暮らすことの苦労、働くことの苦労

文と写真:森 淑江

 

ネパールで初の看護師国家試験実施(JICAネパール事務所、新関調整員撮影)

このコラムのタイトルは「海外でくらす、はたらく」ですが、現在の私の本拠地は日本にあります。長期間海外で「くらす」生活はなくなりましたし「はたらく」ことも出張程度ですが、昨年は9回海外に出て合計すると3カ月間、1年の4分の1は日本の外で暮らしていたことになります!
 
過去には長い時では4カ月間、日本を留守にしていたことが2回ありましたが、さすがにその時は大丈夫か?と内心思いつつ「(大学がどこまで許してくれるか)限界に挑戦」と、周囲には笑い飛ばす振りをしていました。思うに、十分に成果を上げて「はたらく」ためには、どこでどのように「くらす」かが大事です。


 
海外では、1カ月くらいまでの出張ならホテルで暮らし、それ以上だとアパートを借りることがあります。先進国ならどこの暮らしでもいいでしょうが、私の出かける先はもっぱら途上国。住まいに恵まれたという記憶があまりありません。スリランカのあるホテルでは、深夜にチェックインして部屋に入ったら電気がつかず真っ暗(泣)というトラブルに始まり、テレビが見られない、バスタブの排水ができない、休日も工事の大音響で寝ていられないなど、毎日何かしら問題が発生しました。
 
苦情の相手はレセプショニスト、アシスタント・フロアマネジャー、フロアマネジャーとだんだん昇格し、最後は総支配人までたどり着きました。部屋は1カ月間に5回替わった挙句、ついにはエクゼクティブ用に格上げされて、ようやく普通に満足できる生活が叶いました。
 
ウズベキスタンでは2カ月間のアパート契約なのに、1カ月目の終わりに大家から「他の人に貸すことにしたので出て行ってほしい」と言われて驚愕。正式な契約書があるので私が出て行く必要はないと、他の人との契約を撤回させた上で、留守中に内見のため誰かが入ったかもしれない部屋にこれ以上は住めないと思い、すぐに他のアパートへ移りました。
 
ニカラグアの大学では、大学所有の電話もテレビもないゲストハウスで水シャワー(後に自費でお湯の出る装置を設置)と、トイレ付きの小さな部屋を与えられ、4カ月間生活しました。停電と断水が何回あったか知れません。ある晩、台所で夕食の支度をしていると突然玄関の扉が開き、見知らぬ男性4人が無言でなだれ込んできました。とっさに別の扉から外に逃れ、JICA職員に連絡してホテルへ連れて行って貰いました。
 
翌朝、学部長がホテルに迎えに来て「お願いだからゲストハウスに戻ってほしい」と、ようするにその無礼な男性たち(海外から来た教員らしい)と1週間同居することを迫ってくるのです。当然拒否する私に学部長は「ホテルにだけは泊まらないで。誰か教員の家に泊まって」という妥協案をのませようとします。大学のメンツがあるらしいと察した私は、その教員の家に行くことにしました。
 
しかし驚いたことに、ベッドが2つあるたった6畳ほどの部屋を、1週間のあいだ教員とシェアすることになったのです。ホームステイの協力隊員でさえ個室を与えられるものなのに……。海外で「くらす」ということは、交渉と危機管理の連続です。
 
「はたらく」ことについては、最近は自分で技術指導をするより青年海外協力隊員の後方支援活動として、もっぱら配属先を回って隊員の活動ぶりを見たり、相手国政府や関係者と協議をしています。現在約180人担当している保健師・助産師・看護師の協力隊員や、シニアボランティアの活躍ぶりには目を見張ることがしばしばです。
 
5月11日にネパールで初の看護師国家試験が実施されました。その陰には同国看護評議会に派遣されていたシニアボランティアの宮本圭さんの尽力がありました。看護師資格は看護学校・大学の卒業で与えられる国の他に、卒業後に看護評議会や医師会などに登録することで得られる国や、日本のように国家試験を受験して合格後に看護師として登録する国など制度はさまざまです。
 
ネパールはこれまで、卒業後に看護評議会に看護師登録する仕組みでしたが、看護学校の乱立により教育レベルが落ちている現状では看護の質を保証することが困難です。そのため国家試験の導入が決定され、その支援のために宮本さんが派遣されたのです。
 
彼女は政治的圧力に加え、私立学校経営者や学生など多くの反対の動きの中で、関係者と粘り強く協議を重ね、関係会議の開催や全国でのオリエンテーションの実施、試験要項と問題作成の支援などを行いました。試験は学生の妨害によって6日間延期された末、実施当日は強制ゼネストの中、警察車輛の警護を受けて試験問題が搬送され、ようやく実現にこぎつけました。
 
日本の看護師が一つの国の看護師資格取得制度の変革に大きく貢献した歴史的な日でした。


もり・よしえ
群馬大学教授。国際看護学の研究と教育に携わる一方、独立行政法人国際協力機構(JICA)青年海外協力隊事務局の技術顧問を務める。



コラム「海外でくらす、はたらく。」(INR 157号)

“異邦人”看護師7人の日々を、誌面とWebで紹介