自己紹介と、この連載について。
みなさんこんにちは、瀧本です。主に大学で働いたり、本や原稿を書いたり、猫と戯れたりして生きています。看護の世界で活躍されている方々に、少しでも哲学に関心を持っていただこうと、張り切ってやって来ました。どうぞよろしくお願いいたします。
はじめに、私自身の哲学との出会いを少し簡単に説明させていただきます。
じつは私は、大学に入るまでまったく哲学に関心がありませんでした。人文学部で文化人類学や社会学、心理学(精神分析)、経済学などのゼミや研究会に積極的に参加していたのですが、いろいろと勉強しているうちに、特に先生や先輩たちの間で何か「問題」が議論され始めると、いつも哲学に突き当たりました。そして、その部分がわからないと前に進めなくなってきたのです。
そこで2年生に進級し学科の専攻を決める際いろいろと迷った挙句、えいやっ!と「比較哲学」を選んでしまいました。卒業論文は「死」の哲学がテーマでしたが、ほとんど民俗学や人類学、歴史学などを中心にまとめた、かなりめちゃくちゃなものでした。修士論文でようやく少しまじめに哲学に取り組み、ヘーゲルという近代ドイツ哲学者の「死」の理解について未邦訳文献をもとに検討を行い、それが現代の「自然死」という考えの元となっていることを突き止めました。
また、看護や医療との接点としては、学生時代に医学部の先輩たちと一緒に「これからの医療を考える」という研究会を続けていました。ルネ・デュボスやR・D・レイン、イヴァン・イリイチ、ミシェル・フーコーなど、医療の現状に疑問を投げかける代表的な本を一緒に読みました。また、沖縄の民間医療である「ユタ」のことなども調べたりしました。
それまでは、看護師さんやお医者さんが病院で医療ケアを行うことに何の疑問も抱くことはなかったのですが、どうやら世の中、なかなか一筋縄ではいかず、いろいろな矛盾や問題を抱えているということを学びました。
特に私は「死」に対して人間がもつ不思議なメンタリティについて、フィリップ・アリエスというフランスの歴史家からその歴史的、文化的多様性を学び、現代社会においては「病院死」という形で一元化されているあり方を疑問視した、イリイチの問題提起に強く関心を抱きました。
また、ちょうどその頃、臓器移植と脳死問題が議論されはじめ、生命倫理学が立ち上がりつつあったこともあり、個人の自由や尊厳の問題としても「死」について考えるようになりました。
そうして、1991年に長野県の公衆衛生専門学校で医療の問題を社会学の視点から講義し、また神奈川県立保健福祉大学では2003年の開学から現在まで哲学を教えています。
これまで多くの看護学科、社会福祉学科、栄養学科、リハビリテーション学科の学生たちと交流を重ねてきました。そうした内容をふまえて2009年に「哲学で自分をつくる」(東京書籍)という哲学入門書を刊行しました。この本は、哲学科の学生だけでなく、看護や福祉などを学ぶ学生にとっても哲学が「役に立つ」ように願って書きました。
哲学には、あらゆることについての基本的な枠組みを理解したり、批判的にとらえたり、大事な指針を打ち出したりするうえでのヒントがつまっています。そこには「方法」の学といった性格があり、専門家以外の人でも、使い方次第でいろいろと役に立つ「道具」や「武器」のようなものだと思います。
身の上話が長くなりましたが、この連載では、とても大ざっぱにではありますが、特に看護の現場に携わっている方々にとって哲学がどのように現場に役立てられるのかを、古代・近代・現代という三つの時代に分け、ときに私の学生たちの声を交えながらお話ししていこうと思います。
なお、中世は宗教的(キリスト教的)要素が強く、これだけでいろいろな説明を要するので、今回は省略させていただきます。また、東洋哲学についても西洋哲学とはまったく別物なので、別の機会にあらためて説明させていただきたいと思います。
◉ 連載予定(変更になることがあります)
◉ 執筆者プロフィール
瀧本往人(たきもと・ゆきと):1963年北海道生まれ。信州大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同工学研究科博士課程後期中退。民間シンクタンク、映像制作会社、コンピュータソフトウェア会社、外資系ITセキュリティ会社に勤務を経て、2016年4月より大正大学地域創生学部教員。2003年から現在まで、神奈川県立保健福祉大学などで哲学や社会学を教えている。著書に「哲学で自分をつくる」(東京書籍)などがある。