EBMと「科学的な医療」は同義ではない
斎藤 ところで、野口先生は最近のご発表などでは、セオリーとナラティブにさらにエビデンスという言葉を加えて論じておられますね。
野口 臨床の領域ではエビデンスという言葉が大変重要視されていますが、ナラティブとセオリーとの関係を考えてみると、ちょうどその中間に位置するのです。エビデンスはあくまで統計的な関連が確認されているだけであって、必ずしも論理的に説明がついているわけではありません。したがって臨床に飛び交っている言葉はこの3つになるのではないかと。一般的には、セオリーが非常に強い力を持っていて、他を抑圧する形になっていましたが、セオリーの裏付けであるエビデンスすらまだしっかりしていないことがわかってきた。こうした三者の力関係についてもっと関心をもつべきではないか、ということです。
斎藤 実に興味深いです。エビデンス・ベイスト・メディスン(EBM)は「科学的な医療」とほぼ同じ意味であると理解されがちですが、エビデンスという概念が出てきた時に対抗していたものは実はセオリー、つまり「理論的な医学」だったのです。医療実践は理論どおりにはいかないものだから、経験的に実証することが重要だという考え方です。EBMにおける実証とは「人間を対象とした現実場面において、経験的に証明できる」ということなのです。しかし医学の中にいる多くの人は、セオリーとエビデンスをひっくるめて科学的な世界と受け止めているので、どんな患者にもエビデンスを一律に適用しようとする傾向があります。しかしこれは間違っています。エビデンスはあくまで確率論であり、理論をそのまま現実に当てはめようとすることへの批判を踏まえて出現してきたものなのです。
さらに言えば、エビデンスをていねいに実践していくと、医療実践における現実の不確定性が浮かび上がってきます。最終的には、セオリー、エビデンス、ナラティブという3つそれぞれを必須の概念として使い分け、統合しつつ、ナラティブ的なものに行き着くのではないか、というのが私の考える医学の流れです。少なくともセオリーの限界というものがもう少し強調されるべきだと思います。
野口 科学研究というものは基本的に統計的検定をして事実の関係性を示すことで、有力な学術雑誌にその主張が載るわけですから、そういう意味ではそもそもセオリーと呼べるものが一体どれだけあるのかという話になりますね。
この座談会の続きは「ナーシング・トゥデイ」2014年12月号(vol.29 no.6)の誌上で紹介しています。ナラティブ・ベイスト・メディスン(NBM)の実践に欠かせない、臨床現場での「良質の対話」とはいったいどのようなものかといった議論のほか、野口先生が今注目されている「感情」を医療者はどのように捉え、扱うべきかについてのヒントを、石垣先生がこれまで患者さんと数多く重ねて来られた体験を通してナラティブに紹介されています。
(2014年9月20日・青山ダイヤモンドホールにて)
写真:坂元 永
『ナラティブ(NBM)とかエビデンス(EBM)とか看護研究とか、さっぱりわかんない!というナースのための ナラエビ医療学入門』(斎藤清二著/日本看護協会出版会)
「ナラエビ医療学」とはナラティブとエビデンスをどちらも大切なものとして扱いながら、それらを実践の中で活かしていく医療について考えるための著者の造語です。患者の語りに耳を傾け、思いを重視することは看護の本質であり、看護師は意識していなくても日常的に実践していることですが、NBM という用語になった途端に「難しい」というイメージになってしまう…。本書では、学問の世界の用語と思われがちなEBMやNBMとその関係をわかりやすく解説し、今、目の前にいる患者さんのケアに効果的に用いるためのヒントを豊富に紹介しています。
日本看護協会出版会
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