第7回[現代哲学2]

他者(患者)を受け入れる「ホスピタリティ」を考える

── デリダの歓待論

 

 

今回は、前回のフーコーよりも少しだけ下の世代で、同じく20世紀後半に活躍した哲学者ジャック・デリダの登場です。特に、彼の思想の中でも歓待論(ホスピタリティ)についての考察を題材にして、看護実践における他者との向き合い方、とりわけ自分と相容れない他者である場合のかかわり方について、一緒に考えてみましょう。個々の看護実践の具体的な改善や改良にまでは手が届かないとは思いますが、患者やその関係者、そして医療スタッフとの付き合い方に悩んでいる方に、何か参考になれば幸いです。

 

フーコーの仕事が、看護理論や実践の分析にかなり応用されているのと比べると、デリダはそれほど触れられてはいません。医療や看護とつながりがあるはずの彼の「ホスピタリティ」論でさえ、表立っては取り上げられていないのです。その理由は、文章と考え方が難しすぎることに尽きるでしょう。デリダの文章は、数ある哲学書の中でも群を抜いて難解と言われています。このことは否定できません。またさらに、すぐに実践に役立つようなシンプルな「答え」がそこにはないことも原因でしょう。しかし、私はそれでもここで取り上げたい。少なくとも以下で説明する「ホスピタリティ」論については、その現場とかかわっている皆さんに是非とも知ってほしい。おそらく、いつの日かデリダの考えは看護実践の現場や看護理論でも注目されるはずです。

 

 

デリダの生涯と仕事

 

デリダは主にフランス語で文章を残した哲学者ですが、1930年に当時フランス領だったアルジェリアの首都アルジェで生まれ、しかもユダヤ系家庭で育ったこともあり、「フランス人」というたった一つのアイデンティティに自分が収まらないことに不安や戸惑いを感じ続けました。パリに移り多くの知識人と触れ合う中で、次第に哲学研究者として生きることになっても、そうした生い立ちがそのまま彼の考え方の基本となりました。

 

一言でまとめてしまえば、デリダは「違う」と「同じ」ということに執拗にこだわる哲学者です。しかも、物事は単純にいずれかにまとめられるわけではないという前提を持ちつつも、単なる相対主義に終わらずに、人が世の中で本当に大事なものや正しいことを求め、あがき、それを分かち合おうとしている「格闘」の現場をじっくりと検証します。その意味ではフーコーとも近いと言えますが、デリダの場合、特に言葉遣いや考え方の歴史的変化、微妙な違いなどを深く掘り下げ、一般的な理解とは異なる理解の可能性を追求するところに特徴があります。しかもその可能性は、現実社会で起こっている問題と密接につながっており、例えば現在盛んに言われるようになっている「生物多様性」や「LGBT」「友愛」「共生」「動物愛護」そして「ホスピタリティ」のあり方にデリダの考えは深部において大きな影響を与えて続けています。

 

なお、先ほど、デリダは難しい、と指摘しましたが、この「難しさ」は彼の探求の初期・中期・後期で異なって表われています。初期の作品は、まだ若さがあふれており、文章にも思考にも十分に自分のスタイルを構築しきれておらず、結果的には、シニカルであいまい、つかみどころがないという印象が強く残ります。

 

それに対して中期は、独自の文体や表現のスタイルを確立させようと模索しており、実験的な著作を輩出しました。この時期の作品はまるで文学作品のようで、正直言って私の能力ではとても読みこなすことができません。

 

ところが後期になると、友愛や歓待(ホスピタリティ)の倫理的あり方、政治的なあり方をテーマとするなど、彼が問題にしていることが私たちにもよく理解できるため、彼の独特の思考スタイルにも付き合えるところが出てきます。特に、残念ながら今回は触れることはできませんが、人間と動物の差異に関する考察はとても素晴らしく、おそらく今後21世紀の人間と動物(さらにはロボットやAIなど)との新たな共存関係を形成するうえで重要な意味を持つことでしょう。

 

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Column 1:デリダが飼い猫に自分の裸を見られたとき

フーコーには黒猫を抱きかかえている写真があります。猫好きだったようです。一方デリダも生涯、猫とともに暮らしていました。著作にもときどき猫が登場します。有名なエピソードとして、デリダが風呂場で猫に自分の裸を見られたときのことが触れられています(『動物を追う、ゆえに私は〈動物〉である』(2006))。そのときの妙な「恥ずかしさ」がどこからやってきているのか、そのとき自分と猫との関係は一体どういうものなのか、を論じています。

 

また、それよりももっと以前の著作にも猫への言及があります(『死を与える』1990)。そこでデリダは、自分が1匹の猫を飼うということは、それ以外の無数の猫の命を放擲してしまっている、という指摘をします。ところが前後の文脈は「猫」と関係ありません。執筆の途中で急に、そばにいた自分の愛猫に目がいったのでしょうか。

 

一つの命と向きあうということ、世界と向き合うということ、その矛盾と葛藤を生きるということ、について語りつつ、そこでデリダが涙を落としている情景が浮かんできます。目の前の命への、涙。世界の命への、涙。その矛盾と葛藤を生きる自身を存在させているものへの、涙。こうした複数の思いをはらんだ涙を落としているかのようです。

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いずれにしても、難解な用語と入り組んだ文体で知られるデリダですが、それは常に微細な「差異」にこだわりながらも、全体的な主題を見失わないように議論を進めているからだ、と考えてください。

 

デリダの問いかけは多岐にわたり、それをまとめるのはなかなか困難です。大雑把な整理としては、西欧文明の総体を可能なかぎり根本から、常に批判的にとらえようとする姿勢があること。それは間違いありません。しかし同時に、第三者的に論評や非難をしておしまいとはしません。むしろ、現代的な課題や個人的な関心などにその課題を引き寄せて、当事者として積極的な意味や可能性を引き出そうとします(これを彼は「脱構築」という言葉で説明します)。その中で共通する姿勢としては、文字・視覚・男性・人間といったものを自明視せずに細やかにとらえ、批判的な目を向けつつも、それらとともに生きようとするところが挙げられます。

 

ホスピタリティの話題に入る前に、もう少しだけ小難しい説明を続けます。

 

 

<デリダとフーコーの関係>

 

 

 

 

差異と差延

 

デリダは「差異」にこだわると述べましたが、これを彼は「差延」という言葉を使って説明します。差異、と名詞で語ると、そこには実体としての「差異」がまるで最初から存在したかのようになってしまうことへ、デリダは注意を払います。男と女、心と体、自己と他者、自然と文化、人間と動物……、と書いたとたんにそこには差異が発生します。そしてその「A」と「B」との「差異」の「A」や「B」の自明性もまた、それ以上に不問に付されていってしまいます。

 

例えば、言葉というものを考えてみましょう。言葉とは、今発している、今聞いている、今書かれている、かつて書かれたものを今読んでいる、といったように必ず「今、ここ」に現れています。そしてそれだけではなく、その言葉は従来から存在していたものである以上は「かつて、どこかで」使用された痕跡を保持しながら、同時に言葉の活用において必ず意味がずれたり音が変わったりといった変化を可能性として持ち合わせています。これを時間軸で考えると、過去から現在、そして未来へと流れ行く時間のなかで、言葉はいつも「そのもの」として固定されるのではなく、むしろ絶えず宙吊りのままある、というべきではないのかとデリダは問いかけます。

 

もう1つ、別な例を挙げてみましょう。「自分の声」とは何でしょうか。自分が声を発したとします。そのときその声は、自分に響いてくる場合を考えると、内側からリアルタイムでやってきます。しかしそれだけではありません。その声を録音しておき、後から聞くこともできます。その声は、何よりも録音されたことによって本来自分が発したと思っている声とはすでに別物でしょうし、そもそも時間の流れで言えば、発した瞬間に聞いているわけではない、という「ずれ」または「遅延」が生じています(『声と現象』(1967))。このような意味合いを想定しつつ、デリダはあえて一般的な語である「差異」や「遅延」と言わず、言葉をていねいに扱うために、そして言葉の可能性(と不可能性)に注意を促すために、「差延」という言葉を用います(デリダ自身はフランス語で語彙の説明をしているわけですが、フランス語に戻ると説明が複雑になるので、ここではそのことは忘れましょう)。

 

医療の現場を思い出してみてください。看護師が患者に問いかけます。「今日はどうしましたか?」と。すると患者は答えます。「昨日から、胸に妙な痛みが走り……」または「痛い、苦しい、……」と。こうした患者の声、声にならない声、呻き。ここでも常に「差延」が起きているのではないでしょうか。病院に来るまでの時間、待合室にいる間の時間、ナースコールのボタンを押してからやってくるまでの時間。場合によっては、その訴えは、今ここで生じているものではなく、過去の別の場所で生じた痛みに由来するかもしれませんし、未来の想定された、想像された苦しみを先取りしているのかもしれません。単純に物理的・機械的に、目の前の問題が片付いて終わりというのではなく、こうした患者の声に現れる差延とかかわり合うのが、まさしく看護行為と言えるのかもしれません。次のコラムにあるように、このことを私は看護学科の学生から学びました。

 

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Column 2:看護にとって「差延」とは

以下は看護師を目指す学生が書いたレポートの一部です。

 

「患者はたいていある病気をかかえ、病院に行き医者はある病名を患者に告げる。ここでいう病名は “差異” と解釈することができる。そのあと、医者や看護師は患者の病気を治すためにいろいろな処置や援助を行うが、医師と看護師では援助内容が異なる。医師は患者に病気の様子を伝えたり、その病気の原因を消すことを主な仕事とするが、看護師は患者の病院生活に必要なさまざまな援助を行う。もちろん、同じ病名で同じ進行、同じ状況の患者はいるかもしれないが、全く同じ気持ちで全く同じ過去、同じ過程を持った患者はいないだろう。必要ならば看護師は過去や過程、思いにも向き合わなければならない。そのためにはやはり“差異”だけに注目するのでは足りないのだと私は考えた。“差延”に注目することでより患者に寄り添え、患者に合った患者が求めている援助ができるのだ

 

看護においては、単に患者の病気や怪我が治ったかどうか、ということだけではなく、そのプロセスにおける葛藤や矛盾までをも相手にしているということが、デリダの「差延」という言葉から理解できそうです。

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デリダの歓待論

 

さて、ここでデリダの「歓待論」の議論に入っていきましょう。「歓待」とはすなわち「ホスピタリティ」のことですから、容易に医療や看護の世界につながっていると想像されることでしょう。

 

ところが、残念ながらデリダ自身は、ホスピタリティについて語るとき、当時の政治的課題を想定しつつ、過去の物語や哲学書、宗教書などに描かれた歓待の「光景」を振り返ってその意味の幅を探るものの、いわゆるサービス産業や医療、看護といった実践領域には触れません。以下ではその「光景」に対するデリダの考察をまとめながら、看護実践との接点を(イヴァン・イリイチの議論を参照しつつ)つくりだしてみることにします。

 

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