タイのハンセン病セルフケア・クリニックで学生は何を学んだか

文と写真:森 淑江

 

患者さんはこの小さなクリニックにいる1時間でセルフケアを学び、残りの23時間は家で実践する。(クリックで拡大)

 

今年から始まった4年生の看護学総合実習では、実習分野は学生の希望によって決められますが、そこに国際看護学実習が選択肢の一つとして加わりました。これまで国際看護の授業は講義のみでしたので、いきなりまとめの実習としての国際看護学実習となるわけです。

 

どこでどのようにすれば、国際看護の考え方を理解して総合実習の目的に合う実習になるかを悩んだ末、タイで22年間ハンセン病の方を対象としたセルフケアクリニックを開いている、阿部春代さん(社団法人好善社)に受け入れをお願いすることにしました。

 

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Land Eternal-永遠の地と呼ばれる国から

文と写真:山中 郁

 

バヌアツ共和国・エピ島のラマン・ベイにて

 

東日本大震災をきっかけに10年以上住んでいた英国から日本に帰国し、早くも1年が経とうとしています。帰国直後の9月から今年の3月まで岩手県に住み、現地で震災復興事業に関わってきましたが、今年の4月から特定非営利活動法人(NPO法人)HANDSのプログラム・オフィサーに採用され、現在出張で太洋州のバヌアツ共和国に来ています。

 

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「インターナショナル ナーシング レビュー日本版」休刊のお知らせ

インターナショナル ナーシング レビュー日本版の読者の皆さまへ

 
このほど、「インターナショナルナーシングレビュー 日本版」は、現在制作中の158号(2012年秋号:10月1日刊行)をもって休刊することとなりました。
 
本誌は、1977年に東京で開催された第16回ICN大会によって、我が国の看護の国際的な視野が高まったことを機に、国際看護師協会機関誌「International Nursing Reviw」(INR)の日本版として、翌1978年に刊行を開始しました。世界の中でも、英語以外の言語にINRを翻訳する事業に取り組んだのは本誌が最初でした。
 
我が国の看護職者が、看護の国際的動向やICNおよび他の会員協会に関するニュースに触れ、またICN本部が各会員協会に何を伝えたいかを知ることを目的に誕生した本誌は、その後、翻訳記事だけでなく独自の日本版特集を組むスタイルとなり、国内外の看護の動きを大局的に捉える視点が加えられるようになりました。またここ数年は、看護系大学・大学院の増加に伴い、学術知識としての看護の情報提供を意識してきました。
 
しかし近年、対象とする読者の情報リテラシーが向上し、インターネットを介した主体的な情報収集に勝る価値を提供することが大変難しくなって参りました。とりわけICNトピックの翻訳を中心としつつ日本版としての独自性を追求していくことにおいて、本誌の枠組みをひとまず一から捉え直すために、この度の休刊という決断に至りました。
 
これを機に小社では、海外の看護の動向やアカデミックスキル、そして学際的アプローチにご関心を持たれる方々に向け、ただ目に見える「ニーズ」に応えるものではなく、新しい具体的な価値を積極的に提案していくような知識や情報の提供について、改めて考えていきたいと思っています。
 
本誌を通じて、これまでさまざまな出会いがありました。読者の皆さまのご意見、そして企画のご相談やお原稿のやり取りの過程で、看護と看護学の向上や発展という目的を真摯に共有させていただくことが、雑誌という営みの屋台骨になるのだと常々実感して参りました。
 
その成果として、今現在もさまざまな方々と、わくわくするような、いくつものアイディアの芽を育てている最中です。引き続きそれらを形にしていくことが、これからの大切な仕事です。「インターナショナル ナーシングレビュー日本版」の刊行は一旦休止となりますが、今後は書籍やセミナー、ネットを介した提供という方法で模索していきたいと思います。
 
皆さまには大変お世話になりました。長きにわたるご愛顧と多大なるご協力に、重ねて厚く御礼申し上げます。
 
 

株式会社日本看護協会出版会 雑誌編集部

「インターナショナル ナーシング レビュー日本版」編集長

村上陽一朗

コラム「海外でくらす、はたらく。」(157号)

 

 

「インターナショナル ナーシング レビュー」の連載コラム「海外でくらす、はたらく。」(最新刊:157号)のWeb版です。国内外で活躍する7人の“異邦人”看護師が、日々の暮らしと仕事について語ります。(バックナンバー:155号

〈※2013.1.18更新:執筆者のご厚意により、誌面掲載分のコラムも公開いたします。〉

 

 

 

◯「韓国で看護師をしよう」 吉野 淑代さん(韓国・ソウル)

私の夫は韓国人です。夫は私が看護師になることに大反対でした。あまりに強く抵抗するので、勉強していた試験用の問題集を全部捨てて諦めた時もありました…… 読む

 

 

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「韓国で看護師をしよう」

文と写真:吉野淑代
 

ソウルの中心部、鐘路にある公園。独立運動の発祥の地。1919年3月1日に4000~5000人の学生が集まり、次第に全国に広がっていったのですが、その時、独立万歳を叫びながら、この無数の大極旗(韓国の国旗)が振られたのでした。


 
韓国に住み始めてから16年が経ちました。来てすぐの頃は「こんな国にはとても住めない」と、よく泣いて日本に帰ることばかり考えていました。でも今は日本に帰ると逆に外国に来たような感じがするくらい、韓国に慣れてしまったかもしれません。
 
長くこちらで暮らす中で、今後はもう看護師として仕事をすることはないだろうと思っていましたが、2000年を過ぎた頃、「韓国で看護師をしよう」と、心の中で何かが甦って再び看護師になりました。韓国に来た当初、そんなことは夢にも思いませんでしたが……。
 

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