実存主義の問いの出発点は、あらゆることがらに確かな意味や価値、根拠を見いだせないことにあり、さらに自分が他者や社会、歴史に対して根本においては無縁でありうること、そのあり方がまさしく今「私が」生きている状態となっているということでした。つまり、世界の事象すべてが曖昧で疑わしく、浮遊したものとしてしかとらえられない感覚のなかで、いかに生きるべきなのか、ということを問いかけていました。
結果的には、デカルトが「私」の確からしさを出発点としていたのとは正反対に、「私」というものの曖昧さ、不安定さ、気持ちの悪さが出発点となっています。「私」以外に拠り所となりうるものがないがために、やむを得ず「私」から出発するほかない、ということに根差したものです。
実存主義は、新しい時代を生きようとする「戦後」において、抽象的で理想的な人間(のイメージ)ではなく、現実に存在する具体的な生身の人間(現実存在、事実存在)を常に見つめていました。既存の価値観をそのまま受け入れるのではなく、各々が主体的に生き、他者や世界(状況)と生々しく関わり、自ら考え行動し、各々のやり方で自由を追求することを目指したのです。
さらに厄介なのは、こうした不安定な「私」は、最初から「人類」「人間」「私」という抽象名詞で語られることで、より一層不安定さを増します。実存主義はこのことを「実存は本質に先立つ」と述べました。この世に自分が生まれ出るのも偶然、死ぬのも偶然であり、何ら必然的なものではありません。人は最初は何ものでもなく、後になって初めて「人間」になるのです。場合によっては「人間」という枠に押し込められるのです。これが「実存主義」の考え方の根本です。後にボーヴォワールは「女」というものもまた、生まれながらに「女」であるのではなく「女になる」のだと、その主著『第二の性』で述べることになります。
はっきりしているのは、ヨーロッパの伝統的な(中世的な)人間観とすっぱり手を切っていることです。ニーチェの「神は死んだ」という言葉を第9回で紹介しましたが、その後の時代を生きる「人間」のあり方として、実存主義はさらに一歩進めたことになります。弱さを抱えたまま、既存の権威に頼ることなく「超人」として生きることをニーチェは訴えましたが、その具体的・現実的な姿はあまり明瞭には描かれませんでした。しかし実存主義ははっきりと「実存」というビジョンを描き、自らの生き方、さらに言えば2人の生き方として具体的に示したのです。
この「実存」というものは、確かに何にも縛られることなく、我が道を歩むことができるという意味でとても「自由」な考え方です。自分の生き方、考え方、職業、人間関係、趣味、あらゆることを自分の思うように選びとり、自分で自分らしさをつくりあげてゆくことが求められました。
もちろん、この「自由」というものは単なる「自分勝手」とは異なり、常に「責任」がつきまといます。しかも自分や家族、友人、仲間など、近しい人たちとの関係においてのみならず「人類」や「歴史」に対して「責任」を負うことが強調されました。「自由」とは、とても重たいものです。
実存とは「私は~である」と、はじめから決まった存在ではなく、自分のあり方を自分で選択し自ら作り出すもの、未来に向けて可能性のあるもの(=投企的存在)です。しかし一方で、他人がいて初めて「自分」がある(=対他存在)ことが強調されており、他者のまなざしにとらわれて生きることが宿命となっています。そのため、ここにおいてもデカルトの独我論からの離脱が見られます。
もちろんデカルトの「我思う、故に我在り」は実存主義においても出発点以外の何者でもありません。しかし実存主義にとって「我」とは、それのみで成立するものではありません。他者を通じて初めて「我思う」が成立します。その意味では実存主義は、第4回で紹介したヘーゲルと同じように、他者との相互承認のもとで「私」が成立するととらえています。
このように実存主義の「自由」とは、「自分勝手」や「何でもあり」ということではなく、逆にさまざまな足枷を持ちながらも、そのなかで自分の可能性をかけて生きることでした。自ら選んだ方向に「自己」を自己責任のもとで拘束し、一度きりの人生を悔いなく生きることです。もちろん来世への期待などありません。
晩年にサルトルは少しだけ未来への「希望」について語りますが、ボーヴォワールは決してそうした考えを認めませんでした。人間は「無」から始まり「無」に帰する、と考えるのです。しかしそれゆえに、たえず責任、選択、決断、行動(実践)を伴います。また、それゆえ不安や孤独感、絶望も必然的に伴うのです。しかし、それこそが「自由」なのだと2人は考えました。
特にこのことは「死」をめぐる議論において顕著です。同時代の哲学者であり、しかも実存主義が最も影響を受けた哲学者フッサールの愛弟子であったハイデガーに対抗して、2人は「死」を「偶然」の出来事と断定します。特にボーヴォワールは、死は「事故」であると主張しています。
それは、ハイデガーが「死」を人間存在にとってきわめて重要な「定点」であるととらえることで、結果的に個人ではなく、「大地」や「血」といった何か「依拠すべきもの」と結びつける考えをはねのけようとしたからです。もっと言えば、ナチズムやファシズムに至るような思想を受け入れることができなかったからです。「実存」とは、あくまでも、ふとこの世に生まれ、ふとこの世から消え去るものです。ここに宿命めいたことはありません。
第二の性
1949年に刊行された『第二の性』は、戦後の「新しい社会」「新しい男女関係」を問いかけたことでよく知られています。とりわけ第2部冒頭の「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という文章はボーヴォワールの代名詞と言えるでしょう。現在でこそ、性の平等や多様性が普通に語られるようになりましたが、男性中心の社会観、人間観、男女観を唯一のものとする社会を、女性が自由に生きることを阻むものとして強く批判できるようになったのは、何よりもボーヴォワールの功績です。
ボーヴォワールは、生物学的な性差が「女」というものを指すのではなく、私たちの社会が「女」というものを決めていると考えました。これは言い換えれば、性差別を前提とする社会においては、女性という性を最初から「劣る」ものとみなす考えに対して、そうした「優劣」は、社会がつくりあげたものだ、ととらえたのです。これにより「女性らしさ」や、職業上の性差における機会不均等、家庭内における妻としての立場などは、社会問題として立ち向かえるようになりました。実際、2人が長きにわたってパートナーとして行動や発言をともにしてきたこと自体が、1つの「男女関係」の姿を生き生きと世間に伝えたことに、重い意味を見い出します。
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