歓待論と相互承認論、独我論
このように「人類」が生きるうえでの根源的な「掟」として、どのような他者でも受け入れ招き入れるということ、しかしそれが必ずしも簡単なことではない……それがデリダのとらえた無条件の「歓待の掟」です。
ホスピタリティの本質とは、「敵」と思われるような他者に対して「力」で抵抗し「力」を競って相手を打ち負かすのではなく、ある意味では相手に身を任せる、相手の懐に入るということに近いと思います。そして最終的には「きれいごとの世界」というよりも、自分や家族(のいのち)を守るための「敵」と向かい合う際の本質的なもの、原則的なもの、切羽詰まったぎりぎりの選択、と考えられます。
ヘーゲル(第4回)のところでは「主と奴の弁証法」が人類史の展開の原動力として取り上げられましたが、それになぞらえれば、「奴(隷)」の代わりに「客」と置き換えて「主人と客人の弁証法」とすることも可能です。すなわち相互承認論はホスピタリティ(歓待)論を根底に置いているのです。また、そうなると歓待論から独我論を見つめなおすことも可能でしょう。
その場合、自分を主人ではなく客人や奴隷とみなして思考すること、に尽きます。つまり、主客の転倒、置換、入れ替わりというのは一般的な説明としてはその人の身になって考えることや他人の痛みを知ること、思いやる心を意味します。そのような「思いやり」の根幹には、このような主から「客=奴」への意識の移動があります。しかし他人の痛み、他人の考え、他人の意識は「自分」にとっては絶対的になり代わりようのないものと考える独我論においては、他者と自分とが入れ替えうるというような心性は思考しえないし、記述しえないということになります。
こう書くと、あたかも独我論は他人に対して優しさのかけらもないように見えるかもしれませんが、むしろ逆です。独我論が何よりも訴えているのは、簡単に他人(もちろん自分も)のことを理解できると思うな、ということです。どこかで永井均さんが「独我論の友情」という言い方をしていましたが、まったく相互了解がないという前提を立てたうえでも湧きあがってくる何らかの「共感」を大事にしていることが伝わってきます。この「共感」と抜き差しならない歓待のありようは共通性があるように思います。
歓待と看護・医療
このように「歓待」とは、非常に含蓄のある言葉であるとともに、取り扱いも容易ではないということがおわかりいただけたと思います。しかし、そもそも一般的に知られているホスピタリティは、やはりホテルや観光、その他の接客業から注目を浴びた概念です。デリダから少し離れますが、ホスピタリティの意味を看護実践と関連づけて考えるための回り道として「サービス」について検討してみましょう。
福祉や介護、看護実践を指す「ヒューマン・サービス」という言葉があるように、「サービス」にも実はとても深い意味があります。単純に「サーブ」「サーバント」といった一方的に「受ける」「奉仕する」とか「使用人」というだけではないことは、よくご承知かと思います。サービス業はすなわち接客業ですが、決して狭い意味でとらえられるものではありません。
イヴァン・イリイチは、1970年代に現代社会の三大サービス制度として「学校教育」「自動車交通」「病院医療」を取り上げました(『脱学校の社会』1971年、『エネルギーと公正』1973年、『脱病院化社会』1976年)。イリイチにとってサービス制度は悪者です。本来自分が自律的に行うことを他人やサービス諸制度に委ねてしまい、自分はそうした専門家たちに依存する結果、不能化を起こしている、という批判を行いました。
しかし、これをもう一歩掘り下げると、人が他者に何かを「サービス」する、ということの意味は、単に一方的に知識を伝達したり、怪我を治したり、入院生活をサポートしたり、長距離を移動したりすることではない、ということになるでしょう。むしろ、他者の求めに対してそれをしっかりと受け止めることであり、これはもう一つの重要な言葉である「ボランティア」ともつながります。
知ってのとおりボランティアも、単に相手を無償でサポートするというだけでなく、他者への手助けを通じて自身の生きがいを創出するという主体的なものです。ついでに言えば「共生」や「友愛」も、ただの「仲良し」ではないし、「ケア」というのもフーコーのところで説明したように、「世話」や「気遣い」といったテクニックのことにとどまりませんし、ましてや他者だけに向かうものではなく、自分自身の人生を美しくするためのものでもありました。
実はイリイチはデリダよりも10年近く早く、彼と同じくバンヴェニストの仕事をふまえつつ歓待論を展開しています(「歓待と痛み」1987年)。ただしイリイチはデリダとは異なり、歴史的に歓待がキリスト教や医療・病院の社会的浸透を通じて変革を遂げていった点に着目します。
イリイチのまなざしは、多くの人がふだん何気なく行っていた歓待が次第に社会制度として成立していくプロセスに向かいます。大雑把に言えば、4世紀半ば頃から医療や福祉を目的とした施設が貧者や病人、怪我人といった社会的弱者を受け入れ、彼らをもてなす専門職や仕事が定着し、歓待が「制度化」し始めます。例えばこの時期にホスピスが身寄りのない人のために建設され各地域で運営されるようになり、善意に発するホスピタリゼーション(収容化)がもたらされます。特定の場所で特定の人間があるルールに従って歓待を行うのです。
こうした制度化によって、歓待の意味合いが根本的に変わった、とイリイチはとらえます。ここでいう「制度化」は、単に法制化されたということではありませんし、施設や事業が一般化したということだけでもありません。むしろ歓待の元来の意味や、日常実践としての歓待が見失われていったのではないか、という問いを投げかけているのです。
ここでイリイチは、医療や看護を非難しているのでしょうか。いいえ、違います。歓待の制度化、専門化、分業化は、一方では歓待の神髄をさらに磨き上げて、多くの人に癒しや満足感、安心、喜びを与えてきました。それ自体は何ら否定されることではありません。しかし、もてなす側(主人)ともてなされる側(客人)がはっきりと役割として固定され、しかもそれが仕事や業務として「割り切り」が行われていたり、受け身の享受者になってしまったりしているとすれば、それはどこかがおかしくなっていると考えねばなりません。そうした見直しのきっかけをイリイチは求めているのです。
以上で見てきたように、歓待の掟から見て看護行為とは、人類にとって普遍的なものです。患者もしくはクライアントを差別することなく、誰でも受け入れ、治療や介護、ケアなどを行うという意味では、まさしくこの「歓待」の理念に基づいたものと言えます。だからこそ看護という実践は崇高であるとともに、きわめて危険かつ脆いものでもあるのです。みなさんの葛藤の一部はこうした際どさに起因しているのではないでしょうか。歓待とは裏腹であり、とても微妙なものです。そのことを常に忘れてはならないでしょう。
さて、最後にどんでん返しをするのがデリダの得意技です。実は、病院で働いている看護職の方々にとっては、患者を「客人」と考えてこれまでの説明をお読みになっていたと思います。自分がどうやって患者や関係者を受け入れるのか、我慢もすればストレスも溜まるなかで、ぎりぎりのところでやっている。しかし歓待から見れば、それがある意味では当然のことと言える……。
しかし実は、その逆もまた然りです。すなわち、とりわけ入院時にはっきりわかるように、患者は自分を「主人」ととらえ、みなさんを「客人」として病室に招き入れている、とも言えます。つまり患者にとっては、みなさんこそ得体のしれない他者であり、招き入れられる客人なのです。「主人」と「客人」との関係は常に反転可能であることも、忘れてはならないでしょう。
さて、いかがでしたでしょうか。細かい部分はおいておき、無条件に他者を受け入れるという歓待から、他者関係について考えを見直すきっかけとなればと思います。次回は、フロイトやラカンら精神分析から学ぶ看護実践について、患者一人ひとりの「心」または「言葉」とどう向き合うのかについて一緒に考えてみましょう。
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