特集:ナイチンゲールの越境 ──[建築] セント・トーマス病院訪問
1987

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セント・トーマス病院の全景(取材当時撮影は筆者

西村 かおる

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ナイチンゲール病棟は、20~30人の患者を1つの看護単位とした間仕切りなしの200畳の広さをもつ、ワンルームのいわゆる"大部屋"で、病室中央付近にナースステーションが設置され、看護師が効率的に患者ケアを行えるように工夫されていました。フローレンス・ナイチンゲールにより提唱されたこの病棟スタイルは、19世紀後半に世界中の病院建築で採用されます。

 

<参考記事>

>> 建築家が読む「病院覚え書」

>> 感染症医が読む「病院覚え書き」

 

1871年に建てられた英国ロンドンのセント・トーマス病院南病棟は、ナイチンゲール病棟の典型として知られており、100年以上の歴史を誇っていましたが、プライバシーを重視する現代社会では時代遅れとの声が高まり、1987年に惜しくも解体されてしまいました。

 

月刊「ナーシング・トゥデイ」1987年4月号(第2巻 第4号)日本看護協会出版会刊

1986年に創刊した本誌は、臨床を支える中堅リーダーナースに向けた情報誌として30年近くにわたり看護界へ貢献を果たした。2014年に休刊。

 

 

本リポートは、月刊「ナーシング・トゥデイ(現在休刊)の1987年4月号に「Nursing Today Report:今、百年の歴史をとじる聖トマス病院 ナイチンゲール病棟」として掲載されたものです。閉鎖が決まった南病棟の最後の様子が語られた貴重な記録を、30年の時を経てここに改めてご紹介します。再掲に快く同意してくださった執筆者・西村かおるさんに感謝を申し上げます。

編集部



広く明るく高い天井

 

しばしば絵葉書に登場するロンドンの巨大な時計台ビッグベン。その堂々たる国会議事堂の建物とテムズ川をはさんだ真向かいにセント・トーマス病院はある。さすがに国会議事堂の建物には負けるとしても、100年以上の歴史をもち、教育病院として、イギリス医療の第一線を担いつづけるその風格は素晴らしいものだ。

 

ここには、1871年に建てられた南病棟、すなわちナイチンゲール病棟と、1966年に建てられた東病棟、そして1976年に建てられた北病棟の3つが同じ敷地内に建っている。

 

東病棟と北病棟は、読者が見慣れた日本の病棟に比較的近いと考えてよいと思うが、大部屋といっても4人、あるいは6人が最高で、ベッドの間も広く、日本よりはるかにゆったりとして静かである。では、問題の南病棟はどのような病棟なのだろうか。

 

ナイチンゲールのデザインと聞いただけで古びた建物を想像していた私にとって、案内された南病棟はあまりに明るく、そして広く、まるで体育館か工場に案内されたかのような気さえした。それは、高い天井と広い壁が、明るい卵色のペンキで染みなく塗り変えられているためだと気がついた。そして、もちろん、木造ではない。イギリスの古い建物の特徴である高い天井は5メートル近くある(もっと古くなると低くなるのだが)。

 

そのガランとした天井の下には、30のベッドが真ん中を大きく開けて15ずつ左右に向かいあって並んでいる。映画などでみる軍隊の寮のようだが、違うのはベッドとベッドの間がゆったりと2メートルはあることだろう。個室は1つあるのだが、ナイチンゲール病棟の特徴は一病棟、大部屋1つと考えてよいと思う。そして1つひとつのベッドの頭のほうに大きな窓がついている。残念なことに、窓からの景色は修復工事の様子しかみえなかったが、それでも広い窓を1つ確保できるということは、患者にとって大きななぐさめになるに違いないと思った。

 

患者は男女一緒だった。患者のまわりはすっきりとしていて、無駄なものは何もない。個人の持ち物としては、ねまき、洗面道具、少しの本など、それ以外は病院の物を使用するそうだ。患者のスーツケースさえも病室にはない。生活道具一式をベッドサイドに並べる日本とは大違いだ。

 

スクリーンを閉めている患者もいたが、ほとんどはすっきりと開け、30のベッドが見渡せる。といっても、端から端までは35メートル以上あるわけで、他の患者が何をしているかはよく注意しないとみえない。そんな2列に並ぶ30のベッドの真ん中に机が4つほどあり、そこがナースステーションだった。

 

カウンターもドアの仕切りも何もない。患者のベッドの延長に当たり前のように机が並び、そこで医師と看護師が記録をしたり、話をしたりしていた。もちろん、そこで引き継ぎを含むすべてが行われる。引き継ぎ時には患者をシャットアウトする日本の病棟しか知らなかった私には、なんだか不安に思えた。患者のプライバシーは保てるのだろうか。そして、看護師はくつろぐことができるのだろうか。

 

ナイチンゲール病棟には入口が1つしかなく、そこに2つのトイレがあるだけだ。入口から遠い患者にとってはかなりの距離だ。また、たった2つで足りるのだろうか。

 

あまりに日本の病院と違う様子に、疑問が次々に浮かんできた。

 

高く評価されている病棟構造

 

同じような疑問、批判が20世紀に入ってナイチンゲール病棟に向けられたらしい。プライバシーの欠如、騒音、経済性、感染の恐れ等、ワンフロアーの病棟ということからくる害はたくさんあるように思われる。

しかし、ここに注目すべきレポートがある。1976年2月から1977年8月まで北ロンドン工科大学の医療施設研究部門が行った3種類の病棟評価の研究結果1,2)だ。これは3つの異なったタイプの病棟利用者を医師、看護師、患者、その他の職種5タイプに分け、それぞれにインタビューをして得たものだ。その結果、ナイチンゲール病棟は高く評価されていたのである。

 

プライバシーは、他の生活音が大きいためにかえって保ちやすく、カーテンを閉めることによって守ることができる。逆に騒音防止を配慮した新しい病棟は静かすぎて会話がもれやすいという結果が出た。

 

また、看護師がなぜ忙しいのかひと目でわかるため、患者も協力的な姿勢になることが示された。施設も、誰が今トイレを使用しているのかわかるため、各々がゆずりあって使用することになり、とくに不都合はなかった。

 

以上の結果を裏づけるかのように、ナイチンゲール病棟に入院の経験をもつロンドンにお住まいのDさんは、次にように話してくれた。

 

「私は2回入院したのですが、1回目は大部屋、そして2回目は個室に入りました。大部屋のときはとても楽しかったわ。皆とても仲良くなって、私が手術後はじめて歩くときは1歩1歩声をかけて励ましてくれました。お花なんかも、たくさんもらう人とそうじゃない人といるでしょう。それがみえるわけよね。だけど自然に皆が均等になるように分けあって、チャリティの人が上手に生けてくれました。

 

看護師さんはいつもみえるところにいるから、とても安心でした。私が痛そうにしていると、呼ぶ前に気がついてくれて、『痛いの? 注射しましょうか?』って聞いてくれるので、自分から呼ぶ必要はありませんでした。夜、真ん中にいる看護師さんの机がみえるのは、本当に心強かった。1人じゃない、という気持ちでした。看護師さんとも仲良くなって、『昨日のデートどうだった?』なんて話したり……。

 

それに比べて、個室はとても淋しかったです。子どもが小さくて、個室は面会制限がない、という理由で選んだのですが、何か看護師さんに頼みたいときは、ドアをいちいち開けて看護師さんの様子を確かめたり、ベルを押すにも勇気が必要でした。そして娘が帰った後は誰も話し相手はいないし……、入院するなら絶対にナイチンゲール病棟がいいと思います」

 

孤独感から解放され、ニーズにもすぐに対応してもらえるのがナイチンゲール病棟の利点ということだろうが、他の患者への気がねなどはどうだったのだろうか。Dさんは次のように言う。

 

「消灯になっても自分のベッドの電気はつけていてもいいのですが、なんとなく皆、消していましたね。でもそれは苦ではありませんでした。ベッドについているイヤホーンラジオを自由に聞けたし、病気で入院していたのですしね。

話をしていても、多くの人が集まっているから気がねなく自分のベッドに帰ることができたし、小人数よりはるかによいと思います」

 

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西村 かおる にしむら・かおる

1957年高知県生まれ。日本三育学院カレッジ看護学科、東京都公衆衛生看護専門学校保健学科を卒業後、東京衛生病院に訪問看護師として勤務。その後イギリスにて地域看護を学ぶとともにコンチネンスアドバイザーの存在を知り、排泄ケアを学ぶ。1990年、コンチネンスセンター(排泄ケア情報センター)を開設。現在はNPO法人日本コンチネンス協会会長、コンチネンスジャパン株式会社専務取締役などを務め、全国各地の病院でコンチネンスのアドバイスに奔走している。山梨大学大学院医学工学総合教育部修士課程看護専攻在籍中。著書は『パンツは一生の友だち』『排泄ケアワークブック』『アセスメントに基づく排便ケア』など多数。このリポート執筆時(1987年)は東京衛生病院保健師でイギリスに在住していた。

[book]

ナイチンゲール病棟はなぜ日本で流行らなかったのか

長澤泰 他 著

四六判・148頁

定価(1,600円+税)

ナイチンゲールが提唱した病院建築とはどのようなものだったのか──ナイチンゲール病棟が病院建築に与えた影響を考察する、看護を「越境」した独創的な「看護 × 建築」本! >>詳細

ナイチンゲールは

なぜ「換気」に

こだわったのか

岩田健太郎 他 著

四六判・104頁

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教養と看護 編集部のページ日本看護協会出版会

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