@wnursing せかいのつぶやき #06「ナーシング・コレション&アート」〈最終回〉

text by Yumi Fukumoto

 

皆さんが学ばれた母校の卒業記念グッズには、どんなものがありますか? イギリスや北米などでは日本でも一般的なアルバムの他に、カレッジ・リングも定番です。また、看護系の学校ではピンバッジやランプなどをつくり、卒業の儀式としてピン授与式(pinning ceremony)を行う所も多いようです。

 

それぞれに学校独自の装飾が施されていて、歴史的に貴重なものやデザインが際立って美しいものは、ビンテージ・アイテムとしてコレクターの間で売買の対象となっています。卒業記念グッズ以外にも、歴史的な写真やポストカード、古いユニフォーム、ライセンス証といったさまざまな品が収集されており、eBayなどのオークション・サイトも取引の場になっています。

 

コレクターの一人で、インターネット上にアンティーク・ショップを開いているニューオーリンズの看護師@nursingpins(Vernon Dutton)さんは、時々そうしたコレクターズ・アイテムに関するツイートを投稿されます。彼のショップ・サイトはさながら歴史資料館のようです。今回はその中から印象深かったものを紹介しましょう。

 

 

●ペプロウの卒業写真

 

ポッツタウン病院付属看護学校の1931年卒業アルバムより(ペプロウは後列左端/Hildegard Peplau's Grad­u­a­tion Photograph, Pottstown Hospital School of Nursing, 1931)

 

精神科看護の母と呼ばれている、ヒルデガード・E・ペプロウ(1909〜1999)は、1931年に故郷ペンシルベニア州ポッツタウンの看護学校を卒業後、ベニントンカレッジで心理学を学びます。


1943〜1945年までは陸軍看護師団の任務に就き、その後、コロンビア大学で精神科看護の修士号(1947年)と教育学の博士号(1953年)を取得します。その間の1952年には、歴史に残る名著『Interpersonal Relations in Nursing(人間関係の看護論)』が出版されました。

 

彼女は後にアメリカ看護アカデミーの会員となり、アメリカ看護師協会(ANA)の会長やICNの役員も務めています。ペプロウのキャリアは、ポッツタウンの看護学校から始まったのです。

 

 

●100年前の看護学生

 

1900年に撮影された、メンフィス・シティ病院付属看護師トレーニング・スクールの学生(Memphis City Hospital Training School for Nurses - Student Photograph, 1900)

1900年当時の看護学生の写真は数が少なく、メンフィス・シティ病院付属看護師トレーニング・スクール(現在のメンフィス・リージョナル・メディカルセンター)のこの写真は、その中でも貴重なものだそうです。

 

写真の説明には「写っている学生がこの写真を友人にプレゼントした際、”Julia H. Ebendicke, Oct, 1901″と裏書きをしている」とあります。アメリカ看護教育の黎明期だった1887年9月28日に創立した、アメリカ南部でも最も古い看護学校の1つだそうです。

 

「1887年12月に最初の学生、Lena Clark Angevineが入学した。彼女はテネシーの看護師の先駆者として知られている」という解説がありました。由緒あるトレーニング・スクールでしたが、1898年、新たにメンフィス・シティ病院付属看護学校が設立されたため、閉校となりました。

 

 

●最初のピンバッジはティファニー社製

 

ベルビュー病院付属看護学校の1929年卒業記念ピンバッジ(Bellevue Hospital School of Nursing Graduation Pin 1929)

ピンバッジと授与式の歴史は1860年代、ロンドンのナイチンゲール看護学校が起源。クリミア戦争での功績に対して赤十字表彰を受けたナイチンゲールは、その栄誉を広めようと優れた卒業生に表彰メダルを贈ったのだそうです。

 

最初の卒業記念ピンバッジは、1880年にティファニー社がデザインしたニューヨークのベルビュー病院付属看護学校のもので、中央に寝ずの番をする鶴を配置し、“Bellevue”の文字が入った「不変」を表すブルーの円がそれを囲み、さらにその外側を「慈悲と苦しみからの救済」を表すポピーの花輪が囲んでいたそうです。

 

写真のピンバッジは1929年のものですが、それとほとんど変わっていないようです。ベルビュー病院付属看護学校は、1873年にナイチンゲールの看護の原理に基づき、アメリカで設立された最初の学校です。

 

当初は清潔維持や整理整頓、患者への癒しなどの基本的な指導が中心でしたが、1870年代後半になると医師が解剖学や生理学、衛生学を教えるようになります。そして1880年は、ちょうど学校の成長が著しかった時期に当たります。卒業式でのピン授与のセレモニーは、1916年頃にはイギリスと北米で広く行われるようになっていたそうです。

 

 

●「アメリカで最も素晴らしい病院」


ルーズベルト病院付属看護師トレーニング・スクールの1909年卒業記念ピンバッジ(Roosevelt Hospital Training School for Nurses Graduation Pin, 1909)

写真の説明書きによると、ルーズベルト病院は1871年、創設時の後援者であるセオドア・ルーズベルト大統領の叔父、ジェームス H. ルーズベルトにちなんで名前が付けられたそうです。創設当時、「アメリカで最も素晴らしい病院」と報道されました。

 

1917年の第一次世界大戦では、ルーズベルト病院部隊の医師2人と看護師6人が戦死しました。部隊の指揮官であったCharles Peck大佐は特別従軍勲章を、4人の看護師は戦功十字章を授与されました。

 

同病院の付属看護学校は1896年に開校しました。写真の卒業記念ピンバッジ(1909年)は、最も美しく貴重なものの1つだと書かれています。3つの羽は「私は務めを果たします」という看護師のモットーを象徴しているそうです。

 

 

●アフリカ系アメリカ人女性のための最初の看護学校


とても珍しい、ハーレム看護学校の1910年卒業記念ピンバッジ(Harlem School of Nurs­ing Graduation Pin, 1910 )

写真の説明には、歴史的にも非常に貴重なピンバッジだと書かれています。ニューヨークのハーレム看護学校は、アフリカ系アメリカ人女性のために創設された施設で、1907年から主に産科と小児科の指導を行っていました。この看護学校は、1923年に設立されたハーレム病院付属看護学校の先駆的役割を果たしました。

 

 

 

●人生を捧げた看護学校


ウィルコックス看護カレッジは、1908年にコネチカット州ミドルトンのミドルセックス病院による指導の下、トレーニング・スクールとして開校したと解説されています。1932年には看護学校となり、9年後、全米看護連盟の認定を受けた73校のうちの1つです。

 

オナ・M・ウィルコックス看護学校の卒業記念「知識のランプ」(Ona M. Wilcox School of Nursing Graduation Lamp of Knowledge)

1958年にミドルセックス・メモリアル病院付属看護学校と校名を変えました。多くの学生が卒業後も病院に留まって働きましたが、オナ・M・ウィルコックスもその1人でした。彼女は1925年に卒業後、産科婦長などを経て副校長を務めました。

 

その後、コロンビア大学で学士号、ニューヨーク大学で修士号を取得。1943年には母校の校長に任命されます。1970年の引退まで30年近く務めた彼女を称えて、理事会は校名をオナ・M・ウィルコックス看護学校に改めました。

 

時を経て、1992年にウィルコックス看護カレッジとなって間もなく、1997年に同校は68人の卒業生を最後に閉校しました。写真の美しいランプは1970年代のもので、この学校のコレクションは希少とのことです。

 

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●ナース・キャップを描き続ける

 

さて、コレクターとは趣を異にしますが、ナース・キャップにこだわりを持って、絵を描き続けている看護師アーティストがいます。@Nursingcapart (Marlyn Boyd)さんは、ナース・キャップの歴史に詳しく、アカウント名にも“cap”の文字が入っています。彼女のブログには、写真とともに次のような投稿があります。

 

「この若い看護師は、新鮮なチャレンジ精神に満ち、務めを果たし、学び、ケアを提供したいという熱意に溢れていて、看護のすべてと可能性が表れていると心底思う。卒業の証である黒線のついた、エレガントで風格のあるキャップの下に、注意深く髪をまとめている姿はまさにプロだ。ユニフォームにはスクールピンを誇らしげに着けていて……。あら、ちょっと待って。これって昔の私だわ!」

 

看護師のユニフォームに身を包み、胸を張ってにっこりと微笑んでいる彼女の写真からは、初々しい自信と誇りが感じられ、将来への期待感が伝わってくるようです。

 

ブログによると、数年前に自動車事故で大けがを負った時、看護師の仕事の様子を直接目の当たりにし、その際に「(医療関係者の中で)誰が看護師なのかがわからず、伝統的な看護師のシンボルであるナース・キャップのことや、自分にとってのキャップの意味を考え始めた」と語っています。

 

怪我と手術とリハビリで無気力になっていた彼女は、それを乗り越えるために油絵を始め、最初に描いたのが自分自身のナース・キャップだったそうです。現在、すでに看護職はリタイアされましたが、彼女はそれ以来看護職のイメージ、特にナース・キャップを看護のシンボルとして記録しようと、絵を描き続けています。今後は看護の歴史資料センターなどに作品を寄贈する計画を立てているそうです。

 

コレクターやアーティストは、自分が楽しむことに加えて、貴重な看護の歴史を伝える役割も担っているようですね。

 

※記事中の写真は、Vernon Duttonさんの許可を得て掲載しました。


 

153号, p.96, 2011.より)

 


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