「50人の親戚たちが暮らす村の生活」

文と写真:坪田トーレナース育子

 

(INR日本版 2012年春号, p.110に掲載)

 

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オランダの古い農家ぐらし。隣近所は賑やかな親戚ばかりで日々退屈している暇もない。

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親戚縁者に配布される「家族雑誌」

オランダの南部にある人口3,000人の小さな村で、夫と2人の息子とともに、古い農家で暮らしています。左隣は義理兄一家、お向かいはいとこ夫婦、その他村内だけで、ざっと50人の夫の親戚に囲まれていて、2年に1回は村外の家族も含めた同窓会が開かれます。それに来られない人のために家族雑誌が発行されたりして、毎日退屈する暇がありません。

 

私が来蘭したのは1997年の3月。EUになる前でオランダの通貨がまだギルダーの時代です。SkypeもE-mailもなく、テレビすら契約した衛星放送しか見られない時代で、当時はずいぶんホームシックにも悩まされました。日本では、看護師・助産師として産婦人科との混合病棟や開業産婦人科で働いていたので、その経験をこちらでも活かそうと思っていましたが、現実はそう甘くはありませんでした。

 

初めの5年間はアイデンティティの喪失、言葉の壁、社会から切り離された疎外感などに苦しみました。でも子育ての真っ最中に、素敵な日本人4人との出会いがあり「蘭々育児ネットワーク」というものを立ち上げました。育児ガイドブックの作成、ウェブサイトの運営、プレママ講座などを開催し、日本人向けにオランダでの妊娠出産について情報を発信をしていました。また、在蘭日本人の産後のケアをお手伝いする機会にも恵まれました。

 

やがて子どもたちが学校へ行き始め、再び看護職として働きたいという気持ちが強くなってきました。日本人でもオランダ人でも同じ人間ですから、助産・看護技術は同じなはず。言葉の習得さえすればすぐに働けると思っていました。EU加盟前のオランダでは、日本の看護免許を国内と同等程度に認めていたのが、加盟後はEU内で看護師のレベルを統一するため、新しいシステムが導入されました。その結果、私の看護師免許では働けなくなってしまったのです。

 

ここから試行錯誤が始まりました。いろんな機関を訪ね自分の可能性を探す中で、アムステルダムにあるSIBIOという機関の存在を知りました。オランダ国外で医療従事していた外国人を、国内の医療機関で再び働けるようにサポートしてくれるのです。願ってもないチャンスと思ったのですが、その1年間のプロジェクトに参加するには、最低7,000ユーロが必要です。

 

また週に1回、自宅からアムステルダムまで、片道80kmを通い講義を受けなければなりません。さらに病院で言語実習を3カ月間行うことなど、聞けば聞くほど自分には不可能な気がしてきましが、とにかく市役所と職業安定所に掛け合うことにしました。

 

たまたま運よくその年、家庭にいる女性の社会復帰を応援するプロジェクトが始まり、私にお金を出してくれた上に返済も不要でした。おかげで無事SIBIOに通うことができ、各国から来ている医者や看護師たちと協力し合いながら、すべてのプログラムを終えることができました。

 

その後は、オランダの看護師免許が取れるということで近所の老人保健施設で1年半働きました。しかしそこでは患者最優先の看護は行われておらず、自分の休憩時間を割いて患者をケアすれば「タイムマネジメントができない」、患者の意思を尊重すれば「きちんと患者との間にボーダーラインが引けない」、ベットサイドで少しでも時間をつくりたいと廊下を小走りすると「落ち着きがない、緊急時かと思うのでやめろ」などなど、文化の違いからか、やることすべて逆手に取られ、臨床実習の評価項目ですべて「不十分」に○が付けられていました。患者さんには喜ばれていたけれど、オランダ語が不十分であることを理由に、見事にクビになりました!

 

しばらく落ち込んでいましたが、もう一度オランダ語をやり直すため再び学校へ通うことを決意。同時に医療関係の事務仕事も始めました。ある日、たまたま友人が持ってきてくれた地域新聞に、家庭医から依頼を受ける検査機関が採血の経験者を求人していました。日本の看護師免許が認められ、臨床での採血の経験を買われて採用が通り、今は週7時間をこの会社で正社員として勤務しています。社内イベントも多く同僚同士も仲がいいので楽しく働いています。

 

2児の母として、妻として、仕事も見つけてたくさんの家族と友達に囲まれ、私のオランダ生活という木は、今ようやくこの土地に根を広げつつあります。

 


つぼた・とーれなーす・やすこ

愛知県出身。1997年にオランダへ渡る。夫の親族が集まるコミュニティで子育てに奮闘しながら、外国人として看護師の仕事に就くため、さまざまな問題に直面中。



コラム「海外でくらす、はたらく。」(INR 155号)

“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介