CC2015年11月号掲載【コミュニティケア探訪・No.39〈最終回〉】の紹介

【住民と語り合う医療 地域病院が軸になる地域包括ケア
一関市国民健康保険藤沢病院――佐藤元美さんと仲間たち】

 

写真1

藤沢病院の外観

文と写真・村上 紀美子(医療ジャーナリスト)
皆さまの7年間のご愛読に感謝。これからは、医療介護サービスを、個人が人生の旅路でどのように選択するのかを取材していきます。mkimiko@mbf.nifty.comにメールいただけば、ご案内を送ります。

全国各地で地元の特徴を生かした地域包括ケアが模索されています。その1つ、町内唯一の医療機関が軸となった実践として、岩手県の一関市国民健康保険藤沢病院の院長・佐藤元美さんと仲間たちの「住民と語り合う医療」を探訪します。

東北新幹線一ノ関駅から一山越えた先にある旧・藤沢町。約8000人が暮らす山間の空気がすがすがしいこの町の唯一の医療資源である藤沢病院(写真)。こじんまりした病院ですが、フル装備です。病床54床、内科・外科・整形外科・放射線診断科などがあり、手術室も持ち、内視鏡・CT・MRIなどの最新機器を備えて2次救急を担い、高度医療から在宅医療まで一手に対応します。経営はずっと黒字です。
さらには、隣接地に介護老人保健施設・特別養護老人ホーム・通所介護事業所・グループホーム・訪問看護ステーション・居宅介護支援事業所・高齢者総合相談センターの7事業を順次立ち上げて連携し、保健・予防・医療・福祉サービスを一体的に運営しています。
各事業所との緊密な連携の土台は、8時25分から始まる朝礼。院長、事務長をはじめ、各事業所のメンバーと研修生(地域医療を学ぶ研修医やコ・メディカル。私も)、総勢30人ほどが顔を合わせ、連絡事項伝達のみの5分ほどで簡潔に終わり、各自、持ち場に散っていきます。
こじんまりしたこの病院で、まるで映画かテレビに出てくるような人間ドラマが静かに展開されていました。

 

地域に出向いて住民と対話

 

佐藤さんが藤沢病院の院長になったのは、22年前、38歳のときでした。それまで25年間も病院がなかった旧・藤沢町に、やっとできた病院でしたが、1年もたつと住民からの苦情や意見が増えてきました。「待ち時間が長い」や、慢性疾患の患者さんからは「診察はいいから、薬だけ出してほしい」。さらに医療費の未収や、通院中断などの問題も出てきました。
どうしたらいいのか? と、考えついたのが、病院スタッフが住民と直接話し合う「ナイトスクール」です。地区10カ所の集会所に年1回ずつ、農閑期に病院スタッフが出向きます。活動を始めると、住民からは「病院の人がわざわざ来てくれた」と歓迎され、毎回30〜100人が集まりました。「病院がなかったころは、死ぬときはみんな町の外に行かなければならなかった。ここで死ねる町にしよう。そのためには住民が病院を育ててほしい」と佐藤さんは訴え、一緒に知恵を絞り、病院への寄附も増えてきました。
このナイトスクールが、藤沢病院の「住民と語り合う医療」の土台です。今年は「病院の無料通院バス」をテーマの1つにしています。

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■藤沢病院のユニークな理念と基本方針
【病院の理念】忘己利他(もうこりた)
【基本方針】
・質の改善:医療人として常に研修を行い、その時代の水準を維持する努力を続けよう。/職員同士がお互いに注意し合い、また、励まし合い、サービスの質の向上ができるようにしよう。/病院に関しても、限界や失敗を正直に話し合える職場にしよう。
・安全確保:利用される患者さんはもとより、家族、業者、職員の安全を確保できるよう事故防止、安全対策を続けよう。
・経済性向上:医療保険も医療資源も有限であることを自覚し、効率の良い負担の少ない医療を推進しよう。/通院、入院に伴う医療費以外の経費についても考慮しよう。
■佐藤 元美さん
(一関市病院事業管理者・藤沢病院院長)
地元・岩手県の出身。若き日に、救急医療で命を救った患者さんから「苦しんで生きる時間が長くなるだけ」と言われた経験から、診察室で解決できることと、できないことがあると痛感。佐藤さんは、22年前、病院がない町として苦労していた佐藤守元・藤沢町長の「保健・医療・福祉一体で運営を」という理想に引かれて、藤沢病院の創業院長となり、必要な事業を立ち上げてきた。

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2015年11月号)