トシコとヒロミの往復書簡 第12回

本連載では、聖路加国際大学大学院看護学研究科特任教授の井部俊子さんと、訪問看護パリアン看護部長の川越博美さんが、往復書簡をとおして病院看護と訪問看護のよりよい未来を描きます。さあ、どんな未来が見えてくるのでしょう。

川越さんイラスト

川越博美さんから井部俊子さんへの手紙

訪問看護の“最大の顧客”
文:川越博美

夏の暑さの中で、訪問を続けています。

井部さんが応援してくださった「ナース社長」は今、確実に増えています。カスタマー・エクイティの考え方も紹介していただき、参考になりました(実践者にとってはやや難解でしたが)。

「訪問看護師が経営者になる」。1992年に老人訪問看護制度が始まったころから声高に叫ばれていたことです。しかし当時、訪問看護師は管理者にはなれても事業主にはなれず、経営者ではありませんでした。それでも事業主は名目だけで、実際は経営をしていた訪問看護師が多くいました。またそうあろうと努力もしました。

しかし、経営といっても、収入を増やす道は訪問看護の回数を増やすことしかありません。「人件費を抑えて訪問回数を増やす」、それが当時の主な経営戦略でした。なんと低レベルな戦略でしょう。私たちは、収入を確保するために、研究班に参加して研究費をもらったり、活動のための補助金をもらったり、企業に協力して在宅ケアに関する商品開発に知恵を貸したりしました。それでも赤字が続き、診療報酬を上げてもらう以外に方法はないと、ロビー活動もしました。仲間と厚生省(現:厚生労働省)に行って「報酬を上げてもらえなければ訪問看護の管理者は首をくくるしかない」と担当官を“脅し”ました(実際には脅したつもりはないのですが、訪問看護ステーションの窮乏をデータで示して訴えました)。

経営は困難な時代でしたが、せっかく看護に報酬がついたのだからと、なりふり構わず収入を増やす道を模索し、訪問看護、訪問看護と叫ぶ私たちを、「訪問看護師は暑苦しい」と評した病院看護師もいました。「なぜ看護師が経営者になるのか、経営の専門家に任せたほうが事業は成功するのに」と言った、訪問看護ステーションで実習した医学生もいました。

「訪問看護の最大の顧客は医師」と、看護専門職団体の訪問看護指導者が講演で話されたこともあります。医師の訪問看護指示書がなければ訪問はできないし、医療処置は医師の具体的な指示がなければできないという状況から、そう言われたのだと思います。訪問看護事業を制度化するとき、日本医師会は訪問看護指示書を医師が書くことを条件に認めたという政治的な背景があったとか。事実かどうか私には確認できません。

医師の指示書について、東京訪問看護ステーション連絡会(現:東京訪問看護ステーション協議会)で調査したことがあります。まだ東京に訪問看護ステーションが49カ所しかなかったころですが、アンケートにはその8割が協力してくれました。回答したステーションの6割では毎月きちんと医師から指示書が届いていましたが、3割弱はステーション側から依頼し、催促しなければ届いていませんでした。さらに、回答の6割では3カ月間、医師の指示書の内容が変わっていませんでした。

2000年に介護保険制度が誕生してから、最大の顧客は医師からケアマネジャーに代わりました。在宅ケアの相談はまずケアマネジャーにと、行政も専門家も誘導しました。手元にある在宅のがん患者のためのリーフレットにも「ケアマネジャーに相談しましょう」「こまめに連絡をとりましょう」という文が目立ちます。医師や看護師、多職種に相談しようとも書かれていますが、ケアマネジャーに頼めばすべて道案内をしてくれるとの意味合いに読みとれます。

医療依存度が高い人は、訪問看護師とケアマネジャーが相談しながらケアプランをつくるのが理想的ですが、現実は病院の看護師もまずケアマネジャーに連絡し、計画策定を任せてしまう傾向があります。依然、訪問看護の最大の顧客が「利用者」ではないのは残念です。訪問看護が利用者にとって価値ある、顧客が支持してくれるサービスにならなければと思いますが、現状では、訪問看護は医師・ケアマネジャーなどが仲介して利用者とつながることが大半です。その意味でも、PRは重要です。中でも「口コミ」が有効でしょう。口コミはカスタマー・エクイティの基盤になるように思います。

半面、規制緩和により訪問看護事業にも大きな資本が投入されるようになり、口コミだけに頼ってはいられない時代がやって来ました。井部さんが力説してくださった「訪問看護ステーションビジネス」の流れは、訪問看護に支払われる報酬が上がり、提供できるサービスが多様化したことで、一気に加速しました。しかし、ビジネスがもたらす収益は、訪問看護サービスを利用者に喜んでもらえるサービスにするために使われなければ、訪問看護ビジネスは国民の幸せにはつながりません。ただ「お金が儲かるから」ではなく、「よりよい看護サービスを届けたいから」のビジネスであることを、肝に銘じておきたいと思っています。

話はがらりと変わって、井部さんにお考えを聞いてみたいことがあります。私は在宅で、がん患者をケアしています。自分の最期のときを思い、自宅で最期のときを過ごす人々から、人はどんなときにも希望を持てる、どんなに弱っていても成長し続ける存在だと教えられてきました。その場にいて支援できることをありがたいと思い、看護の醍醐味を味わってきました。

しかし新薬が登場し、最近は免疫チェックポイント阻害剤などで延命の効果が著しく高まっています。このような状況下で、人が自分の最期について真剣に考えることが少なくなってきたように思います。医療の進歩はうれしいことですが、人はいつか必ず死ぬ存在だということを、自分のこととして考えるチャンスがなくなってきているような気がしてなりません。

医療が進歩する中で生と死を支えている訪問看護師は、ただ訪問してケアを提供していれば済む時代ではなくなった気がします。自分の考えがまとまらないまま井部さんのお考えをと無理なお願いをしてることを、お許しください。

 

→続きは本誌で(コミュニティケア2016年9月号)