セント・トーマス病院は12世紀に建設された歴史ある教育病院。ナイチンゲールの思想に大きな影響を受け、1871年にテムズ川の国会議事堂対岸に新築された。

(St. Thomas's Hospital, Lambeth: from the north bank of the river, in front of New Scotland Yard, traffic on Westminster Bridge in the foreground. Wood engraving, 1871 / CC BY 4.0)

ナイチンゲール病棟の基本単位空間は、病床周りに想定された幅8フィート(2.4m)、長さ12フィート(3.6m)、高さ16フィート(4.8m)の直方体、約14立米の気積である。大部屋の幅員は30フィート(9m)と提案されているので、この基本単位を両側の壁に直角に16床(計32床)並べると、長さ128フィート(38.4m)、高さ16フィート(4.8m)の直方体の気積が形成される。これが1つの大部屋病室の内部空間になる。

 

この空間は ①感染防止、②療養環境の向上、③容易な看護観察を旨に提案されたものであり、これらの目的のために表1に示すような詳細な記述が行われ、隣棟間隔、棟の向き、病床数、窓の寸法などが規定されたのである。この気積の中に、ナイチンゲール病棟の原理が集約されている。

 

ちなみに、基本単位空間の幅員は8フィート(2.4m)なので、ベッド自体の幅を0.9mとすると隣接ベッドとの間隔は1.5mとなる。筆者らが行ったベッド周りの基本的看護作業に必要な寸法の計測分析結果14)は奇しくも1.5mであった。移動式X線撮影装置を用いるなど、現代のベッド周り作業は当時と比べて複雑かつ広さを必要としているにもかかわらず、ナイチンゲールの提案した寸法が現在でも通用することは驚愕に値する。また、この寸法は隣接病床の患者からの飛沫感染を避けるための最低必要寸法であるとも聞く。

 

ナイチンゲール病院の原理を一言で言うならば、『病院覚え書』の前書きの冒頭で述べている「病院が備えるべき第一条件は、病院建築が患者に害を与えないこと」15)に尽きるのである。

 

ナイチンゲール病院は、特に英国では看護観察と病棟管理の容易さから、19世紀後半~20世紀前半にかけて唯一の病院形態とみなされた。また、ナイチンゲール病院の病棟配置、病床数、換気方法などの原理は、大英帝国の影響力も存在して、英国のみならずヨーロッパ諸国、南北戦争当時の米国、そして大英帝国植民地での病院建築に多大な影響を及ぼした。ナイチンゲール病院は、20世紀後半の我々が知る現在の病院形態に至る発展が開始されるまで、世界各地で病院建築のモデルとして君臨したのである。

 

 

1970年代までオリジナルな形態を残していたセント・トーマス病院のナイチンゲール病棟。

("Florence Nightingale" ward, St. Thomas's Hospital, Iconographic Collections / CC BY 4.0)

 

 

ナイチンゲール病院の典型例

 

セント・トーマス病院(St. Thomas’ Hospital)

 

19世紀に至るまで、病院全体面積の8~9割は病棟が占めており、病院の歴史は病棟の歴史であった。このような状況では、病棟の病室構成は全体計画に影響を与える。ナイチンゲール病院で採用された大部屋は、11世紀頃から修道院の大ホールに病人を収容したことに端を発している。しかし同時に、感染症や精神疾患の罹患患者、貴族階級や富裕層のために常に小部屋・個室が併設されていた。特に精神疾患施設では、個室を主体とした病院が18~19世紀に出現している。

 

英国ではヘンリー8世の宗教改革により、ローマン・カトリック教会領は没収され、付属病院は見捨てられた。その後9年もの間、貧しい病人のための収容施設は顧みられず、特にロンドンでは社会福祉施設の欠如の結果、巷にはこれらの人々があふれ悲惨な状況を呈した。かかる状況の改善のため、有力市民が私費を投じSt. Bartholomew’ Hospital(1123年)と St. Thomas’ Bethlem Hospital(1173年以前)ほか、2病院が建設された。

 

これらの母体は教会であったが、この時期に国王による支援団体が管理し、18世紀になると他の建物の「転用された平面」から病院機能に即した「計画された平面」の病院に建て替えられた。両者はともに中庭型を採用したが、St. Bartholomewは通風のため4隅を開放したのに対し、St. Thomas’ Bethlemでは閉じていたため悪評であった。ナイチンゲールも中庭型に言及しており、通風を阻害することや病棟の壁面すべてが日照を十分に得られないことを欠点としている。

 

St. Thomas’ Hospitalは、上記のようにSt. Bartholomew’ Hospitalと並びロンドンで最も歴史ある1,000床を擁する教育病院として有名であるが、ナイチンゲールの思想に多大な影響を受けて、1871年にテムズ川の国会議事堂対岸に移転新築された。それは現存するナイチンゲール病院の中で最も典型的なものといわれている。

 

1970年代にはまだオリジナルな形態を残した病棟として使用されていたので、その様子を記述しよう(図4)。病棟からの入口は中央廊下からの1か所に限られ、大部屋につながる廊下の両側には、師長室、リネン庫、ごみ置場、切り花準備コーナー、配膳室、そして手洗器付き個室があり、階段室とエレベーターに接している。大部屋病室は片側に15床、計30床が壁に直角に配置され、一番奥の1床ずつを除いて各病床間に縦長の窓が切ってある。

 

筆者注 ● Herbertでは2床ごとに窓が切ってあった。

 

 

図4 St. Thomas’ Hospitalの見取り図

病棟からの入口は中央廊下からの1か所で、大部屋につながる廊下の両側に師長室、リネン庫等と個室があり、階段室とエレベーターに接している。大部屋病室は片側に15床、計30床が壁に直角に配置され、一番奥の1床ずつを除いて各病床間に縦長の窓が切ってある。

 

 

大部屋中央の奥はデイスペースとして用いられ、テレビ1台と安楽イスが置かれている。3本の独立柱が中央に一列に並び、真ん中の柱の脇には作業流しがあり、その付近はナースステーションとして机と電話器、病歴ワゴンが置かれている。床は木製で、天井は高い。病棟端部にはバルコニーがあり、テムズ川を臨むことができる。右手隅の部屋には4個の洗面器、シャワー・浴槽各1器が備えられ、左手隅の部屋には便所ブース2個、便器洗浄器、汚物流し、使用済みリネン置き場となっている。大部屋病室には各病床にキュービクルカーテンがあるが、便所ブースとともに建設時には存在しなかったものである。病棟中央の暖炉は当時唯一の暖房装置であったが、その後、蒸気ラジエーターに交換されている。

 

 

病棟評価研究とまとめ

 

St. Thomas’ Hospitalは、第2次世界大戦中の空襲により多くの部分が損傷を受けたのを機に建て替え計画が始まり、1966年、一部を取り壊して手術部・救急部と病棟で構成される11階建ての東棟が建設された。1976年、第2期工事として敷地の北側に外来、中央診療棟、病棟で構成される13階+5階建ての北棟が建設された。この2つの新築工事の完了後、残った3棟のナイチンゲール病棟は南棟と呼ばれている。

 

1977年、18カ月の研究期間を経て「セント・トーマス病院の病棟評価16)が発表された。この敷地に100年を経たナイチンゲール病棟があり、1960年代と70年代に建てられた新しい病棟を同一の組織・スタッフが運営・使用しているので、異なる病院建築の型を比較するのに好適であった。看護職員・医師・管理者、そして入院患者へのインタビューを通して比較検討が行われた。

 

戦後、ナイチンゲール病棟の大部屋に対するプライバシーの欠如など、さまざまな批判があり、100年を経た古い病棟の評価は低いだろうと予想していた。しかし、驚くべき結果が得られた。南棟の患者やスタッフの満足度は低くなかったのである。詳細は割愛するが、ナイチンゲール病棟の持つ特徴が、機能のみを追求し続けた結果出現した我々が知る20世紀の病院建築に対して、ある意味での警鐘を鳴らしていたのである。

 

『病院覚え書』の中5)で、ナイチンゲールは「健康に影響を及ぼす因子で光に関連しているのだが、回復速度を著しく速めるものとして、冷たい壁ばかりを眺めていないで窓の外を見ること、というのを私自身の経験からつけ加えておきたい。窓の外ばかりではなく、明るい色の花々を楽しんだり、ベッドの頭のほうにある窓からの光で本を読むことができたりするのが、どんなによいか。一般には、こうしたことの効果は、心の中に現れるといわれている。おそらくそうなのであろう。が、それが、身体のうえにも効果を及ぼさないはずがないではないか17)と述べている。

 

1984年、テキサスA&M大学のUlrich教授は、外科病棟の入院患者の診療録を調べて、窓から緑が見える病室の患者のほうが、レンガの壁しか見えない病室の患者に比べて、手術後の退院日数が統計学的有意差をもって短期間であることを発表した18)。上記のナイチンゲールの経験が、科学的にエビデンスを得たといえよう。

 

筆者注 ●『病院覚え書』の最終章は病院統計を扱っているが、まぎれもなく、これは科学的エビデンスを重視するナイチンゲールの主張である。EBM(Evidence Based Medicine)が医学界で叫ばれて久しいが、建築界ではEBD(Evidence Based Design)が主流になりつつある。

 

歴史上初めて、ナイチンゲールが病院の機能的な定義を行って提唱したナイチンゲール病院。それが起点となり、西洋医学の診断・治療を実施する場として、20世紀後半に機能主義を信奉した病院が発展を遂げた。21世紀の現在、西洋医学の限界が語られ、東洋医学を含めた統合医学の可能性が検討されているが、ナイチンゲールが感染防止の視点だけでなく、根源的に重視している優れた建築的環境が患者の回復を促進することを改めて再考すべき時期ではないかと思われる。

 

「こと病院建築に関していうならば、病人および負傷者を速やかに回復させる最上のチャンスを提供するような建物を造ったときにのみ、建築家は自分の求める建築と経済とが実現したと自信をもってよいであろう19, 20)

 

 

● 引用・参考文献

  1. Nightingale F. : Notes on Hospitals. 3rd edition, enlarged and for the most part rewritten, Longman/Green, Longman/Roberts and Green, London, 1863, 187pp.
  2. 前掲書1),p.35.
  3. Thompson J.D., Goldin G. : The Hospital; A Social and Architectural History. Yale University Press, New Heaven/London, 1975, 349pp.
  4. Nightingale F. : Notes on Nursing. New edition, revised and enlarged, Harrison, London, 1860, 221pp.
  5. 前掲書1), p.102.
  6. 前掲書1), p.102-104.
  7. 前掲書1), p.56-89.
  8. 湯槙ます監:病院覚え書. ナイチンゲール著作集 第二巻, 現代社, 1974, 376pp.
  9. 長澤 泰:「ナイチンゲール病棟とその評価」. 英国医療施設研究 (2) ,厚生省病院管理研究所研究報告シリーズ No.7905, 1979年5月. 72pp.
  10. 前掲書1), p.107.
  11. 前掲書8), p.196.
  12. 前掲書1), p.4-5.
  13. Thorwald J.(塩月正雄訳):外科の夜明け.東京メディカルセンター, 1966,476pp.
  14. 長澤 泰, 上野 淳, 山下哲郎, 筧 淳夫:ベッドまわりの看護作業領域の分析. 日本建築学会大会学術講演梗概集,1986年8月.
  15. 前掲書1),p.iii.
  16. Noble A., Dixon R. : Ward Evaluation; St. Thomas Hospital. Medical Architecture Research Unit, The Polytechnic of North London, 1977, 154pp.
  17. 前掲書8),p.212.
  18. Ulrich S.R. : View Through a Window May Influence Recovery from Surgery. Reprint Series, Vol.224, The American Association for the Advancement of Science, 27 April 1984, p.420-421.
  19. 前掲書8), p.292.
  20. 前掲書1), p.106.

 

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