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西村先生、事例をどうもありがとうございました。病棟で働き始めて10カ月あまりの新人看護師Aさんが準夜勤で、経皮的冠動脈形成術(PTCA)を受けた患者さんを担当したときの場面ですね。鼠蹊部からカテーテルを通すPTCAの術後、止血のために数時間の安静を強いられていた患者さんとの安静解除前後のやり取りがとても印象的な事例です。

 

Aさんは先輩看護師と二人で、消灯までのあいだ、多くの患者さんのケアをするなかで、その患者さんのベッドサイドを訪れ、鼠蹊部の痛みや下肢のしびれ、出血の有無などを確認しましたが、問題はなく、患者さんから痛みなどの訴えもないので、安静が解除される時刻を告げたのですね。そのとき、Aさんは患者さんの表情が少し気になりましたが、他の患者さんからのナースコールが鳴っていたために、そのまま病室を後にしたのでした。

 

そして、安静解除の時刻。Aさんはすぐにこの患者さんのベッドサイドに行きましたが、そこには「もうトイレに行ってもいいですか?」とAさんに問いかける患者さんがいました。Aさんは、まだ病棟が慌ただしい状態であること、自分がまだ新人であることを一瞬思案しましたが、思い切って、患者さんの状態に問題がないことを確認し、一緒にトイレに向かったのでした。結局、トイレには無事行くことができ、退院時にその患者さんは、Aさんにそのことをとても感謝したとのことです。

 

さて、私がこの事例でまずもって注目したいのは、安静解除の時刻に、まだ消灯前で、他の患者さんへの多くの対応が求められる時間帯であるにもかかわらず、Aさんがすぐにその患者さんのベッドサイドに向かったことです。それは、安静解除の時間を告げたときのその患者さんの表情が「少し気にな」っていたからでした。そのときは、他の患者さんからのナースコールが鳴っていたために、声をかけることができず、やむなく病室を後にしたのですが、患者さんの表情は、Aさんに何かを求めているように感じられたのでしょう。

 

おそらくAさんはそのとき、患者さんの表情を「何かを自分に求めている表情」としてはっきりと意識的に捉え判断していたわけではありません。むしろ、そうした意識的な把握や判断の手前で、Aさんの身体がその患者さんの身体(表情)に応答しつつ、そのような意味を帯びた表情として受け止めたといったほうが、事象そのものに忠実だと思います。

 

 

こうした身体の志向性の働きにおいては、すでにその患者さんに向かおうとする運動・行為〔例えば声をかけるという行為〕もAさんのなかで発動しかけていたはずですが、そのときは他の患者さんからのナースコールが鳴っていたために、やむなく病室を後にしたのでした。だからこそ、Aさんは安静解除の時刻に、他の患者さんへの多くの対応が求められる時間帯であったにもかかわらず、真っ先にその患者さんのベッドサイドに向かったのですね。それは、先ほどの患者さんの「何かを自分に求めている表情」への、Aさんの身体の志向性の応答する行為の発動でした。

 

それだけではありません。その患者さん(の先ほどの表情)にAさんの身体の志向性が向けられていたからこそ、安静解除の時刻にベッドサイドに行ったとき、「患者さんも待っていたよう」にAさんには受けとめられた(見てとれた)のではないでしょうか。患者さんは「もうトイレに行ってもいいですか?」とAさんに問いかけますが、Aさんはまだこのとき、患者さんが先ほどからトイレを我慢していたことを知りません。安静解除後のベッドからの離床、トイレまでの歩行は看護師が付き添い確認する必要がありますし、病棟は消灯前でまだバタバタしています。しかもAさんはまだ新人です。

 

しかし、それでもAさんが「この患者さんの離床は、しっかり対応をしなければならないような気がする」と心の中でつぶやき、「少し待ってもらうよりも、今行こう」と決意して、一緒にトイレまで連れ添うという行為を行ったのは、「この患者さんはもしかしたらトイレを我慢しているのではないか」と意識的に思考し判断する手前で、Aさんの身体の志向性がその患者さんの身体の振る舞い・表情を何か切迫した意味を帯びたものとして受け止め、それに応答したからだと、私は思います。あるいは、そうした応答としての行為を促し発動させるAさんの身体の志向性が、その患者さんの身体の振る舞い・表情を、何か切迫した意味を帯びたものとして現れさせ、見てとらせていたと言ってもよいかもしれません。

 

その患者さんの表情にはしかし、トイレを我慢していたので行きたいということだけでなく、さらに多くの思いが含まれていました。退院時にAさんに告げられた「仕事で大事な役割がたくさんあるときに、心臓の血管が詰まっているために治療すると言われ、心配していた」「今まで病気もしたことがなく、心臓の病気と聞いてとても驚き、今後どうしようかと思ってしまっていた」「体を動かせなかったため余計に心配になってしまった」という患者さんの思いは、安静解除の時刻が告げられたそのときには、まだ言葉になっていませんでしたが、それが(身体の)表情となって現われ、Aさんは自らの身体(の志向性)によってその表情の意味(方向性)を読み取り応答したのだ、と言ってもよいかもしれません。

 

これはまさに、身体同士の関わりであり交流です。こうした間身体的な交流は、事例では詳しく述べられていませんが、Aさんが患者さんと一緒にトイレに行ったときにも、患者さんの足取りを確認しつつ、患者さんの足取りに合わせてサポートしたり、痛みがないかどうかを見てとったりする際に、行われていたはずです。そうした身体の志向性による相互の交流が、患者さんの気持ちを「前向き」にし、Aさん自身も「患者さんに支えてもらった」と思えるようなケアを成り立たせたのだと、この事例を読んであらためて思いました。

 

 

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教養と看護編集部のページ日本看護協会出版会

© Japanese Nursing Association Publishing Company

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