特別寄稿

メディアなどで安楽死に関する事件や話題が上るたび、安楽死・尊厳死に対する議論がされてきました。しかし、川口有美子さんは「難病や重度の障害のある人に対し、なぜ『死ぬ権利』ばかり提示されるのか」と指摘します。ALSの母親を12年介護した後、訪問介護事業所とピアサポート団体を設立し、多くの障害のある人とかかわってきた川口さんに、「死にたい」と訴える患者の真意や看護師への期待などを述べていただきます。

 

病気や障害を持つ人の

“生きる選択肢”を広げる社会に

 

川口 有美子

かわぐち ゆみこ

特定非営利活動法人ALS/MND

サポートセンターさくら会 副理事長/

有限会社ケアサポートモモ 代表取締役社長

 

筆者略歴

主な活動として患者会の運営や執筆のほか、国の難治性疾患克服研究と重度障害者の地域生活のための政策立案に携わっている。2013年立命館大学大学院先端総合学術研究科博士課程修了。著書に「逝かない身体:ALS的日常を生きる」(医学書院、2009年。第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞)、「末期を超えて:ALSとすべての難病にかかわる人たちへ」(青土社、2014年)など。

 

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今年8月、神経難病のALSの女性に対する嘱託殺人事件容疑で医師2人が逮捕される事件がありました。それを受け、メディアなどで安楽死・尊厳死の法制化の議論を求める声が上がるなど注目を集めました。こうしたケースは、過去にもたびたび起こっています(表)。

では、安楽死・尊厳死はそれぞれどのような行為で、どのような違いがあるのでしょうか。

 

日本では一般的に、終末期において、当事者本人の意思により、「過剰な延命治療をしないで尊厳を保ったまま死を迎える」のが“尊厳死”で、「苦痛から逃れるために致死的な薬剤を用いて死を迎える」のが“安楽死”と考えられていると思います。しかし、医療従事者、家族、当事者など論じる立場に応じて、尊厳死、安楽死、さらに自殺幇助の捉え方は異なり、自分がどういうポジションに立つかによってそれに対する意識も異なるようです。

 

 

 

私の立場は、亡き母親がALSだったということ、重度の障害を持つ人たちのコミュニティの中で仕事をしていることから、“障害者の立ち位置”に近いかもしれません。そこから見た安楽死と尊厳死は、名称が違うだけでいずれも不自然な死に方に見えます。つまり、患者が「こういうふうに生きたいという自分の思いを聞き入れられないまま死ななければならない」、言い換えると「死に追いやられている」ということだと思っています。どちらも患者本人の意思を前提としているように言われていますが、絶望している者に対してどのように生きたいかを聞き、その実現に向けて実際に支援する人はあまりいません。

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2020年11月号)


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