特集:ナイチンゲールの越境 ──[建築]
日本の近代病院建築
尹 世遠
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◎ 連載の予定
Part 1:近代病院建築事始め──新しい内容と形式
Part 2 病院建築と社会──伝染病・制度・お金
第4話……伝染病と病院
[避病院と伝染病院]
第5話……制度と病院
[取締規則と等級別入院料]
第6話……お金と病院
[施療病院と実費診療所]
Part 3 病院建築計画の展開──衛生と患者(そして看護)
第7話……病院建築の型をめぐる議論
[片廊下式病棟と分割された病室]
第8話……病室規模の問題
[「患者」の発見]
第9話……パビリオン型からブロック型へ[重視されなかった「看護」の観点]
[ 最後に ]
第10話……なぜ日本にはナイチンゲール病棟が(ほとんど)なかったか
全体の構成
この連載では、明治維新前後から1940(昭和15)年頃までの近代病院建築の流れを10回にわたってお話ししていきます。
最初の3回では、日本の近代病院建築のいくつかの出発点を取り上げます。長崎養生所で学んだ松本 順(良順)を通して、病院という新しいタイプの建物が、どのような内容をもつものなのかを考えてみます。それから、明治の早い時期に建設された陸軍病院と海軍病院の事例を通して、病院のつくり方の典型的な方法を見ておきます。言い換えると、病院という建物がもつ新しい内容に対して、病院建築がどのように形式を与えていったかという、最初の場面を見ていくことになります。
次の3回では、病院建築が社会との関係で形づくられる過程で、特に興味深いと思われるシーンを3つ取り上げます。近代の医療において最も重要な課題だった伝染病(感染症)に対して、病院建築がどのように対応していったか、そして、今でいえば施設基準(構造設備基準)のような制度はどのようにつくられていったかを追います。それから、お金(医療費)と病院建築の関係を、病室の大きさという観点から切り取ります。
7回目から9回目では、建築計画学的な観点から、病院建築をめぐる論点がどのように変化していったかを追います。主に建築分野で書かれた論文や記事を中心に見ていきますが、キーワードとなるのは「衛生」「患者」「看護」ですので、建築を専門にしない方にも興味をもっていただけるのではないかと期待しています。
以上のように病院建築の流れを見ていくと、ナイチンゲール病棟にも触れることになります。実は日本にも、ほぼナイチンゲールが考えた形での病院(病棟)がごく少数ながら存在したことがあります。ナイチンゲール病棟の受容と展開を、病院建築をめぐる課題の展開に即して考えると、とても興味深い点があります。そこで、この連載の最後に、日本にはなぜナイチンゲール病棟がほとんどなかったかという問題について、考えてみることにします。
過去の話をすることになりますが、中心となる課題や論点については、現在にも通じるところがあると考えています。また、今でも病院建築の設計者にある種のインスピレーションを与え続けているナイチンゲール病棟の受容もしくは非受容の観点は、私たちが今後の病院建築を考えるときにも、役に立つものがあるのではと期待しています。
最後に
筆者について紹介しておきます。私は大手建設会社の医療福祉施設を専門とする部署に勤めています。病院の建設に関する企画・構想、事業計画の検討などをお手伝いするのが主な業務です。病院建築の歴史については、大学院で長澤泰先生(関連記事:「建築家が読む『病院覚え書』」)に学んでいたときに研究しました。この連載はそのときにまとめた博士論文をベースにしています。
大学での研究と現在の仕事は一見つながらないように見えるかもしれません。実は研究の過程でいろいろと興味の中心が移ってしまい、その結果として現在の仕事に就いたと言ってよく、自分の中ではつながっています。というのも──幸か不幸かわかりませんが──日本の近代病院建築の流れを研究していたら、個々の建物の具体的な在りようを決める設計やデザインより、その前の段階のことに興味をもつようになったからです。例えば、病院を建設するそもそもの理由や目的、社会との関係、施設計画全体の方向性やコンセプトなどです。こうしたことは諸室のレイアウトやデザインの前に議論され、与条件となる部分であり、設計の前の段階で必要となる仕事なのです。
ただ、普段の実際の業務の中では、研究を通して得た知識そのものを活用できる場面はあまりないのが事実です。ですから、今回、このような形で皆さんにお話しする機会を得られたことを大変うれしく思っています。
それでは次回から、日本の近代病院建築についてお話しすることにしましょう。
◉引用・参考文献