「Nursing Today」2014年12月号

[Web版]NT座談会・臨床の知へのアプローチ vol.5(最終回)

編集担当者が発信する、本と雑誌の関連コンテンツ

それぞれの「ナラティブ」との関わり

斉藤 私は大学で医療面接を教えています。以前は医師による面接は問診(history taking)と呼ばれ、ムンテラ、アナムネなどの俗語で呼ばれていました。これらは、診断・治療の手段としか考えられておらず、しかも非常に疾患ベースなものでした。それが20年くらい前から米国を中心に、ロジャースなどのカウンセリングベースの方法論が医療面接に取り入れられるようになってきました。現代の医療面接においては、患者から情報を収集したり教育的な働きかけをしたりすることは、むしろ二次的な事柄と考えられており、なによりも患者との良好な関係、すなわち古典的にはラポールなどと言われているもの、をつくっていくことを最大の目的とするようになりました。

 

この考え方が確立したのは1990年代のことです。日本では、その当時の教科書は旧来の問診法に則したものばかりでした。カウンセリングベースの面接法を指導する中で手本となるものがなく、試行錯誤する中で、マニュアルのようなものをつくりたいと思っていろいろ調べていたところ、「ナラティブ・ベイスト・メディスン」という言葉が英国で使われていることを知りました。これはいったいなんだろうと…。

 

そこですぐに「British Medical Journal」に掲載された論文などを読んだり『Narrative Based Medicine』(BMJ Books, 1998年)を取り寄せたりしました。そこに書かれていたのは、医療者が患者と良好な関係をつくっていくことが医療の出発点だという考え方や実践論につながるものだったのです。単に技術だけでなく、世界観を変えるものだということが直観的にわかりました。その後、私を含むグループでこの本を翻訳し『ナラティブ・ベイスト・メディスン−臨床における物語りと対話』(金剛出版、2001)という邦題で刊行されました。その後私は、医療領域でナラティブという世界観や技法をどう考えるかを追究しながら今に至っています。外国から概念を導入するだけではなく、日本での実践やその後の考え方をまとめた書籍としては、『ナラティブ・ベイスト・メディスンの実践』(金剛出版、2003)『関係性の医療学−ナラティブ・ベイスト・メディスン論考』(遠見書房、2014)などがあります。

 

石垣 私は長い間トップマネジメントに携わっており、医療ケアの質をどう維持し、上げていくかが自身の大事な役割と考えてきました。医療の質というものは科学性と倫理性に支えられると教えられてきましたが、それはエビデンスに基づく医療であると同時に、対象者をかけがえのない一人の存在として尊重することです。この2つは組織の中で大事に育てていかなければなりません。とくに治療の方針決定は生物医学的側面に偏りがちですが、患者さん一人ひとりの人生・生活のありようといったことを尊重しなければ、その人にとっての最善の治療方針は定まりません。

 

これまでも、私たちナースは患者さんがそれぞれの人生で培ってきた価値観や、今どうしたくて、どうして欲しくないのか、これからどう生きようかという気持ちを受け止めて、一緒に考え悩みながらその人にとって最善の方法をご家族と一緒に考えることを大事にしてきました。そのプロセスの中で、患者さんやご家族のさまざまな語りやライフヒストリーに触れるわけです。そのプロセスを通してその人の人生が変わったり、新しい物語をつくったり、同時に私たちの人生も変わるということを繰り返してきたんだと思います。臨床倫理とはまさしくこのエビデンスとナラティブによって成り立っていると思います。

 

シシリー・ソンダースは、他者を完全に理解することなんて不可能なことだし、患者はそんなことを望んでいない。わかろうと接してくれることを患者は望んでいるんだと書いていますが、これはナラティブ・アプローチに通じることだと思います。その人をわかろう、わかりたいとする姿勢は価値のあるケアだと思うんですが、それは同時にケアするものを育てますね。自分が経験したことのない世界に住んでおられる方(=患者)から、今こんなことが大変なんだ、こんなことがつらいんだ、こんなことが心配なんだとかを一つひとつ伺うんです。ほとんどが相手の望みに応えられないことかもしれない。でも応える必要のないことも多いんです。そのことをわかっていくという成長の段階というのは、専門職業人としてだけでなく人間として成長していくプロセスでもあるでしょうし、なんという特権のある仕事を選んだんだろうとも思っています。

 

野口 私は社会学が専門ですが、最初に就職したのは東京都の精神医学総合研究所です。アルコール依存症の研究から出発し、そこでソーシャルワーカーを兼務する形で精神科の外来などにも関わらせていただきました。当時は家族療法を勉強していて、システムズアプローチが主流だった時代ですが、やがてナラティブが注目されるようになった頃には臨床を離れていました。学会誌などでナラティブについて書かれた論文を読んでも最初は何を言っているのかさっぱりわからなかったんですが、何年か経ってある時突然「これはすごい」と思えたんです。最初はどちらかというと、胡散臭いと感じていたんですが(笑)。

 

その勢いで『ナラティヴ・セラピー ―社会構成主義の実践』(S・マクナミー、K・J・ガーゲン著/野口裕二、野村直樹訳、金剛出版、1998)を翻訳することになりました。おそらくナラティブというカタカナがついた本が出版されたのはそれが最初だと思います。2002年には『物語としてのケア―ナラティヴ・アプローチの世界へ』(野口裕二著、医学書院)を刊行しました。看護領域の読者に向けて書いてほしいということで、初めての試みでしたが、そのおかげで私の頭の中がずいぶんと整理されました。この座談会のキーワードである「関係」についても同書の結論部分で述べており、それを非常に重視しています。

 

最近の関心は「感情」です。今まで数多くナラティブについて検討してきた中で、感情のことをあえて排除したまま議論が組み立てられてきたところがあります。でも実は感情はナラティブを生かす上でもすごく重要だと思うんです。『物語としてのケア』の中で、関係というのはナラティブ、いや言説がつくるんだ、関係を変えるにはまずナラティブを変えなければいけないという主張をしています。つまり、関係を変えるには自分が囚われている言説やナラティブといったものを変えていくのだと。例えば物語が変化して患者さんがとてもいい方向に向かったという時にも、患者さんの感情の変化が一つの判断材料になるわけです。あるいは相手がすごく鬱屈していたり困っている時も患者さんの感情が重要ですよね。つまり、これまでも感情というのをすごく大事な要素として使っておきながら、それをきちんと理論に入れてこなかったのです。

 

他のナラティブ論においても、この「感情」については、実は密かに使いながら、あまり明示的には論じてこなかった。そのことを今、自分なりに整理してみたいと思っています。

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