目の向きによってモニター画面のカーソルが動き、絵が描かれる。まだ試作品だが、将来誰にでも自由に絵が描けるような世界を想像することができる。

 

患者の主体性をうながすインタラクション

 

もう一つ事例をご紹介しましょう。上の写真は、手指の動きに制限のある子どものために、目の動きでモニター画面上にカラフルな色を描くことができる装置をプロトタイプ的に開発したものです。ALSなどの疾患をもつ人に在宅看護で活用されることもある「Eye Tracker」の技術を利用しています。

 

これと同様の仕組みを用いて、筋ジストロフィーを患う子どもに「目線を動かすと部屋の明かりが選んだ色に変わる」というツールも体験してもらいました。本人のADLは、ベッド上での生活、座位から全介助で車椅子に移乗、四肢の動きに制限があります。

 

若干の斜視があったため使用時に調整が必要でしたが、目線の動きに大きな反応が得られるという成果がありました。見守る周りの反応もあったせいか本人には笑顔が見られ、体験後に話を聞くと「楽しかった。これを使ってゲームをしたい」と言っていました。サポートしてくださった看護師さんによれば、今までそんな言葉は聞いたことがなかったそうです。これも簡単な仕掛けでの体験ではあったのですが、ちょっとしたきっかけで、一人の患者がそれまで考えもしなかったような目標を再設定することにつながっていくのではないかと思いました。

 

また、ある看護師の方が「これって、俳句を書くためのものとかつくれますか?」と声をかけてくれました。以前、同様に筋ジストロフィーを主疾患にもつ患者さんで俳句を趣味にされていた方がおられたそうです。「好きなことができなくなっていく姿を見ながら、看護師として何もできなかった」とおっしゃっていました。医療や看護の力だけでは解決できないことでも、技術の力があれば諦めなくていいケースがきっと増えてくるはずです。

 

上に挙げた例はいずれも「体験」を提供するものですが、こうした技術を在宅ケアでのコミュニケーションに活かすこともできます。たとえば文字盤の利用が受け入れにくい方に絵を描いたり音楽を奏でるツールを提供することで、意思疎通の方法に選択肢を増やすことも可能になるのではないでしょうか。

 

僕はこのような実践での経験から、個々のケアに合わせて開発されたプログラムは、単に「楽しい!」という体験だけではなく、生活上の動作やコミュニケーションに制限が生じている当事者が主体的になれるきっかけを生み出し、それぞれが新たな目的を見つけていくことに役立つのではないかと考えています。

 

しかし、おそらくそこで皆さんの頭に浮かんでくる疑問は「果たして、特定の患者の特定のケアにフォーカスを当てたテクノロジーの応用が実際にどこまで可能なのか」ではないでしょうか。でも近年、こうした必要性に応じることができる社会的な環境が急速に整ってきているのです。

 

いくつかの理由がありますが、まず、微細な身体の動作を感知するセンサー機器やハイスペックなPCなどの価格が低下し、個人レベルでプロトタイプとしての開発が可能になってきていること。僕が使用している機材も数年前までは100万円前後の価格だったのが、現在は開発用として数万円でリリースされており、個人で導入に踏み切ることができました。

 

また、情報技術の世界におけるオープンソース文化も大きな要素です。オープンソースとは、開発したプログラムのソースコードを公開し、一定程度のライセンスを保持しつつ誰もがアップデートに寄与できる環境をつくり、みんなの力で技術を高めていくことを理念とする文化です。看護師である私がプログラミング技術を獲得できたのは、「GitHub」をはじめとしたソフトウェア開発の共有環境が整っていることや、公開プラットフォームを介して得られる多くの人々の知見を通して、さまざまなノウハウを学ばせてもらえたからです。

 

このように、個人や特定のケアをサポートしていくことができるプログラムや先端技術は、本当の意味での"看護ケアとともに歩むことのできるテクノロジー"として、これからはより身近なかたちで実現していくのではないかと思います。

 

次回は、ものづくりの歴史を紐解きながら、個別性に応じたテクノロジーのあり方について考えていきたいと思います。

 

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>> 連載のはじめに

教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

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