F. Nightingale, Notes on hospitals. "Description A design for convalescent hospital arranged as cottages" (CC BY 4.0)

特集:ナイチンゲールの越境 ──[建築] 感染症医が読む『病院覚え書』 ─ 細かく間違えるより、ざっくり正しく ─ 岩田 健太郎 profile

病院が病人に害を与えている!?

 

フローレンス・ナイチンゲールが『病院覚え書』(Notes on Hospitals)を著したのは1859年のことである。「感染症医として、本書について述べてほしい」という編集部の依頼を受け、私は第3版(1863年)を読んでみた。

 

── 実に興味深い。

 

冒頭。いきなり、「病院がそなえているべき第一の必要条件は、病院は病人に害を与えないことである」とある。そして、こう続く。「とここに明言すると、それは奇妙な原則であると思われるかもしれない」と。

 

ナイチンゲールは「病院は病人に害を与えないこと」が第一の原則であると考えていた。そのことは、取りも直さず彼女が「病院が病人に害を与えている」と考えていたことを意味している。そして、彼女はまた、世間はそれを「奇妙」に思うであろうと考えた。世間は「病院が病人に害を与え」るわけがないと考えていたのだ。ナイチンゲールと(当時の)世間一般の認識にはギャップがある。ナイチンゲールはだからこそ、冒頭にこの文句をもってきたのである。

 

では、現代の我々はナイチンゲールの言葉をどう思うだろうか。

 

一般の方々が病院に入院するとき、彼らはこう考える。「退院するときは、入院したときよりもずっと元気になっているだろう」と。「入院するとさらにひどい病気にかかるだろう」とは夢にも思っていないだろう(思っていれば、入院するまい)。しかし、我々医療者は知っている。「入院するとさらにひどい病気にかかる患者」など、少しも珍しくはないことを。それも、原疾患の増悪とは限らないことを。「病院が病人に害を与える」ことなどざらにあることを。

 

米国医学研究所(IOM)が、米国では毎年最大で10万人近くの患者が医療行為を原因に死亡していると発表したのはセンセーショナルであった1)。交通事故で4万人弱が毎年亡くなる米国で、これは驚異的な数字である2)。翻って、日本では何人の命が医療行為のために失われているのであろうか。確たるデータは存在しないが、おそらくは年間、万の単位を下回らないであろう。

 

一般の方々は「病院に入院して自分の容態が悪くなる」とは思っていない。悪くなってもよい、とも思わないだろう。病院が原因で病気になったり、死亡することも許容しないはずだ。我々医療者の多くがそれを「仕方ないこと」と肩をすくめ、「業界内の常識を知らない奴らは、これだから困る」と言わんばかりの目つきでサラリとこの現象を流してしまうのとは、実に対照的だ。

 

 

現状打開能力に長けたナイチンゲール

 

ナイチンゲールは、流さなかった。彼女の医療界、看護界への貢献は数多い。その貢献の源となった多彩な能力がナイチンゲールにはある。しかし、私が思うに、ナイチンゲールのもつ最大の能力、最高の武器は、「現実がこうだ」という説明に満足しない態度である。

 

世の中には2種類の知性がある。"現状説明能力"と"現状打開能力"である。前者は官僚に多いタイプで、業界のことにやたら詳しい。一種の、「業界ズレ」した業界オタクである。後者は業界の現状説明能力は必ずしも高くはない。業界の現状説明に興味もない。しかし、現状の問題を認識することはできる。あるべき(そして、現在は存在しない)未来のビジョンを描くこともできる。ビジョンから逆立ちして、現状とのギャップ、克服すべき障壁を認識することもできる。現状説明能力の高い人物にとって、障壁は「できない理由」である。彼らはこれを「できない理由」にし、現状維持の言い訳にする。現状打開能力の高い人にとって、障壁は「克服すべきハードル」にすぎない。彼らにとってハードルは「どうやったら乗り越えられるか」を観点に論ずるものであり、当然そこで立ち止まる理由にする気などサラサラない。

 

ナイチンゲールはもちろん後者であった。当時の病院・医療関係者はたくさんの言い訳、「できない理由」をもっていたであろう。いわく、カネがない。いわく、土地がない。いわく、「病院が不衛生なのは当たり前だ。戦場であればなおさらそうだ」。いわく、「この業界はそもそもそういうものなのだ」と。業界ズレした業界オタクは、あたかもそれが知性の証明であるかのような錯覚に陥りつつ、得々としてそのように上から目線で説明するのである。

 

ナイチンゲールは「現状説明」には満足しない。理想を追求する人物であった。では、病院・医療における「理想」とは何か。それは現状の問題点を理解することから導き出せる。

 

「現状の問題点を理解すること」は「現状説明」とは異なる。病院がどこにいくつある、何人が入院し、何人が退院し、何人が死亡し、……といった情報の集積こそが「現状説明」である。しかし、表層的な情報をいくら集めても「物知り」にしかなれない。大事なのは「なぜ、現状がそうなのか」という説明である。そのために必要なのが帰納法だ。ナイチンゲールは観察した。英国の病院における死亡率がそのセッティングによって大きく異なることを。当時、ロンドンの病院における死亡率は90%を超えていた。地方都市のそれが50%以下であったというのに。

 

 

「なぜ」病院によって死亡率の違いが生じるか──

の答えを求めて

 

観察データを大別すると2種類ある。一般解と例外事項だ。

 

これは、一般診療、一般看護で「実習」を行うときに意識すべき分類である。我々は患者にケアを提供する。そのとき目の前にある諸々の情報は、「他の患者にもアプライできる一般事項」なのか、「この患者に特有な個別の事象」なのか。一般化可能な事項については、他の患者にも適応させればよろしい。「この」患者個別の事項は、その患者にしか当てはめられない。どちらが大事というわけではない。しかし、両者を混同し、あるいは逆に取り扱えば、ケアは必ず失敗する。

 

ナイチンゲールは考えた。「なぜ」病院によってこれだけ多くの死亡率の違いが生じるのかと。この「なぜ」の問いを問える人こそが、現状を打開する人である。果たしてそこに一般解はあるだろうか?

 

表層的な理解では失敗する。もっとも表層的な理解は、「病院では死亡率が高い。だから病人は家で手当てを受けたほうがよい」である。我々には、現在いうところの「バイアス」の入り込む余地もたくさんある。もともと死亡率が高い患者を入院させている病院であれば、死者が多いのも当然だ。治りそうな患者しか診ない、重症患者を断る病院であれば死亡率は低くなろう。これがバイアスである。

 

ナイチンゲールはこのようなバイアスの存在可能性も無視をせず、自分の仮説──「病院の衛生状態を改善させれば、患者の死亡率は低下する」──を証明しようとする。その証明根拠は、パソコンと統計ソフトで大量のデータを用いた多変量解析が可能になった21世紀の目から見れば、それほど洗練されたものではないかもしれない。しかし、ナイチンゲールはデータを詳細に観察し、そして仮説を生成し、さらにその仮説の妥当性を真摯に検証した。こちらは帰納法の逆の脳の働き、演繹法の営為である。帰納法と演繹法、両者を駆使して詳細に事象を検証し、ナイチンゲールは自説である「病院の衛生状態がよくなれば、患者の死亡率は低下する」の正しさを導き出す。

 

  

 

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岩田 健太郎 いわた・けんたろう

神戸大学病院感染症内科教授。1971年島根県生まれ。島根医科大学卒業。沖縄県立中部病院、ニューヨーク市セントルークス・ルーズベルト病院、同市ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック、亀田総合病院を経て現職。論文、著書多数。近著に「感染症医が教える性の話」など。

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