医療の中で生活を考えること
三井:病院というあれだけガッチリと強く制度化された場の中で、看護職が「生活」というものを日々持ち込もうとされているのは本当にすごいことですから、その時に自分が持っていた流儀とか線引きに従ったやり方ではなく、もっと根幹にあるものを活かしてほしいですね。ある看護職の文章を読んでいたら、自分たち看護師はこれから地域包括ケアのために在宅のほうへ移っていくだろうから、そこでケアの管理者になっていくことを宣言されていたんです。でもその言葉をそのまま受け止めると生活の場に「病院」を持ち込むことになってしまいます。つまりね、病院という場で生活の視点を持ち続けることは素晴らしいけれど、生活の場に病院での流儀や線引きを持ち込んでしまってほしくないと思うんです。
吉田:むしろ「医療の中で生活を考えるのをあきらめるな」ということかな。「福祉に越境する」とか「福祉に向かって目を開け」ではなく、福祉や生活の場をじっくりと見に行って、それを医療の現場の中で守りぬくべきだと。
三井:今、自分が地域支援などに携わる中で医療者の方と関わっていても、看護師さんに「こっちへ来てほしい」とはあまり思わないんです。互いの間にある「ズレ」がどうしても気になるから。例えばがんの治療について医療者から「リンパにもともとのがんがあったのかもしれない。それはお腹を開くとわかる。開いてわかれば抗がん剤治療を始められる。でも、どの抗がん剤を使うかはわからない」という説明をされた時に、それを家族の側の気持ちで聞いていると、どれだけ混乱を生むかがよくわかるんですね。「え? つまり、お腹を切ってもわからないかもしれないんだ。もしわかったとしたら助かるかもしれない。でも、“かも”なんだよね。その“かも”っていったい何パーセントなの?…… それを言ってくれないのなら、いったいどうしろと言うの?」という感じになる。そうすると医療者を質問攻めにしたくなるじゃないですか。そこにとことん付き合ってほしいんですよ。だからつまり、別に家に来てほしいわけじゃない。ただ、そんなふうにつながる相手はめちゃめちゃほしいんです。病院の中にいてくれていいから。
吉田:なんというか、看護師は自分たちがやれていないことを憂うんじゃなくて、これまで守り抜いてきたことを評価すべきなのかもしれませんね。
三井:そういうことだと思います。
日本看護協会出版会
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