『病院覚え書』
(フローレンス・ナイチンゲール著、1858年)
「良い病棟とは、見かけが良いことでなく、患者に常時、新鮮な空気と光、それに伴う適切な室温を供給しうる構造のものである」と本書で語るナイチンゲールは、20世紀の社会で普及する機能主義を当時の病院建築に早くも取り入れていた。 >> 関連記事
ナイチンゲールの時代の感染症学
ロベルト・コッホが炭疽菌を用いて感染症が感染症であることを証明したのは1876年。それよりずっと前に、ナイチンゲールは「接触伝染」によって疾病が伝播し、衛生状態の改善によってこれを防止することができることに気づいていた。「ある種の微生物の存在が仮定されている」ことを看破していた(『ナイチンゲール著作集 第2巻』p.201,現代社)。
ロベルト・コッホ
Robert Koch
1843-1910
ドイツの医師、細菌学者。炭疽菌、結核菌、コレラ菌を発見。純粋培養や染色の方法など細菌培養法の基礎を確立した。また感染症の病原性確認のための基本指針「コッホの原則」を提唱し、ルイ・パスツールとともに近代細菌学の開祖とされる。
イグナッツ・ゼンメルワイスが、手指消毒によって感染症の伝播が防げると主張したのが1860年代である。しかし、当時の学術界は、ゼンメルワイスの主張を「トンデモ」と全否定した。同時代に「病院の衛生状態を改善させ、病院内死亡率を下げよ」と主張したナイチンゲールの思想が、いかに未来に向かっていたかがよくわかる。
イグナッツ・ゼンメルワイス
Ignaz Philipp Semmelweis
1818-1865
ハンガリー人の医師。ウイーン産科病院の産婦人科部長だったとき、産褥熱、今日でいう接触感染の可能性に気づき、その予防法として医療従事者にカルキを使用した手洗いを提唱したが、存命中はその方法論が理解されず不遇な人生を終えた。消毒法および院内感染予防の先駆者とされ、「感染制御の父」と呼ばれている。
もちろん、ナイチンゲールの感染症の理解は、現代の目から見ると曖昧だ。「人間が呼吸して空気が汚れると感染が起こる」とナイチンゲールは考えた(前掲書、p.202)。マラリアとはイタリア語で「悪い空気」の意味であり、当時は空気の良し悪しが感染症の発生を決定すると考えられていた。ナイチンゲールの衛生、不衛生の観念は多分に視覚的であり、嗅覚的である。すなわち、見た目に美しく、悪臭が漂わないことこそが大切だという素朴な清潔感である。現代の目から見れば、この考えは必ずしも正しくはない。「見た目のきれいさ」と医学的「清潔」は意味が異なる。微生物は目に見えず、微生物は無臭なのだから(臭うのは微生物が起こした化学反応=発酵による産物にすぎない)。
私が沖縄県立中部病院の研修医であった1990年代。当時の病院は改築された現在のそれとは異なり、古く薄汚れた病院であった。お世辞にも「きれいな病院」ではなかった。しかし、感染症医の遠藤和郎先生(故人)は、「見た目に汚くても、この病院はきれいなんだよ」と私に説明した。感染経路がきちんと遮断されていること。感染症が伝播する条件が除去されていること。それこそが「きれいな病院」の条件である。「見た目の美しさに惑わされてはならない」は、感染症領域においても、人生のあらゆる他の領域においても通用する一種の一般解だ。
細かく間違えるより、
大雑把に正しく
とはいえ、微生物学の夜明け前であったナイチンゲールの当時を思えば、彼女が目指したもの、彼女が取っ組み合った病院の衛生という課題は、決して嗤(わら)えるものではない。ナイチンゲールは患者と患者の間隔――空間の確保をよい病院の条件にした。その条件の根拠は十分には述べられていないし、幾分かは間違っている。
ナイチンゲールは病院空間の確保、患者と患者間の距離で丹毒が防げると考えた。丹毒はレンサ球菌による感染症であり、接触感染で伝播するため、理論的には「空間」は感染に寄与しない。空間が感染に寄与するのはインフルエンザのような飛沫感染や、結核のような空気感染だ。とはいえ、溶レン菌感染が流行するのは貧困地域で、子だくさんで、大家族が狭いスペースにひしめき合っているような環境下である。理論的には「空間」は丹毒流行を起こさないが、「空間の狭さ」をもたらす条件が、接触感染を促すのだ。ナイチンゲールは交絡因子を無視するものの、結果的には正しいのである。
卑近で尾籠なたとえ話を用いて申し訳ないが、記憶に残ること間違いなしなので、あえて述べる。骨盤内炎症性疾患(PID)は女性が腹痛や発熱を起こす性感染症(STD)だ。性行動が活発な女性に発症しやすいのは当然だが、研修医のときに「紫のパンツを履いている女性はPIDの可能性が高い」という臨床的な手がかり(クリニカル・パール)を先輩に教えてもらったことがある。
それが事実なのかどうかは知らない。しかし、少なくとも紫のパンツがPIDの原因でないことは間違いない。それは一種の交絡因子である。飲酒者に肺がんが多いが、飲酒は肺がんの原因ではない。多くの喫煙者がやはり飲酒者であるから起きる交絡である。同様に、「紫のパンツ」は交絡因子にすぎない。
というのが、学者の説明だ。しかし、臨床屋の私はそれを「どちらでもよい」とあえて言おう。なぜなら、「紫のパンツ」がPIDの原因であろうとなかろうと、それがPID診断に役に立てばよいからである。臨床的に役に立てば、患者に寄与するからである。「臨床的なアウトカムさえ出せれば、何だって構わない」が臨床マインドである。
してみると、ナイチンゲールの観察と病院のあり方が21世紀的な目線であちこち間違っていたとしても、そんなことはさしたる問題ではない。そういう指摘は単なる好事家の重箱の隅突きにすぎないし、私は重箱の隅突きには興味がない。ナイチンゲールのとった病院改善策は、その根拠となる仮説が細かく間違っていたとしても、大きくは患者の衛生と感染症の減少に寄与したし、要するに病院はよりよくなったのである。
ナイチンゲールと並ぶ英国の巨人、ジョン・メイナード・ケインズは、「自分は細かく間違えるより、大雑把に正しくありたい」と述べた。ナイチンゲールはまさに、ケインズが理想とするように「正しかった」のである。医療と看護と公衆衛生と医療行政の領域で、「細かい間違い」の回避に躍起になって、大きなところで間違える誤謬があまりに多いことを考えると、ケインズの言葉とナイチンゲールの精神は、現在、21世紀の日本の医療界においても非常に参考になるではないか。
ジョン・メイナード・ケインズ
John Maynard Keynes
1883-1946
イギリスの経済学者。20世紀最大の経済学者の一人で、経済学の巨人とも呼ばれる。1936年に「雇用、利子および貨幣の一般理論」を発表し、世界の経済や社会における政府の役割についての見方を劇的に変え、世界中に大きなインパクトを与えた。
では、そのナイチンゲールが21世紀の現代日本に現れたとしたら、彼女はどう言うであろうか。私は想像する。我々が「当たり前」と思っている、患者についている中心静脈カテーテル(CVカテ)や尿カテーテルに彼女は着目するであろう。そしてこう言うだろう。「患者からカテを取りなさい。さもなくば、病院が病人に害を与えるであろう」と。日本の医療者が「現実はそんなものだ」と流されている数々の医療・看護行為の一つひとつを、ナイチンゲールは流してしまったりはしないだろう。そして「なぜ」と問い続けるはずだ。
余談だが、尿カテーテル留置と抜去の規準についてはすでにガイドラインが存在する3)。そして、日本の医療現場はこのガイドラインをまったく遵守していない。
ナイチンゲールの文章は端正であり、正確なデータの集積と現状の観察、そして示唆に富む鋭い考察に満ちている。彼女の文章からは、カール・マルクスの『資本論』や、アントン・チェーホフの『サハリン島』を想起させられる。そういえば、チェーホフも医療の人であった。
● 引用・参考文献
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リポート:セント・トーマス病院訪問〜1987
西村 かおる
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連載:日本の近代病院建築 尹 世遠
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