1900年頃のセント・トーマス病院のナイチンゲール病棟(『聖トマス病院ナイチンゲール看護婦養成学校のあゆみ』日本看護協会出版会、1973年、絶版より)

現場の看護師の声は

 

患者にとっては大好評のナイチンゲール病棟だが、現場の看護師にとってはどうなのだろうか。病院を案内してくれたシスター(病棟責任者)に疑問に思ったことをいろいろ聞いてみた。彼女はこの病院のナイチンゲール病棟で働いたことはないが、ほかであるという。

 

まず「どのような患者がここに入るのか」という質問には、

 

「医師によって分けられるので、特別な条件があるわけではありません。ただ、老人で運動に困難がある人にはあまり向かないかもしれませんね。またごくまれに、どうしてもあわない、という人はいるようです。どうしても1人になりたい、という人ですね。

 

でもたいていは皆ここが気に入って、次の入院も、と思うようです。また、ここで感染症が広まったという話は聞いたことはありません」

 

そして「たった1つの個室はなんのために使い、そして数は十分なのか」という問いには、

 

「1つというのは十分ではないでしょう。できれば2~3はあったほうがいいと思います。そのように改造した病院もあります。

個室をどう使うかは、大部屋の患者がどのような状況にあるかによって異なります。終末期の方が何人もいれば、一番手のかからない患者が個室に入りますし、逆に1人であればその人が個室に入ります。また家族の多い人等、個室に入る条件はいつも変わります」

 

との返答だった。


取材当時のセント・トーマス病院南病棟見取図



個室イコール死という公式しかなかった私には、手品でもみたような気分。でもそこで疑問になるのは大部屋での死だ。大部屋の利点である人間関係のよさは、逆に死に際して悪影響を及ぼすのではないか。

 

「親しい患者が亡くなったとき、他の患者にとってはもちろんショックです。悲しみ、落ち込む人もいます。そんなときにはなるべく患者の話を聞くように看護師は心がけます。必要があれば他の職種(牧師、心理療法士等)に頼みますが、あまり多くはありません」

 

それは、亡くなった患者の死に至るまでのプロセスを他の患者も一緒に踏んでいくためかもしれない。亡くなる患者にとっては、生活の音のする、そして友人となった同室者に囲まれて最期のときを過ごせるのは幸せなことだろう。

 

ナースステーションについては、「記録、引き継ぎなど看護業務にはさしつかえありません。ただくつろげないので、入口のところに、テレビのある看護師用の部屋を1つつくりました」と言って、部屋をみせてくれた。広くはないが、数人の看護師がお茶を飲んでくつろいでいる。はっきりと公と私を分けるイギリス人の側面をみたような気がした。

 

「これだけ長い病棟で看護をするのは大変ではないか」という疑問には、次のような答えが返ってきた。

 

「いいえ、ここではただ1つの目的のためだけに1人の患者のところに行くということはなく、歩きながら何人もの患者の観察ができます。患者も私たちが忙しいとよく協力してくれます。とても働きやすいところです」

 

看護師にとっても患者にとっても居心地のよいナイチンゲール病棟、私はナイチンゲールの偉大さを今一度思い知った。

 

 

取り壊される病棟!

 

ところが、意外な言葉が案内してくれた秘書の方から出た。「実はここも、もう取り壊されることになっているのです」「えっ?! どうしてですか? 患者も看護師もこんなによいと認めているのに」

 

高い評価ばかりに接していた私にとっては、信じられない気がした。

 

「病院側は、暖房等の効率は悪いし、オールドファッションと考えています。若い世代は1人ひとりのプライバシーがはっきりとしている生活に慣れているので、このようなかたちは受け入れられないのではないでしょうか」

 

あまりに残念で、早口に「3病棟比較レポートは考慮されていないのですか。ここのよさを知っている人たちは、病院の計画に反対意見を出さないのですか」と聞いてみた。

 

「レポートはなんの効果もなかったように思います。もちろん、ここのよさを知っている人は反対しました。でもこの大きな病院では、ここで働いたことのある者、あるいは入院したことのある者は、ほんの一部なのですよ。この病棟の経験のない者は他と比較のしようがありませんから、よさがわからないのだと思います。病院の方針は時々、現場の声を無視することもあります。とても残念です」

 

工事は今年からはじまる予定という。本来ならば、もうはじまっているはずなのだそうだ。

 

それにしても、由緒あるセント・トーマス病院のナイチンゲール病棟である。歴史的な意味も含めて、保存することはできないのだろうか……。ただ古いというだけで、よさのわからない人たちによって建て変えられてしまうのは無念、という気持ちで病院を出たのだった。

 

 

このあと間もなく取り壊しとなった

ナイチンゲール病棟(撮影筆者)。

 

● 引用文献

  1. Noble A., Dixon R. : Ward Evaluation; St. Thomas Hospital. Medical Architecture Research Unit, The Polytechnic of North London, 1977, 154pp.
  2. 長澤 泰:ナイチンゲール病棟の再発見──病院建築家の立場から, 綜合看護, 14(4):9-31,1979.

 

12

[books]

ナイチンゲール病棟は

なぜ日本で流行らな

かったのか

ナイチンゲールが提唱した病院建築とはどのようなものだったのか──ナイチンゲール病棟が病院建築に与えた影響を考察する、看護を「越境」した独創的な「看護 × 建築」本!

長澤泰 他 著

日本看護協会出版会

四六判・148頁

定価(1,600円+税)

ナイチンゲールは

なぜ「換気」に

こだわったのか

新型コロナウイルスの感染対策として「換気」の重要性がクローズアップされている。ナイチンゲールが繰り返し延べてきた「新鮮な空気」と健康保持についての主張にさまざまな角度から迫る。

岩田健太郎 他 著

日本看護協会出版会

四六判・104頁

定価(1,300円+税)

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