「意識の指向性」について考える事例
(提供:西村 ユミ)
ここでは、数年前にある看護師さん(Bさんとします)が執筆した「“息”をすること」(『“生きるからだ”に向き合う―身体論的看護の試み』佐藤登美・西村ユミ編著、へるす出版、2014年)から引用しながら紹介します。
Bさんが気にかけていたのは、60歳代患者Tさんとのかかわりです。Tさんは肺がんで、肺炎を併発しておりました。入院して治療を始めたのですが、その効果なく、2カ月あまりで亡くなったといいます。
入院当初、Tさんは高熱を出しており、「息苦しさ」を訴えていました。この「息苦しさ」はナースコールで頻回(「頻繁」という言葉一般的ですが、医療現場ではしばしばこの表現が使用されます)に訴えられ、訪室すると、Tさんはぐったりしてハァハァと息をしておりました。そのためBさんは、酸素飽和度をサチュレーションモニターで測定したり、肺換気音の聴取をするなどして容態を確認しましたが、いずれも問題はありませんでした。医師は「息苦しさ」の原因を、がん性疼痛に関連した過呼吸と判断し、酸素吸入と麻薬の投与を試みましたが、Tさんからの「息苦しさ」の訴えはなくならず、頻回のナースコールも続きました。
Bさんはこの状況に困惑し、「何故、呼吸が苦しいのだろう。何が原因になっているのだろうか」と考えながらTさんにかかわり、たびたび医師にも相談しました。「検査結果では所見にない。」と言われても、実際に目の前にいるTさんは、ハァハァと息をしてぐったりしています。焦りと不安を感じつつ「どうしたらTさんを楽にすることができるのか、何か良い方法はないか」と考えあぐねたBさんが試みたのは、呼吸介助と背中をさするマッサージでした。
呼吸介助は、患者さんが息を吐くとき胸の動きに合わせてそれをサポートする方法で、マッサージでは実際に患者さんの背中に触れます。Tさんは、こうしたBさんの試みが行われても、一度も「楽になった」とは言わず、「息苦しさ」を問うと「ある」と応じてはいましたが、このケアを行った後は確かに、息がしだいに静かになっていき、ナースコールの回数も少なくなっていきました。
Bさんは次のように振り返ります。看護師や医師から酸素飽和度は正常範囲内であることを告げられるそのたびに、Tさんは自身の「息苦しい」という感覚と医学的な評価との乖離を経験していたのではないだろうか、と。Tさんに対して、医療者が測定をして判断した正常範囲内は、解剖生理学的根拠に基づくものでした。しかし、それだけでは説明できない経験のことをTさんは「息苦しい」という言葉で表現していた可能性があるのかもしれません。
「今になって考えると、Tさんの息苦しさをなくすことはできなかったと思う」と看護師Bさんは述懐します。「Tさんは入院して2ヶ月余りで亡くなった。その速さがTさんを追い詰め“息苦しい”という状況を生んだ可能性がある」と。そう考えると「息苦しい」という訴えを単純に「呼吸苦」という表現に変えることは難しいと思われます。そうではなく「その人の苦しみとして受け止めてケアをする」ことが求められているのではないか、とBさんは思い至ります。
佐藤登美・西村ユミ編著、へるす出版、2014年