第8回[現代哲学3]

見えな「心とどう向かい合うか

── ラカンとフロイト

 

 

ラカンとフロイトとの出会い

 

この連載も残りわずかとなってきました。ここで、精神分析を取り上げます。現代哲学に大きな影響を与えた、第二次世界大戦後にパリで活躍した精神分析家ジャック・ラカンの考えを中心にお伝えしますが、その根底には20世紀前半にウィーンとロンドンで活躍した精神分析家ジクムント・フロイトの理論と症例があるので、前半は主にフロイト、後半は主にラカンに登場してもらうことにします。

 

フロイトと言えば精神分析学であって哲学ではない、と思う人がいるかもしれません。実際に看護職を目指す学生に授業の感想を書いてもらうと、少なからず「どうして哲学にフロイトが出てくるのでしょう」「フロイトが哲学者とは知りませんでした」といったコメントが書かれます。しかし、これには理由があります。数多くいる哲学者たちを押しのけてフロイトを登場させるのは、症例に基づいた理論ということもあり、他の哲学者よりずっと皆さんには親しみやすいと思ったからです。

 

また、加えて、フロイトの主張には、近代哲学(デカルトカントヘーゲルたち)に対する鋭い問いかけが含まれており、哲学にとって非常に重要な意味を持つからです。実際、(私が理解する)現代社会における哲学者たち(少なくともフーコーデリダ、ドゥルーズ)にとってフロイトは、ニーチェ、マルクスとならんで、避けて通れない、最重要人物です。

 

しかも今回、フロイト1人ではなくラカンも加えているのにも、理由があります。まず私は、学生時代にラカン(『エクリ』1966年)を通じて(正確にはラカンに師事した佐々木孝次さん(『ラカンの世界』1984年)のもとでフロイトの思想を学んだため、他の解釈の仕方をよく知らないからです(メラニー・クラインやアンナ・フロイトについては全くわかりません)。

 

ラカンはフーコーやデリダよりも世代が上ですが、彼らと同じく、高等師範学校で哲学を学び、卒業後に精神分析に向かったこともあり、理論的な構えはしっかりと西洋哲学の伝統や文脈を活用しています。そのためラカンは、フロイトの「思想」を「近代哲学批判の哲学」として意味づけ直した人物という見方もできます。

 

さらにラカンがフロイトに並んで強く影響を受けたもう一人の人物がまたユニークな人で、アレクサンドル・コジェーヴというロシアからフランスに亡命した哲学者です。彼には、多くの知識人や文化人(バタイユ、岡本太郎、ブルトン、カイヨワ、メルロ=ポンティなど)が影響を受けた有名な講義があり、そこではヘーゲルの『精神現象学』がハイデガーやマルクスとともに語られました(『ヘーゲル読解入門』1947年)。

 

 

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Column 1:コジェーヴの来日と日本観

コジェーヴは哲学者であるばかりか、外交官でもあり、日本にも1959年に訪問したことがあります。その経験から、本文で述べたヘーゲル講義の本の改訂版には、わざわざ日本のことが付け加えられています。ヘーゲルの歴史観で言うところの、西洋的な社会・人間の先を行く姿を「スノビズム」として表現し、他者との主と奴の闘争の弁証法から抜け出し、享楽的(今でいう「オタク」的)生き方が可能なのが日本社会だと述べました。

 

これを思想家の東浩紀さんは「動物的」という指摘を行ったことで、日本でもよく知られるようになります(『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』2001年)。ただし、元のヘーゲルやコジェーヴの場合では「動物的」という語は「人間的」と対置され、「人間的」以前の「欲望」すなわち、自然的欲求にとらわれた生き物を指すため、あまり適切ではないように思います。

 

コジェーヴの言う「スノビズム」はそれと少し異なり、人間的以前ではなくむしろ「人間的以後」を指示しているものだからです。いずれにせよ、日本で暮らしている私たちにとってはコジェーヴの指摘はとても興味深いものです。

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そもそも私自身、大学に入ってただちに民俗学や文化人類学、経済学、社会学、教育学、歴史学などに関心を持ちましたが、哲学にはさほど興味が持てませんでした。それがある時、ラカンを通じてこのコジェーヴの講義を知り、はじめて哲学に興味を持つことができた、という経緯があります。

 

今の私にとって「哲学」とは「対話」であり、ある種の「治癒」(すなわち「魂の世話(ケア)」)です。「ケア」というのは、何か相手を優しく包むような「癒し」のイメージが強くありますが、それは一方で厳しさ、強さを伴うものでもあり、場合によっては、相手を追い込んでしまうこともありえます。

 

「追い込む」というと語弊がありますが、他者の発言をあいまいに受け止めずに、はっきりとした目的をもって問いかけを行うということです。そうしてこそ、相手の心の葛藤や混乱、困惑に正面から向き合い、結果として、少しでも緩和や一歩前進ができるのではないかと考えています。それが私の考える「世話」(ケア)です。治療(医療処置)が全般的に「痛み」を伴うのと一緒で、治癒(看護)もまた「痛み」抜きには不可能だからです。

 

もしかすると、看護実践に携わっている方にとって、フロイトやラカンの精神分析、しかもその理論自体は、精神科に近いところにいないかぎりは、やや縁遠いかもしれません。せいぜい心理学の時間に名前と簡単な業績が説明されるだけで通り過ぎているのではないでしょうか。とはいえ、心理学や精神分析に対して個人的に関心のある人は決して少なくはないと思います。そういう意味もこめて、以下ではフロイト、ラカン、精神分析を中心テーマに「魂の世話」について一緒に考えてみましょう。

 

なお、メディカルスタッフ間の情報共有や、患者やその家族、知人が発する言葉などをどう理解するのか、どう受け止めるのかということを考えるとき、少なくとも、看護実践における「言語活用」はきわめて重要であるという認識は誰もが持っているに違いありません。もちろん、いろいろな切り口はあると思うのですが、フロイトやラカンが語った内容は、この、看護実践における言語活用の課題を考えるうえで、とても示唆に富むと考えられます。

 

 

無意識という領域

 

これまで哲学者たちのややこしい話を次々としてきましたが、そういう意味では、フロイトは決して哲学の文脈で議論をしているわけではないので、馴染みやすいと思います。本人は医学の道(特に神経医学)を目指したものの、大都市ウィーンにいてもユダヤ人であるという理由から大学の門戸を閉ざされ、しかも当時、職を得て早く結婚したいという個人的事情もあり、ある意味やむなく精神分析医として独立商売を始めたのでした。初期の論文には「科学的心理学」というタイトルのものもありますが、後に「精神分析」という新たなジャンルを生み出すことになります。

 

しかし、哲学のほうからみると、端的にフロイトが興味深いのは「無意識」というアイデアを出したからです。哲学は長い間、言葉を使って人間の思考を形にし、他者と共有するなかで、真理や普遍的なものを見出すことができるのではないか、という前提をとってきました。つまり「意識」の分析を行い、整理し、共通項を探したり、いろいろな可能性を追求してきたのです。

 

しかもその結果「意識」というものを、カントやヘーゲルのように「感性」「悟性」「理性」といった区分け(格付け)を行ったうえで、頂点に立つ「理性」、中でも、哲学、宗教、国家というものを人類の最高知的財産としました。そしてヘーゲルは、自分のまとめに満足して、これで哲学の仕事は終わった、と考えたのです。

 

これに対してフロイトは、「意識」に対して「無意識」という考えを出したわけですから、哲学の仕事は終わっていなかったということになります。または、哲学がヘーゲルのような総括の仕方を行う以外にも、個々の症例を探ったり、深層(原初)を掘り下げるという別のやり方があることに気づかされたという言い方もできます。

 

しかしこの「無意識」というのは、一体何なのでしょうか。「意識が無い」と言っても、気絶をしている、意識反応が無い、ということではありません。普段使う「無意識に~してしまった」というのは、わざわざ考えなくても勝手に身体や頭が動いたことを意味しますが、フロイトが問題にした「無意識」はそういうものとは、少し違います。

 

最初にはっきりと言ってしまうと、むしろ、あまりにも意識しすぎたために、意識下に抑え込んでしまった意識、ということになるでしょうか。人は心身ともに、それほど強い生き物ではありません。肉体もそうですが、心も同様で、自分が生きてゆくうえで嫌なこと、つらいこと、悲しいことなどは、できるだけ忘れてしまいたいものなのです。いわゆる逃避行動です。楽しいこと、幸せなことはなるべく覚えていたい一方で、そうではない場合、最初からなかったことにしてしまうほうが、きっと良いのです。「忘却」こそ幸福感や平常心につながる、そう考えるのが人というものです(もちろん、そうした苦難に立ち向かって、乗り越える、打ち勝つ、という対応もありますが、人はそこまで強くはないという前提で話を進めます)。

 

しかし、残念なことに「忘れる」といっても、意外と難しい。忘れていたと思ったことが突然よみがえってくることがあります。また、フロイトから言わせれば、本人が忘れていると思っているだけで、本人が気づかないままに、ちょっとしたふるまいや言葉遣いなどに滲み出てしまっていることもあります。これこそ「無意識」の領域です。

 

 

 

── フロイトと近代哲学 ──



また、哲学が「大人」の世界、現状分析と未来を構想することを主に目指しているとすれば、フロイトがこだわったのは「原初」(出発点)というか、「根拠」「深層」と言えるでしょう。要するに、自分が自分として成立したきっかけ、という点にあります。

 

(主流の)哲学は、大人の「私」の「自我」がすでに確立したものとして議論を進めますが、フロイトは「エディプスコンプレックス」(後述)という概念に顕著なように、「私」は必ずしも十全なものとしてとらえられていません。子どもの頃に父母とどういった関係性を築いてきたのか、どういった仕打ちを受けてきたのか、といった本人も忘れているような過去の痕跡(トラウマ)を自分がもう一度思い出し、正面から受け止めることが重要だと考えます。この点においても、従来の哲学とは全く異なる方法論や指向性を持ちます。

 

つまり、フロイトの「無意識」は、これまでの人間のとらえ方とは異なる部分に光を当てることになりました。人間は常に十全なものではなく、弱く病的な部分、どうしようもない部分、不健康な部分を常に持ち合わせているということが示されました。場合によっては、そうした部分は治癒も可能かもしれないとして精神分析の手法が打ち出されました。

 

 

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Column 2:同時代知識人たちの反応

作家のロマン・ロランをはじめ、当時の知識人たちの多くはフロイトの精神分析に興味を抱いたようです。興味深いエピソードとしては、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの姉が受診していることです。それもあってでしょうか、ウィトゲンシュタインも精神分析に興味を抱きます。彼の日記にはフロイトの考えが間違いだらけであり、性格も悪いと書きながらも、中身については魅かれるものがあったようで、自分が見た夢を日記に図解入りで書き記してもいます。

 

また、物理学者アルバート・アインシュタインもフロイトに賛辞を贈った一人とされています。しかし実際には、フロイトがノーベル医学賞にノミネートされたときにアインシュタインは推薦人となることはありませんでした。実際に二人の手紙でのやりとりを読んでみると、戦争反対という考え方は共通しているものの、フロイトの主張がアインシュタインには全く理解できていないようだ、とフロイトは後から嘆いています。残念ながら二人の巨人は理解し合えることはありませんでした。

 

フロイトは1929年に、手紙の中でアインシュタインに会ったときの印象を書いています。内容をほめるのではなく、文体をほめるのが彼にできる精いっぱいだったように見えます。ただしその後、1932年になってからの手紙で、アインシュタインはフロイトの仕事を積極的かつ好意的な評価をしています。しかし、それでもフロイトには不満で、手紙の中で長い説明を行っています。

 

フロイトからみれば「戦争」のない社会、というのは想像困難ですが、強いて言えば「文化」によってそういった「本能的衝動」を抑圧することは可能であるかもしれない、しかしこうした人間の本能に関する分析は、アインシュタインの反戦の考え方にはあまり役に立たないのではないか、と言っているようにとらえられます。アインシュタインは何を思ったのでしょうか。残念ながらその返事は、社交辞令の域を出るものではありませんでした。

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