「Caféここいま」のある香ヶ丘商店街で2017年8月に開催された「夏だ!夜店だ!ときめくパルファン・ストリート」のようす。

 

精神科病棟に長年勤めてきたベテラン看護師たちが中心となって運営すNPO法人kokoima」。代表理事の小川貞子さんとの出会いについて、またその出会いのきっかけとなった「ココ今ニティー写真展」については、前回で詳しく触れた。

 

長期入院患者が被写体となったプロ・カメラマンによる撮影をきっかけに、彼ら自身が看護師たちと協働して、これまで経験のない「写真展」の企画に取り組む。そのプロセスで「地域」に参加し、そして自身のライフヒストリーを写真の前で語る(ナラティブ)。この写真展では「看護師/患者」の間に引かれた「/(ボーダー)」は薄まり、写真展を企画する「メンバー」として両者の関係性がじわじわと編み直される。

 

しかし、こうした「ケア・支援観」の変容は同時に「揺らぎ」も伴う。地域に出て新たな出会いを獲得していくプロセスで、気持ちが不安定になる患者の姿。写真展を通じて体験してゆく目の前の患者との「出会い直し」、あるいは「一人の固有の“私”としての互いの立場を超えた対話」へとその関わりが進展するにつれて「本当に必要なケアとは一体何なのか?」「このままのケア体制でいいのか?」といった戸惑いやためらいを実感してゆく看護師たち。

 

院内にコミュニティサロンをつくり、さまざまな試みを重ねて浅香山病院を早期退職した小川さんたちは、地域に「彼ら彼女らのための家をつくろう!」という青写真を描き出す。今回は、その際の議論とアクションの中から悩みに悩んだ「じゃあ、私たちの言う“地域”って一体ぜんたいどこなの?」という話を中心に書いていきたい。

 

 

「地域」を探す迷路のような道のり

 

 

2015年の春から夏にかけて、浅香山病院内の「ココ今二ティーサロン」で開かれていた「ココ今ハウス構想研究会」の様子。

 

 

2015年4月から同年11月の「NPO法人kokoima」設立までの数ヵ月は、浅香山病院の院内に設けられた「ココ今ニティーサロン」にて、毎月のように研究会が開かれていた。その名も「ココ今ハウス構想研究会」。目的は、写真展メンバー(患者)が退院を遂げ、地域生活を送れるような「家」をつくること。研究会委員は、小川さんや廣田安希子さんや北村素美恵さんを始めとした、現在NPO法人の中核を担う看護師たちと、小川さんと旧知の小児科医や定年を迎えた元会社員、精神看護に携わる大学教員や建築畑の行政マン、アートとコミュニティづくりの立場の僕も含め、構成された。

 

 

 

「ココ今ハウス構想研究会」で小川さんが作成したプロジェクト関係者相関図。医療・看護内外問わず、多様な背景を持った人たちがこの動きに賛同した。

 

 

当時の会議資料を振り返れば、ここでは、その「家」がグループホームのような形をとるのか、シェアハウスというニュアンスに近いのか、あるいはメンバー各々が個別の部屋を借りつつもみんなで集えるスペースを別途借りるのか、などが議論されていた。形態の違いこそあれ、ポイントとして浮かび上がってきたのは「住まい」でありながらも「集いの場」があり、かつその場が地域に開かれている(あるいは地域に働きかける)という点だ。

 

加えて、小川さんたち看護師からたびたび上がってきた意見は「“施設”ではない」という点だった。理想は、メンバーたちがその場で何かしらのアクションを起こすことで、地域住民も集まりたくなるような場……。かつ、あくまで「普通の家」であり「施設」ではない場。でもよくよく考えれば読者の皆さんもモヤモヤしてくるのではないだろうか?「“普通の家”って、そもそもどんな家?」とか「じゃあ逆に“施設”ってどこからどこまでのことを言うの? グループホームであれば施設ではない?」とか。

 

「当たり前のようだけど結構その線引きは難しいあえて言え「福祉」や「医療」の匂いのしない場が求められているということだろうけど、それはそれで「福祉」や「医療」に対する過度の関心の裏返しでもあるだろう。研究会は徐々に「ええい! 議論を重ねてばかりだと埒があかない!」となり、まずは堺市内のさまざまな地域や物件を当たりつつ、「走りながら考える」という方法をとるようになった。研究会資料のなかから、以下、物件探しにまつわるメモを抜粋しよう。

 

2015年5月5日(来栖・小川)

堺市阪堺線沿い/綾ノ町あたり、堺市榎木元町 都市の過疎化現象・・・ほんまにそうやわ。

 

2015年5月9日(北村・廣田・小川)

大阪狭山市駅から徒歩1分 スーパーあり 築36年文化住宅 10戸(ワンルーム) 母屋付きで販売! 全部で116坪 面白い仕掛けができそう! 町としての喧騒感あり。 条例でパチンコなし

 

2015年5月12日(廣田・小川)

南海高野線沿いを探索 寂れてる。商店街の店がつぶれ、更地が目立つ

 

<物件内覧 大阪狭山市駅歩3分>

築24年目 木造2階建て 改修がこまめにされていて、室内がきれい デザイン性がある 利回り 8.9〜12.0%・いい感じなのは百舌鳥八幡駅周囲 大阪狭山市駅周辺と同じような雰囲気として

 

<団地と素敵な古民家風の空き家がいっぱい・・・金剛>

人口 大阪狭山市 5万7千 富田林市 7万ちょっと。高齢化率は富田林市が3~4%高い 介護保険のデイケア、施設がごろごろできてきている

 

これらのメモを振り返ってわかること。それは当時の僕たちは「物件」や「地域」を見る視点がちゃんと定まってなかったという点だ。長期入院経験のある精神障がい者が地域で自立した生活を営むような住居モデルがほぼ存在しない中で、これらの背景にとって必要となる「物件」とは? そしてその住生活の土壌となる彼ら彼女らが真に暮らしやすい「地域」とは? それは一体どんなものなのだろう。このあたりの深い議論になかなか至れないまま、さまざまな方々のアドバイスをいただく旅へ。

 

例えば、岡山市内で精神障がいがあるために住居が見つけられない人たちの入居支援を行っている、阪井土地開発株式会社の阪井ひとみさんに会いに行く。阪井さんからは「こういった社会福祉的に大切なことだからこそ、持続可能なやりかた、つまり経営感覚を持った“事業”としてやるべきだ」という助言をいただいた。金銭的な計画もちゃんと立てていかないといけないわけだが……うーん、まだまだそこまで議論が……(苦笑)。

 

 

 

「ココ今ハウス構想研究会」の際の「ハウス」のイメージメモ。当時の議論はなかなか混沌としていた……(苦笑)

 

 

そして次につながったのが、大阪市阿倍野区昭和町で「まちの不動産屋さん」として活動する丸順不動産三代目社長の小山隆輝さんだ。小山さんは、昭和町エリアの長屋や古い建物のリノベーション・利活用を通じて、デベロッパーが行う再開発とは別の方法で、地域に根ざしたまちづくりを積極的に行ってきた方である。

 

小山さんに会いに行った理由はふたつ。ひとつは前述した阪井ひとみさんとの対話からも彼の名前が挙がってきたこと。もうひとつは僕が以前から文化事業や執筆を通じて提唱して来た「住み開きを、家を通じたまちづくり事例の一環として評価してくださっていた嬉しい縁から! また一方で彼は、知的障がい者向け生活訓練所として社会福祉法人への物件の賃与や、多機能型デイサービスを営みたいというNPO法人の誘致も手掛けられてきた。これは相談しない手はない。

 

僕からアポを取り、2015年8月、小川さんと僕とで小山さんに会うために昭和町まで出向く。快く迎えてくださった彼に僕たちのビジョンと進捗を伝えた。対話を進めるうちに僕たちのどこに「芯」があり、同時にどこがまだ「ブレ」ているのかが明るみになってゆく。そのブレを端的に言えば、僕たちは本当に「地域」をしっかり見てきたのだろうか? 物件の入手という目先の目標だけに捕われてなかっただろうか? ということだ。彼の助言は以下のようなものだった。

 

“地域”で活動をするのであれば、物件よりも前に重要なのは、その地域の強力な支援者、バックボーンになってくれる人を探すこと。

 

このメッセージの背景にはさまざまな意図があるが、そのなかでもシビアな問題としては、精神障がい者が住まう家という存在が、今の日本の地域社会ではなかなか快く受け入れられないという、悲しく厳しい現実だ。だからこそ地域の中で理解者を見つけ関係性を築き、受け入れてもらえる地道な努力こそが、物件を取得する以前に必須なアクションであるのだと。

 

ましてや、まったく縁のない地域での活動ということであれば、なおのこと慎重さを求められるであろう。この助言は、まちづくり的な仕事にも関わってきた僕にとっても実に腑に落ちるものだった。さらに続いて、小山さんは僕たちにこう尋ねたのだ。

 

 なぜ、浅香山病院の近くで考えないのか?

*1:筆者が2009年に提唱したソーシャルコンセプトで「自宅の一部を、自分の好きなことをきっかけに、他人や地域に無理なく少しだけ開く活動」のこと。もともとはアート活動の一環として実践し、広めたものだが、マスコミの影響などもあり、まちづくりや地域福祉の先進事例として注目されることが多くなった。詳しくは拙著『住み開き 家から始めるコミュニティ(筑摩書房参照。

 

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>> 連載のはじめに・バックナンバー

第八回

病院から地域へ。精神看護と地域づくりのハザマから見えること。その3

─ 私たちにとって「地域」とはどこか?─

  • >> 今回の視点 〜 編集部より

    精神科病棟に入院する患者との協働でプロデュースした写真展。その活動を通じて看護師と患者の間に引かれたボーダーラインが溶け出し、職業人としてだけでなく「個」の立場から「ケアとは何か」を考えざるをなくなった小川さんや廣田さんたち。

     

    彼女らが、病院から地域へ飛び出す決心をしたあと、次に向き合ったのは「じゃあ、私たちの言う“地域”って一体ぜんたいどこなの?」という問いでした。そしてこの問いは、それまで「ココ今ハウス構想研究会」メンバーたちの意思共有の中で曖昧にされてきた、ある重要な迷いやブレを眼前に浮き上がらせていきます。

     

    どのような取り組みでも多少なりに、どこかで「腹を決め」てブレイクスルーを起こす必要が生じます。kokoimaのメンバーたちにその機会をもたらしたのは、多様な人々とのつながりと、かれらとの間で重ねた対話の数々でした。

     

    そしてそれは足元の地域でその(いま)、その(ここでこそ得られる価値に気づくことでもありました。

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