沖縄の海の前で佇む益田敏子さん(映画『オキナワへいこう』より)

 

ここまで3回にわたり「Cafeここいま」の成り立ちから代表理事の小川貞子さんや廣田安希子さんをはじめとした看護師たちが地域に出ていくきっかけとなった「ココ今ニティー写真展」の存在に触れてきた。前回では、とりわけ事業構想段階での七転八倒の問いかけであった「私たち患者・看護師にとっての“地域”ってどこ?」を愚直に追い求める軌跡について書いてきた。

 

そのプロセスで、僕自身が設立の当事者としてさまざまな人つなぎをしながら、改めて再認識したことがある。それは「地域を発見するというのは、人と出会うことそのものなのだ」という、至極シンプルな、しかし決して忘れてはならない大切なメッセージだった。

 

写真展に参加してきたメンバー(長期入院患者さんたち)は、しばしばこのカフェに訪れ、思い思いに過ごし、時間が来ればまた病院に帰っていった。カフェでは地域の人たちとも混じり合い、徐々に「だれが入院者? 誰がまちの人? 関係ないない。みんなまちの人」(kokoima Facebook日記に投稿された小川さんの言葉)

 

そんな中でメンバーのひとり、益田敏子さんが71歳の誕生日を迎えた際に発した次の言葉が、他の患者仲間や看護師たち、地域の常連さんらにとって“2016年に絶対! 叶えるべき目標”となる。

 

「沖縄へ旅行してみたい 一生の内に」

 

結論から言えばこの沖縄旅行は希望メンバー全員の参加という形ではないにせよ、2016年12月に実現する。しかし、その実現までのプロセスには、「精神科病棟での長期入院」という「規範(=「そういうもん」)」との実に地道な戦いがあり、それはメンバーご本人にとってはもちろんのこと、実現に奔走する小川さんや廣田さんたち看護師たちの苦悩でもあった。一方でこの沖縄旅行は、同行した大西暢夫カメラマンによって映画『オキナワへいこう』(配給:NPO法人kokoima)として昇華され、2018年以降、上映会や大西さんの講演会などを通じて、より広く社会的に発信されるエピソードともなってゆく。大西さんは、夢と現実の狭間で翻弄されながらも淡々と生きてゆくメンバーの姿を、彼なりのユーモアな表現を駆使しながら描き、その先で、やはり「精神科病棟での長期入院」という「規範(=「そういうもん」)」に対して鋭く切り込む。

 

僕はこの現実の沖縄旅行と、表現化された映画『オキナワへいこう』の「間」に、何かとても大切なことが存在するのではないかと直感した。それは福祉や医療現場における「支援者」のまなざしと、それらを映画や記事といったメディア=作品を扱いながら、第三者的な感性で見つめる「表現者」のまなざしの差異であり、その差異ゆえに、「障害」やあらゆる「課題的属性」に対する捉え方に、より奥行きと深度をもたらすのではないか……。

 

そういうことで、今回はまずことの沖縄旅行のあらましと、映画『オキナワへいこう』の紹介、さらに小川さんと大西さんへのインタビューから見えてきた現場へのまなざしのちがいを批評的、かつポジティブに描くことで、「表現を通じて支援を超える=超支援?!」の可能性を記していこう。

 

 

「精神科長期入院患者の沖縄大旅行」のあらまし

 

コトの始まりは2018年5月。先述した益田敏子さんの誕生日会における言葉を受けて「行こう! 行こう!」と周囲が盛り上がり、カフェで定期的に「益田敏子さんと沖縄へ行く会(仮称)」が開催されるようになった。沖縄旅行のパンフレットや地図を眺めながら「読谷村のソーキそば? 琉球ガラス? 美ら海水族館?」と夢は高まり、ジーマーミーを試食しては「胡麻豆腐みたい!」と感動する(笑)。ある男性メンバーは、「母親が沖縄に行ってもいいと言ってくれた」と嬉しそう。その様子を地域のカフェ常連メンバーも「実現したらええなぁ!」と見守っている。

 

Café ここいまで定期的に開かれた「益田敏子さんと沖縄へ行く会(仮称)」の様子。みんなで資料を見ながら旅行の計画をワイワイ立てる。

 

いまさらながら、やりたいことがあるのは希望(夢)があるってことだと再認識。希望を持った人は、発する言葉に力がうまれ、表情には張りがうまれ、その人を包むオーラが明るくなる。その人のそばに居合わせている私も、影響を受けて明るい力がみなぎってくる。

 

71歳益田さんがしたいことは、「沖縄に行きたい」

 

益田さんと沖縄に行く会(仮称)が発足し、第1回の会を開催しました。希望(夢)の実現話は・・・明るく、ワクワク、キラキラ。う〜ん、うん、楽しい!

いつ行く? 「12月!」

 

その心は? 「・・・ボクの誕生日12月20日」

 

益田さん「12月にしましょう。私も誕生日を祝ってもらったから、沖縄で〇〇さんのお祝いしましょう」

 

希望を持った人は、さらにやさしい人になる!

 

(2016年6月14日の小川さんの投稿。kokoimaのFacebookページより)

 

「美ら海水族館」(やっぱりジンベイザメと勝負するのか? 益田さん)

「首里城」「伊江島」「ひめゆりの塔」「平和の礎」

「読谷村、やきものの町ですよ。ソーキそばもおいしいところありますよ」「辺野古のマングローブ。みんなみたい?」

・・・でも暑くて話し合いに集中力が・・・・。

 

なに食べたいですか?「ゴーヤ!!」と音峰さん。勢いのある発言。音峰さんと益田さんは食いしん坊ですもんね。というとクックックとお二人笑ってた。「海ブドウ」「ソーキそば」「チャンプル」「ジーマミ豆腐」やっぱり食べ物は盛り上がります。

 

次回は7/9バザーのお手伝いいただきながら、資料を持ち寄って集まります。調べものの宿題、みんなでやらなきゃ。

 

(2016年6月19日の廣田さんの投稿。kokoimaのFacebookページより)

 

次回までには各自が、家族、主治医、担当看護師に“行きたい”ことを伝えよう!」「日程はとにかく12月18日〜20日ね!」「そろそろ旅費についても……考えなあかんねぇ(苦笑)」ぼちぼちながら確実に歩みを進め、旅費を集めるためのバザーも数回開催!

 

そうこうしている間に、益田さんたちが沖縄に行こうとしている情報を知った、「ココ今ニティー写真展」の生みの親 大西暢夫カメラマンが、沖縄で繋がりのある社会福祉法人と連携し、現地での写真展開催へと漕ぎ着ける。

 

よーし。沖縄へ行くモチベーションもさらにあがる! しかしながら……やはり夏を超え秋を超え、と12月が段々近づいてくるにつれて、メンバーさんたちの気持ちは揺れ動く。カフェではこんなやりとりが頻繁に展開される。

 

「16年間、一度も外泊もしたことがない人間ですよ! 簡単にいくとは決められない。現段階では五分五分です」

 

「こわいわ。海が怖い。ハブが怖い」

 

「お金はどうするの? 高いわ」

 

一度も外泊したことない人は? の問いに「私」「俺」と、ほぼ全員。入院してから旅行の経験は? の問いに「OT(作業療法)のキャンプ」だけ。どうして行くことを迷っているのです? の問いに「迷惑かける」。迷惑って? の問いに「夜3回は起きるで」「誰が、夜、下着かえてくれますか? っていうことや」「わからへん」

(2016年10月23日のkokoimaの日記ブログより)

 

 

Café ここいまの軒下で沖縄旅行の資金を集めるバザーを開催。これが後に、カフェの横に「リユースショップ・ぜろ」が生まれる流れにつながったり……。

 

本人の気持ちの問題として「行きたいけど、自信がない」「外泊自体が初めてなんやからこわい」ということもある。しかし、仮にその気持ちを奮い立たせても、主治医や病院からの許可という高いハードルがある。ある人は外泊許可をもらえ、ある人はもらえない(そこで外泊ではなく一度「退院」し、沖縄から戻ったら「再入院」するという、かなりアクロバティックな手続きを取った人もいる)。渡航直前まで粘って、もうスーツケースだってバッチリ準備している。しかしやはり許可が下りず泣く泣く断念し、空港まで他のメンバーを見送りに行くに止まった人たちもいる。その一方で、この旅行を大きなきっかけとして、退院まで漕ぎ着けたメンバーもいる。

 

この「主治医の許可問題」と「本人の気持ち問題」は絶妙に絡み合っていて、主治医から「ダメ」と言われると「やっぱり俺はダメなんだ。そりゃそうだよね、ずっとここ(病院)に居たし、一人で何もできないんだから……」と自信が削がれるモードを生み、それがより進めば「やっぱり外泊は怖いし、ここに居るほうが安心」と気持ちが「自分の意志」として語られるようになる。この周囲(より広くいえば社会)からの要請と自分の意志の区別がつかない状態で、ここで過ごせてしまう(ここでしか過ごせなくなってしまう)という状況が、まさに「長期入院」の生み出す構造なのだろう。

 

「健康・健常」とされる人たちにとっては「なんで沖縄旅行ひとつでそんなにワサワサするの?」って不思議に思うかもしれない。しかし、患者さん一人ひとりとっては「たかが沖縄旅行、されど沖縄旅行」であり、また、それは看護師にとってもこの「されど感」は同じだ。起こりうるリスクを超えたところで「この旅行がもたらす希望」を徹底して信じ、院内や患者との間で起こるゴタゴタを「あえて楽しむ」くらいの気概でやらないといけない、覚悟と根気のいる大きなチャレンジなのだから。

 

こうしていよいよ現実となった沖縄旅行。僕たちはそのステキな珍道中の一部始終を、映画『オキナワへいこう』で体感することができる。大西さんにバトンをつなごう。

 

渡航前の空港で。沖縄へ行くメンバーも、行けなかったメンバーも、集合写真を一緒に撮った。

 

 

映画『オキナワへいこう』にこめた大西暢夫さんの思いとまなざし

 

 

 

映画「オキナワへいこう」は、患者や看護師たちの心の揺れを伴いながらも、かれらの希望を手繰り寄せて行くプロセスをユーモア混じりに簡潔に捉えた作品だ。そこから見えてくるのは、「変えてゆける未来」から逆照射される「変われない現実」だ。それはどういうことなのか、多少映画のネタバレを含むが、読者の皆さんにも各地で開かれる上映会にぜひ足を運んでいただくきっかけとしても、以下のインタビューを読んでいただきたい(上映スケジュールなどはこちら)。

 

 

忘れてはならない「長期入院」という現実

 

アサダ 大西さんはこれまで「精神科看護」という雑誌のグラビア連載で、精神科病棟の日常をずっと撮影し続けてきたと思うんですが、今回、改めて映画をつくろうと思った経緯を教えてください。

 

大西 僕が精神科病棟の現場で撮影を始めたのが18年前なんですが、最初に「長期入院」という現実を知ったときの絶望感をずっと引きずっているんですよ。30年、40年ずっと病院に居るという方と何人も出会ってきて「えっ!? なんじゃこの現実は……?」って思ってきた。でもそんな問題意識を軸にずっと活動してきた今でも、結局「この人、まだ居るやん!」ってことが往々にしてある。

 

つまり、精神障害に関わるいろんな立場の人たちが運動をしてきても「この人」にとってみれば、それは何も変わってこなかったってことになるんです。急性期の方々がどんどん退院していっても、慢性期の彼ら彼女らがその波に乗れず病院に置き去りになってゆく……。18年間現場を撮り続けてきて、この悔しさというか、このやるせなさは絶対に忘れてはならないという思いでこの映画をつくりました。

 

 

大西暢夫さん。関西大学堺キャンパスでの上映会にて。

 

 

アサダ 今回は写真ではなく映画という表現・アプローチにしようと思ったのはなぜだったのですか?

 

大西 うん。僕ね、これだけ取材していると精神科の事情みたいなものが理解できるようになっていたから、「沖縄旅行」って話が持ち上がったとき「必ず何か一悶着起きるな……」という勘が働いたんですよ(笑)。それと、これまでは精神科の日常を漠然と写真で撮ってきたんだけど、それは患者さんにとっての何十年というストーリーの一瞬を切り取らせていただいているのに対して、今回は「2泊3日の旅行」という物語の始まりと終わりが確実にある。精神科病棟の日常にそんなことは滅多に起こりません。毎日がただただ、ず〜っと続いている。これだ! この時間をムービーで切り取ってみよう、この特別な沖縄旅行の出来事を捉えることで、「長期入院」という現実の本質のようなものを表現できるのかもしれないって思ったんです。

 

アサダ なるほど。それはまさに大西さんが蓄積されてきた経験に基づく直感なのですね。

 

大西 それで、やはり案の定「ダメですよ。行ってはいけません」って主治医から言われるわけです。その理由は「長期入院だから」なんですよね。退院するための「条件」がもともと揃わない人たちだからという空気・常識が、病院という仕組みの中に蔓延してゆく、この問題を僕らはどう考えればいいのか。

 

まさか、西口(賢一)さん、田村(正敏)さん、治村(正信)さん(それぞれのメンバーの言葉やキャラクターは第7回第8回を参照)のおっちゃん3人組に対して見事に許可が下りないってことは想定してなかったけど(苦笑)。彼らは結局沖縄へは行けなくなった。印象深かったのは治村さんのセリフです。「夢やったなぁ……」って。彼は詩を書いているし、やっぱり言葉がとてもよくて……。本当に夢で終わってしまった、だけど夢の中では沖縄に行ったんだという感じがじわじわ伝わってきたんです。

 

映画でそのシーンを観てもらったら、きっと皆さんもむしゃくしゃしたり、モヤモヤしてくると思うんですよ。「なんで行けなかったんだろう?」って。で、その「なぜ僕らはむしゃくしゃしてくるのか?」って立ち止まって考えることが実はとても大切なことだと思う。なぜなら「その現実に、僕らもどこかで加担しているんですよ」ってことを少しでも感じてもらいたいから。地域で生活する私たち「健常な」人たちも、この長期入院という構造に加担してしまっているんだということを、笑いも交えながら、さりげなく観せたいという思いがあるんです。

 

 

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>> 連載のはじめに・バックナンバー

第九回

病院から地域へ。精神看護と地域づくりのハザマから見えること。その4

― 沖縄旅行と映画「オキナワへいこう:支援者と表現者のまなざしの違いが生む豊かさについて(前編)―

  • >> 今回の視点 〜 編集部より

    精神科病院における「長期入院」の内実は、2018年にNHKテレビで放映されたETV特集『長すぎる入院〜精神医療・知られざる実態』を通じて話題となりました。番組では高度成長期の国による隔離政策のもと、人々の偏見とそれを恐れる家族からも疎外された(そもそも患者ですらないかもしれない人も含む)入院患者たちの実態が明らかにされていました。

     

    カメラマン・大西暢夫さんが制作された映画『オキナワへいこう』は、そうした社会的な構図に直接問題提起を行う作品ではありません。『長すぎる入院』では、東日本大震災の原発事故という負の出来事が「長期入院」を続けていた人々に思わぬ転機をもたらしました。一方でこの映画は、沖縄旅行という私たちにとってはささやかな、しかし彼らには人生でもう一度あるかどうかわからない「晴れ」の出来事に焦点を当てたドキュメンタリー作品です。

     

    実はアサダさんは、今回の記事を公開するにあたり、とりわけカメラマン・大西さんとのインタビュー部分についてある種の不安を抱えておられました。それは、2人がともに表現者としての立場から映画の中で起きた出来事について語っていることに、看護職を含む当事者の方々が何らかの違和感をもたれる可能性を危惧されていたからです。そこでこのデリケートな課題については次回、看護師である小川貞子さんへのインタビュー、そしてそこで語られることに対する大西さんの応答を交えながら向き合うことにしました。

     

    映画では、NPO法人kokoimaのメンバーらと患者たちの温かでユーモラスな駆け引きや、旅行に行けるかもしれない期待とは裏腹な不安や怖れ、そこからくる真っ直ぐな語りと振る舞いに触れて、笑いと涙が次々と押し寄せてきます。そして一方でそこには、終始なぜか他人事とは思えないような、静かな哀しみの気配が漂っていることに気づくのです。

     

    彼らが置かれた状況はいったい何のせいなのか、「悪いやつ」は誰なのかを考えることも必要でしょう。またその結果、私たち自身がそこに加担する当事者だと気づくことが非常に重要です。しかし、この映画を観た私にとってより切実だったのは、実は彼らはたった一つの人生しか生きない私たちすべての者が抱える哀しみそのものを、彼らであるからこそ見せてくれているのではないだろうか、という気づきでした。そしてその哀しみの前では、障害者と支援者という関係はおろか強者と弱者の構図、さらに言えばそもそも誰が何者であるかという規定さえ、もはや無力で意味のないことのように思えてくるのです。

     

    表現されたものごとは、良くも悪くも表現する者自身の意図や理屈を超えて、触れる者たちの心を思わぬかたちで揺さぶることがあります。その力は正確な言葉にすることがとても難しいぶんだけ、ときに言葉よりも深く強く、大切な何かを伝えうるのだと私は思います。

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