谷口陽子 (たにぐち・ようこ 北里大学病院看護部 副看護部長 / 看護研修・教育センター長)
神戸大学医療技術短期大学看護学部卒。1988年4月北里大学病院入職、同病院呼吸器センター師長、教育専従師長を経て、2016年度から現職。2017年東京慈恵会医科大学大学院修士課程看護管理分野修了。
そして最大の疑問は、このプロセスにおいて職場に相談がないということです。それまでプリセプターや教育担当者・管理者が「負荷がかかり過ぎていないか」「食事や睡眠がとれているか」などと丹念に声をかけていても、新人看護師はつらさを微塵も見せない反応をします。そして、突然のメンタル不調や退職希望となってしまう状況です。
一体誰に相談をしているのか、もしかしたら、「相談」という概念を持たない人たちなのか……と考えてしまいます。Z世代の特徴として、横つながりに重きを置くが、親和性は低いと言われています。コロナ禍のステイホームにより他者とのかかわりが家族だけになり、友人とも離れてしまうことで、一人で不安と向き合うことに慣れてしまったのではないかと思います。その流れが就職後も続き、先輩や上司との関係性は重要視されず、同期も支え合う対象ではなくなってしまい、「誰かに相談する」までに至らないのではないかと推察しています。そこで、今年度は支援する側が相談を待っているのではなく、積極的に新人看護師にかかわり、「あなたのために存在している」という押し売りをすることを、私の所属する教育部門のスローガンとして活動しているところです。
新人看護師を迎える組織側は、2010年の厚生労働省「新人看護職員研修ガイドライン」の努力義務化を受けてさまざまな取り組みを行ってきました。教育体制を構築し、職場内での支援では「ほめて育てる」を合言葉に厳しい先輩をなんとか説得し、見守ることを徹底するなどの対応をとっており、新人看護師にとっては居心地がいいはずです。しかし最近、「ほめても伝わっているのかわからない」という声も聞きます。
金間氏は著書『先生、どうか皆の前でほめないで下さい──いい子症候群の若者たち』(東洋経済新報社)の中で、「ほめ=圧」「ほめられることによって自分に自信がないこととのギャップを感じること、ほめられた直後に、それを聞いた他人の中の自分像が変化したり、自分という存在の印象が強くなったりするのを、ものすごく怖がる」と述べています2)。「ほめる」を称賛ととると、それは出る杭となり、みんなの中に埋もれていたい新人看護師は無反応や嫌悪感を示すのではないでしょうか。金間氏は一方で「承認欲求はある」とも述べています。なんとも理解に苦しむ状況ですが、ここに今どきの若者との接し方のポイントがあると思います。
「承認」とは「事実を認めること」です。認められたことがよかったのか悪かったのかは、受け手の新人看護師が判断することになります。事実は本人も認識していることですから、受け止めます。それをどのように理解していくかは、経験の少ない新人看護師には、他者との振り返り、いわゆるリフレクションを必要とします。事実を伝えるフィードバックとリフレクションを合わせることによって、他者との関係性の中で、自分の思考や行動の傾向の理解につながります。
事実を伝え、ジャッジは本人、これは叱るときにも同じ流れです。共通理解できるところは「事実」だけです。そこから思考を広げていく作業が必要で、金間氏が 第1回 で述べているように、今どきの若者の支援に必要な「伴走」であると思います。
「分解して示す」が基本となるリフレクションが、看護師の思考の複雑さや重要性を認識していくプロセスにつながるのではないでしょうか。ひとつの例として、新人看護師の「できる」と先輩・上司の「できる」には乖離が生じています。新人看護師は、「やったことがある=できる」「頑張った=できる」ですが、私たち教育側は、「患者さんの安全・安楽まで配慮してやれた=できる」と考えています。乖離している部分である「患者さんの安全・安楽までの配慮」をリフレクションによって分解して示すことで、新人看護職員自身が求められていることを理解して行動できるよう、辛抱強く伴走することが必要です。
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「令和時代の新人」は、社会によって作られ、コロナ禍の体験によりその特性が固定化しています。今どきの新人看護師は「看護職として働く」という職業的アイデンティティが低いうえ、入職時にはすでにできあがっているコミュニティに入っていくという高いハードルもあります。新人看護師がこの難関を突破し、「看護職としてやっていこう」と覚悟を持つまでには、彼らの自己肯定感と自己効力感を高めていく支援が必要です。日々、新人看護師一人ひとりと向き合い、フィードバックのシャワーによって、看護の楽しさ、尊さを見出せる支援が必要であると考えます。
●引用文献