1853年に建設されたラリボアジエ病院。のちにハーバート病院で採用される多くの特徴がそこに内包されている。(Hôpital Lariboisière, pavillons / CC BY-SA 4.0)
ラリボアジエ病院(The Lariboisiere Hospital)
The Lariboisiere Hospital(以降、Lariboisiereと略)は、612床でHerbertとほぼ同規模である(図2)。中央廊下にあたるのはガラス窓付きの平屋建で、中庭を取り囲んでいる。廊下屋上は病棟から容易に出られるテラスである。この着想はHerbertでも採用されている。この通路の外側に3階建ての6棟があり、各棟の間には通路に沿って食堂などが配置されている。建物高さに対する隣棟間隔はHerbertに比べて狭い。各病棟は32床の大部屋が主体で、廊下からの入口脇には師長室(Sister’s room)と家事作業室(Scullery)があることは類似しているが、病棟端部に便所と汚染リネン倉庫の一部と2床室があることは異なる。この病院でも主入口正面に管理棟があるが、回廊型通路奥の中庭型の棟には、看護師居室、手術室、男女別浴室、霊安・解剖室などがある。
ナイチンゲールはこの病院の全体配置を大変優れたものとして認めつつ、隣棟間隔が狭いことや、病棟の2床室が師長室から遠くにあり、かつ不潔区域にあること、そして暖房と換気が人工的方法(Artificial means)によることを欠点としている。しかしそれでも、LariboisiereにはHerbertで採用した多くの特徴が内包されていることに気づかざるをえない。
図2 The Lariboisiere Hospitalの見取り図
中央廊下に当たるのはガラス窓付きの平屋建で、中庭を取り囲んでいる。この通路の外側に3階建の6棟があり、各棟の間には通路に沿って食堂などが配置されている。
ヴァンサンヌ陸軍病院(The Vincennes Military Hospital)
The Vincennes Military Hospital(以降、Vincennesと略)は637床で、Herbertとほぼ同規模である(図3)。四角形の中庭の3辺に沿ってそれぞれ独立棟が配されている。正面には礼拝堂を持つ管理棟、両側には各308床、302床を擁する病棟がある。病棟は屋根裏を含めた4層で、中央の広々とした階段室によって2つの病棟に分けられている。管理棟からは病棟の中央階段室までガラス張りの通路が左右に伸びている。
ナイチンゲールはこの病院の欠点を病棟が3層重なっていることにあるとし、中央階段を挟んで2つの病棟を設けたことを利点としている。この利点は、1層当たり多くの病床数を確保できるため看護師の病棟管理が容易で、階段による上下通行の回数を減らせることだと述べている。VincennesがHerbertに与えた最大の特徴は、階段室の両側に病棟を持つ形態(Double Pavilion)であろう。
図3 The Vincennes Military Hospitalの見取り図
四角形の中庭の3辺に沿ってそれぞれ独立棟が配されている。正面には管理棟、両側には各308床、302床を擁する病棟がある。病棟は屋根裏を含めた4層で、中央の階段室によって2つの病棟に分けられている。
ナイチンゲール病院の原理
ナイチンゲールは『病院覚え書』1)の各所で、病院建築について実に細部に至るまでの指摘をしている。これらの基本原理は『病院覚え書』第3章7)に主に記述されているが、他の章での記述を参照し、また日本語翻訳8)も参考にして、建築計画学の視点から表1にまとめてみた9)。当然ながら、これらの指摘は19世紀当時の科学工学技術水準が基盤になっており、現代の水準からは稚拙で疑問視すべき項目があるが、重要なことはその解決結果よりも、それらの問題が発生した理由、あるいは解決しようとした問題設定自体である。
ただし、この原理の理解には念頭におくべき事実が少なくとも2つある。1つは、ナイチンゲールが提唱した大部屋病棟は、急性期患者を対象にした重症病棟、換言すればICU的病棟であることである。これは「内科的あるいは外科的処置が必要でなくなったら、いかなる患者も1日たりとも病棟に滞在させるべきではない」10)と述べて、回復期病院に移すことを主張していることからもわかる。ナイチンゲールは「病院の本来の機能は、できるだけ早く病人に健康を回復させるところ」11)と表現して、患者の入院期間に特別な注意を払っていた12)。わが国でも回復期リハビリテーション病院(病棟)が整備されつつあるが、急性期病棟の平均在院期間を短縮することに貢献し、患者が自主的に回復することを意識するためにも重要である。急性期病棟であることを念頭におけば、ナイチンゲール病棟の大部屋病室での看護観察の容易さやプライバシーの考え方の判断材料になる。
もう1つは、当時の医学水準である。近代西洋医学、特に外科学では麻酔、止血、無菌技術の進歩が目覚ましく、19世紀後半から長足の進歩を遂げた13)。ナイチンゲールが看護に一生を捧げる決心した頃、ボストンのマサチューセッツ総合病院の手術室では、1846年にモートン(William T.G. Morton)が全世界初のエーテル全身麻酔を成功させた。翌年にはシンプソン(James Y. Simpson)がクロロフォルムによる無痛分娩に成功する。
そして『病院覚え書』の第1版が出版される直前の1858年、ウィルヒョウ(Rudolf J. K. Virchow)が細胞病理学を確立。1860年にはゼンメルワイス(Ignaz P. Semmelweis)が手指消毒を施して産褥熱の原因を解明。1867年はリスター(Joseph Lister)が石炭酸による手術室殺菌法を発表。1976年はコッホ(Robert Koch)が炭疽菌の純粋培養に成功し、1880年にパスツール(Louis Pasteur)がワクチンを発明、そして1882年、コッホの結核菌発見などにより細菌による感染原因が究明された。これらはナイチンゲールの後半生の出来事である。
さらに、画像診断の基となったレントゲン(Willhelm Roentgen)によるX線発見は1895年、キューリー夫人(Marie Curie)のラジウム発見が1898年、ともにナイチンゲールが70歳半ばの出来事である。当時の彼女は現在なら周知のこのような医療や診療技術に関する知識を知る由もなく、病院の環境改善を提唱したのである。
コロナ禍の今だからこそ生きてくる、
ナイチンゲールの病院建築論!
クリミア戦争時、不潔極まりない野戦病院で多くの若い兵士が命を落とすところを目にしたことは、ナイチンゲールに大きな痛手を与えた。戦後、病院の環境改善が傷病者の死亡率を下げることを実証し、新しく病院を建てる際の基本原理と、患者の視点からとらえたあるべき病院建築の形態を明示したナイチンゲールは、歴史上初の「病院建築家」と言われている。ナイチンゲールが提唱した病院建築とはどのようなものだったのか──ナイチンゲール病棟が病院建築に与えた影響を考察する、看護を「越境」した独創的な「看護×建築」本!
『ナイチンゲール病棟はなぜ日本で流行らなかったのか』
(ナイチンゲール生誕200年記念出版)
長澤 泰・西村かおる・芳賀佐和子
辻野純徳・尹 世遠 著
日本看護協会出版会
四六判・148頁
定価(1,600円+税)
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