います。連載の後半で述べてきた当地域のケアシステムである「幸手モデル」は、生活モデル的支援*1(以下:生活モデル)の地域包括ケアシステムです。まだ完成には程遠い状況ですが、読者には、現在主流となっている一般的な社会保障モデル的支援*2(以下:社会保障モデル)の地域包括ケアシステムとは相当の違いを感じたのではないでしょうか。

 

 

そもそも、生活モデルに基づくケアを積み重ねた結果としてできあがるのがケアシステムであり、形から入る、つまり、特定の目的だけを振りかざしてつくり上げたこれまでのようなケアシステムでは、人々が望むケアは提供し得ません。個人的には、「2025年までに何かを完成させる」という発想は捨てたほうがよいと思っています。

 

「効率化?」 「当事者目線?」

ケアシステムの目的への問い

 

さて、これらのケアシステムの最も大きな違いは、ケアがケアシステム側に従うように設計されているか(社会保障モデル)、逆に、ケアシステムがケアに従う(生活モデル)ように設計されているかにあるといえるでしょう。

 

社会保障モデルによる地域包括ケアシステムの目的は、社会保障財源の効率化です。そのため、よく言えば支援対象の選択と集中、悪く言えば効率化に資する一部の人たちに限定した支援です。表面上は“生活を支えるため”としながらも予防が中心で、財源の効率化に通ずる支援でなければ削除される可能性もあります。重要なコンセプトであったはずの「Living in place」等、当事者目線あるいは生活的価値の実現は、あまり重視されていないように見えます。ケアシステムの目的の焦点がぼけてしまったら政策の推進力も低下するのは当然で、その結果、現時点では地域包括ケアは成功とは言い難い状況に陥っています。

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2022年9月号)