トシコとヒロミの往復書簡 第17回

本連載では、聖路加国際大学大学院看護学研究科特任教授の井部俊子さんと、訪問看護パリアン看護部長の川越博美さんが、往復書簡をとおして病院看護と訪問看護のよりよい未来を描きます。さあ、どんな未来が見えてくるのでしょう。

井部俊子さんから川越博美さんへの手紙

賢い消費者を増やそう

文:井部俊子

 

この記事が読まれるころには、2017年ももう最初の1カ月が終わっているでしょう。どうしてこんなに早く時が過ぎていくのでしょうか。と、ここまで書いて、そういえば以前に『なぜ年をとると時間の経つのが速くなるか 記憶と時間の心理学』(ダウエ・ドラーイスマ, 鈴木晶訳, 講談社, 2009.)という本を購入したことを思い出し、本棚から取り出して開いてみました。

 

フランスの心理学者ピエール・ジャネは、1877年に1年の見せかけの長さはその人の人生の長さと関係があると提唱しました。つまり10歳の子は1年をこれまでの人生の10分の1として経験し、50歳の人は50分の1として経験するというのです。

 

しかし、米国の哲学者・心理学者ウィリアム・ジェイムズはこの「法則」は主観的加速の描写であって説明ではないとして、年月の見かけの縮小の理由を、時間体験の中央に「記憶」を置いて説明しています。その部分を引用します。「(それは)記憶の中身が単調だからであり、またそのせいで、後で振り返ってみたときに単純化されるからである。若いころは、主観的であれ客観的であれ、毎時間ごとにまったく新しい経験をするかもしれない。理解力は活発で、記憶力もしっかりしているから、そのころの回想は、たとえば、慌ただしかったけれども面白かった旅行に費やした時間の回想のように、複雑で、内容豊富で、長々と続くものである。だが、年を過ぎていくうちに、この経験の一部は、私たちがほとんど心に留めることのない機械的な日課に転換され、日や週は追憶のなかで慣らされて中身のない単位になり、年は空っぽになって崩れていくのである。」

 

ドラーイスマは、人生が速度を増すという経験は、時の錯覚という現象の一部であり、時間体験は私たちの意識の中で起きることと関連しているというのです。あなたはどう思いますか。年を重ねていくと私たちの毎日は「機械的な日課に転換され」て、「空っぽになって崩れていく」説には賛成しかねますが、いずれにしても「光陰矢のごとし」です。過ぎゆく時に逆らうことはできませんね。

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2017年2月号)