生きるということ

 

命の普遍性と、
1回きりの個人の人生を尊ぶ

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小島慶子[エッセイスト・タレント]

 

1972年オーストラリア生まれ。学習院大学法学部政治学科卒業後、1995年にTBSに入社。1999年第36回ギャラクシーDJパーソナリティー賞を受賞。2010年に独立後は各種メディア出演、執筆・講演活動を精力的に行っている。『AERA』『日経ARIA』『講談社mi-mollet』など連載多数。2014年より、オーストラリア・パースに教育移住。夫と2人の息子はオーストラリアで生活し、自身は日本に仕事のベースを置いて、日豪を行き来している。2017年東京大学大学院情報学環客員研究員。新刊『おっさん社会が生きづらい』(PHP新書)が好評発売中。

 

コロナ禍の最中に、2度入院しました。1度目は未明に突然の激しい腹痛と下血に襲われ、自分で救急車を呼びました。到着した救急隊の方がたは、狭い部屋で床に丸まってうんうん唸っている私を手際よく担架に乗せてくれました。運ばれながらオーストラリアで暮らす夫に電話し、「今から〇〇病院に搬送される、生きているから安心して、ではまた後ほど」と報告。夫もさぞ驚いたでしょう。

 

救急室で激しく嘔吐し、高熱と下血に苦しむ私の背中をさすってくださった看護師さんの手の温もりが忘れられません。調べた結果、幸い重篤な病気ではありませんでした。過労と運動不足が腸に負担をかけたようです。5日間の絶食を経て9日目に退院。絶食期間中は点滴で栄養と水分を補給しているとはいえ、口から飲食できないのは思った以上にこたえました。重湯から始めてようやく柔らかいご飯を食べられるようになったとき、本当にうれしくておいしくて、手を合わせて感謝しました。以来、ご飯は柔らかめが好みです。

 

2度目の入院は、その翌年のこと。突然、体の片側の数カ所に痺れを感じたのです。近所のかかりつけ医を受診したところ「すぐに提携している病院のERで検査を受けるように」と言われ、そのまま紹介状を持って検査入院。5日間にわたって詳しく調べた結果、特に異常は見つからず、退院後のビタミン剤の投与などで痺れは2カ月ほどでなくなりました。いずれもたまたまコロナの波が沈静化していた時期だったため、入院できたようです。

 

続きは本誌で(コミュニティケア2023年5月号)