ウクライナからロシアへ ──看護師ニーナさんに話を聞く interview by 金沢友緒

ロシア文学研究者・金沢美知子さんの「クリミア戦争とトルストイ〜作家という残酷な生き物」では、19世紀のクリミア戦争でロシア側の看護活動を支援し、のちのロシア赤十字創設に貢献したエレーナ・パーブロヴナ大公妃について触れられていました。時はめぐり、2014年のクリミア危機を経たウクライナではいま、看護師はどのように働いているのでしょう。同じくロシア文学の研究者である金沢友緒さんに、ウクライナ出身のロシア人看護師へのインタビューをお願いしました。(2019年3月)

ウクライナの国旗色「独立ウクライナの旗」と呼ばれたシンボルを国旗として制定したもの。青色は空を、黄色は小麦を象徴し、実り豊かな農業を表わす。

医療事情は国や地域によって異なる。ウクライナでは、国民は原則として病院で無料で診察・治療をしてもらえる。多くの住民は、国立の総合病院で長時間待った後に無料の診療を受ける、という生活に慣れているようだ。ロシアでも概ね事情は同じである。

 

高い費用を払えば、私立病院や外資系の医療機関を利用することは可能でだが、必ずしも満足のいく治療を受けられるというわけでもない。「英語が通じやすいのはありがたいけどね」というのは外国人患者の意見である。ともあれ、技術やサーヴィスの面では解決を急がなければならない現実的な課題を抱えているようだ。

 

このたび話を聞く機会を得たのは、ウクライナ出身の看護師で、現在はロシアの医療機関で働いている女性である。名前はニーナさん、年齢は48歳。インタビューに抵抗を感じる人もいるなか「同じような仕事をしている同志の役に立つのなら」と喜んで協力してくれた。遥かユーラシア大陸の西端に近い地で暮らし、仕事をしているニーナさんへのインタビューは、互いのPCでSkypeを用いて行った。

 

 

インタビューに快く応じてくれたニーナさん。

 

 

看護師になったのは……

 

ニーナさんはウクライナの首都キエフから西にバスで数時間ほど行ったところに位置するリウネという町の出身である。看護師のキャリアは25年以上重ねている。

 

―─ 今はロシアでお仕事されているんですね。

 

生まれ故郷のリウネは、大きくはないけれど美しくて自然にも恵まれた町で、私はそこにある専門学校を卒業し、すぐに公立の総合病院で働き始めました。リウネで働いていたのは看護師になって最初の数年かしら。その後、ロシアのサンクト・ペテルブルグ市北部へ移って、幾つかの病院に勤めました。

 

―─リウネとロシアでは看護師の仕事に違いはありますか?

 

この仕事はどこにいても基本的に変わりません。私の仕事はいつでも、患者さん一人ひとりと向き合うことですから。国や病院が違うことは、少なくとも自分にとってはあまり重要ではありません。例えば、一緒に働く職場の同僚にはいろいろな人がいるけれど、仕事をしている間はそれほど気になりません。

 

―─看護師の仕事に就いたきっかけは何だったのですか?

 

きっかけねぇ……。

 

「うーん」と、困ったような笑いを漏らしながら少し考え、口を開く)

 

気づいたらこの道に進んでいたので、決定的なきっかけが何かはわからないけれど、とにかく自分にできる方法で人を救いたい、とは昔から思ってました。それから子どもの頃の記憶で、母にお人形さんとお医者さんセットを買ってもらって、よく「小さな患者さん」を診察してました。包帯を巻いたり、薬を飲ませたりしてね。

 

──きっとそれがきっかけですね。

 

そうかもしれない。母に感謝しなくちゃ(笑)。

 

―─ところで最近の医療についてはどう思いますか?

 

昔に比べると、こちらの病院でも徐々にコンピュータ技術や新しい薬が医療現場に登場してきています。麻酔の質もよくなってきているし。20年の間にいろいろと変わるのは当然ですよね。

 

でも、私がいつでも感じるのは、やっぱり人として患者さんの心に寄り添わないと、結局はケアができないということでしょうね。その時一番必要なのが、言葉。言葉の力ですね。

 

(そう答える彼女の言葉にも、力が籠もっている)

 

 

人工中絶に訪れる患者たちとのかかわり

 

いま、私が働いているのは産婦人科の専門病院なのですが、人工中絶のために病院の門を叩く妊婦の中には、心に迷いを抱えている人も少なくありません。そういう時には、彼女たちの不安や恐れ、ストレスを受け止め、ケアをしてあげなければなりません。

 

─―どのように?

 

私の場合、まず患者さんに話しかけて、相手が少しずつでも返してくれる言葉に精一杯耳を傾けます。赤ちゃんの命を奪うために自分たちが病院に来ているということを、みんなわかっているんですよ。もちろん、それぞれの事情があるのでしょうから、彼女たちを決して責めようとは思ってません。

 

でも一方で、彼女たちの選択をはなから機械的に受け入れる気にはなれない……。だから、とにかく語りかけてみるんです。患者さんとコミュニケーションをとり、私なりに相手のことを理解したうえで、それでもやっぱり考え直してみたらどう? と、あらためて言葉を尽くして説得してみる。

 

「何も特別なことをしているわけではないですよ」と彼女は言い足した。が、すぐにまた嬉しそうに話を続けた)

 

でも、どんな決断にせよ、患者さんの多くはそうした会話を通して自分なりの覚悟が固まっていくみたいです。こうして今まで私が説得しようと試みた患者さんの何人かは、最終的には中絶を思いとどまり、産む決心をしてくれました。そういうときは本当に嬉しいですね。ひとつ、新しい命を救うことができたんだなって。

 

 

ニーナさんが現在勤めている、ウクライナ公立第一医療看護センター。

 

 

 

―─ 看護師は、ニーナさんにとってどんな仕事なのでしょう?

 

そうですねぇ、私にとってこの仕事は「天職」です。誰かを助けることが、神様から見守られている私の使命だと思っているので。

 

―─ ナイチンゲールについてはご存知ですか?

 

ええ、もちろん。私たちの先輩として彼女は本当に有名ですから、この国でもみんな知っています。彼女と、それからマザーテレサも私たちの間では知られた存在ですね。ナイチンゲールとはまた違った形で人々の救済を追求していった人です。2人とも使命感を持っていたからこそ自分の仕事を成し遂げたんだと思います。

 

── 使命感とは?

 

たとえば、伝染病患者のすぐ傍らで、あるいは不潔な病室の中で、使命感を持たずにこの仕事に立ち向かえると思いますか? いくらお金を積まれたって、信念がなければ最後は必ずしっぽを巻いて逃げ出してしまいますよ。

 

実際に、私はそうした同僚も見てきました。報酬が目当てで、患者さんに対して必要最低限のノルマだけをこなしていましたが、結局仕事についていけなくて、いつの間にかや辞めていきました。私は、患者さんを救済するこの仕事が、神様に示された道だと思っています。

 

(彼女の真剣な言葉に、つい聞き入ってしまう。そこで、少しプライベートなことも聞いてみることにした)

 

―─ ご家族はいらっしゃるのですか?

 

はい、結婚しています。子どもは息子と娘が1人ずつ。もう大きいんですけどね、いい子たちですよ。

 

(モニターの向こう側で、ニーナさんが顔をほころばせる)

 

─― 仕事をしながらの子育てですね。きっと大変だと思いますが、うまくやっていくうえで何か秘訣はありますか?

 

そうねぇ、ごく普通に育てただけですが。ただ、音楽を習わせました。音楽は自分に自信を持ったり、人に対して何かを表現するために、とてもいい手段だと思います。子どもたちも昔から教会に通っているので、娘は聖歌隊のコーラスの一員ですし、息子はギター・アンサンブルを組んでいます。

 

─―今後もどこか別の土地に移って、そこの病院で働く予定はありますか?

 

ええ、もしかしたらそうなるかもしれませんね。専門病院かもしれないし、もっとさまざまな患者さんが来る総合病院かもしれないけど、成り行きに任せます。ロシアでも、ウクライナでも、それにヨーロッパでも。先ほど言ったとおり、どこに行っても私がすることは同じですから。

 

 

世界中の看護師が共有する信念

 

PCの画面を隔てたインタビューの最中、私は終始、彼女から揺らぐことのない信念を感じとることができた。そして、その穏やかな受け答えの中に、自分の仕事に対する自信が随所に表れていた。

 

ウクライナやロシアにかぎらずどこの国で働くにしても、自分自身の信念を貫くだけだというニーナさん。世界中のたくさんの看護職たちが、この同じ一つの信念を通して互いにつながっている。

 

(おわり)

 

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かなざわ・ともお

埼玉県立大学、電気通信大学などで講師(非常勤)。東京大学卒業、東京大学大学院博士課程単位取得退学。国立ロシア科学アカデミーにおいて学位取得。専門はロシア文学・文化、比較文化。主な仕事に『18世紀ロシア文学の諸相』(分担執筆・水声社)、『ロシアの歳時記』(共著・東洋書店新社)。また、東京芸術大学での非常勤を経て、ロシア・ポーランド歌曲の訳詩などを手がける。

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