度重なる増改築により解体された建物から照明具や窓枠、ガラスなどを再利用。古きよきものに理念を重ね、今に伝えている。(写真提供:倉敷中央病院)
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ヴォーリズと大原孫三郎
大原孫三郎は、孤児を預かったことから神の啓示を受け、医書を焼き捨て無制限の孤児救済活動に入った石井十次を1899(明治32)年に知り、親交を深める。1902(明治35)年、「余がこの資産を与へられたのは、余の為にあらず、世界の為である。余は其の世界に与へられた金を以て、神の御心に拠り働くものである」と日記に記し11)、石井の事業を助け、祈れば生まれるという資金不足の穴埋めを常とした。
家族寮として家庭のように孤児を育て、満腹主義、独立のための教育などを行った岡山孤児院に対し、大原もまた紡績工場の飯場的雇用形態を改め、教育のための学校や家族的分散寄宿舎を設ける。ともにキリスト者としての想いなのか、近江療養院を建てたヴォーリズの理念、すなわち愛の奉仕と実費計算主義や、病室や食事に格差をつけず全患者平等とするなど9)、ヴォーリズと大原には共通する部分が少なくない。
「ナイチンゲール病院の原理」との対照
長澤泰による「ナイチンゲール病院の原理」12)の主要な項目について、第一および第三病舎との対照を表1に記す。両者は施設面では見劣りしない。ただ、第一および第三病舎で24床を開放できる型ガラス戸で区画したのは、ナイチンゲール病棟がICU的急性期病室であったのに対し、本院では入院は治療を必要する期間に限っており1)、男女のプライバシーを必要としたためであろう。
表1「ナイチンゲール病院の原理」と倉敷中央病院の第一および第三病舎との対照
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第一病舎の外来診療部への転用
第2代理事長の大原總一郎は、1937(昭和12)年から始まる徴兵や動員のため医師や看護婦不足が続く病院の低迷に、1962(昭和37)年、京都大学医学部教授だった青柳安誠を顧問に招き、倉敷レイヨンの鷹取保三郎を事務長に据えて再建の道を探った。翌年の病院創立40周年には「面目を一新して10年後に再会したい」と宣言する。
戦後の従業員雇用対策で、倉紡結核病棟が病院北隣に、クラレ結核病棟が第八病舎(隔離)の南に建ち、倉敷中央病院が運営を委託されていた。その後、患者の減少と公営の療養所の整備のため空床となったこれらをもらい受け、一般病床に転用増床した。さらに病棟も増築し、それに伴い診療科の増設と中央化が進められた。診療部に最も近い第一病舎も、東に診療室など2室、北に廊下を増築して整形外科と産婦人科の外来となった(図4)。
図4 外来診療部へ転用された旧第一病舎
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診療部から運動療法室への転身
「面目一新」の病院近代化は、倉紡結核病棟跡に病棟、手術部、サービス部門の第二~第七病舎とサービス部門跡に中央診療部と外来診療部の建設を終え、1981(昭和56)年にそれぞれに移転する。診察室のために設けられた間仕切りを徹去し、元の広い、天井の高い明るい空間や、転倒に優しい木軸床などを供えた第一病舎は、運動療法に最適と考えられ、運動療法室へと転身し再び生き生きとした空間を取り戻した(図5・6)。
図5 運動療法室へ転用された旧第一病舎
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図6 運動療法室に転用された旧第一病舎
運動療法室から臨床研究
センターへ
運動療法室としての役割の間、第一病舎の空間は、すでに記念館としての保存活用が決まっていた診療部門玄関や病棟部門玄関と同様、その歴史的価値が再認識されるようになった。創設100周年を視野に入れて、倉敷中央病院は最急性期医療を担う病院として、病院完結型から地域完結型を目指していくことになった。その中で、リハビリテーション医療は入院中の患者を対象とした病棟リハおよび小児など特殊な患者を対象とした外来リハへと再編成され、病棟リハは整形外科と脳神経内科・外科の病棟内に、外来リハは外来北隣に第一病舎に近い空間を増築し、移転させた。
運動療法室だった旧第一病舎を耐震補強して、院内に分散していた臨床研究センターの中枢を移転させることになった(図7・8・9)。しかし、レンガ造の基礎や、地震時に耐力をもつ壁のない空間のままでの耐震補強計画は現行法規では困難である。そこで、次の建て替え計画に含まれている診療部門玄関棟や病棟部門玄関棟の解体移転を含む保存活用に旧第一病舎も加えられることを期待して、外周のレンガ基礎の内側にコンクリート造の布基礎を新設し、既存柱の内側に構造柱を添えて筋交を設け、独立柱レンガ基礎はコンクリートで囲み、開放できた間仕切りガラス戸部分を構造用合板による耐力壁とするなど、耐震改修を施した。
図7 臨床研究センターに転用された旧第一病舎
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図8 現在の臨床研究センター(旧第一病舎)の外観
図9 現在の臨床研究センター(旧第一病舎)の外観
残念ながら、3室続きのナイチンゲール病棟的な広い空間は失われたが、漆喰を剥ぎレンガむき出しの防火壁を残した旧第一病舎入口前(図10)には、臨床研究センターのスタッフにより、残されていた創立時の設計図が飾られた。臨床研究センターは、いまや1161床となった倉敷中央病院の歴史を物語る貴重な空間となって、2023年の創立100周年を迎えようとしている。
図10 旧第一病舎時代の面影が窺える臨床研究センター入口部
※特記のない写真はすべて筆者提供。
編集部追記:倉敷中央病院は、創立当初の方針を継承し、施設全体の調和、敷地内の緑化など周辺環境との協調、利用者アメニティの充実を実感できる空間が評価され、平成28年度 第12回 倉敷市建築文化賞 最優秀賞を受賞しました。また、創設者の理想を時代にふさわしい形で提供し続け、経営者・医療者・設計者が三位一体となった施設マネジメントとサスティナブルな建築のあり方を示していることが評価され、2017年に第1回 日本医療福祉建築協会協会賞が、倉敷中央病院および設計者の辻野純徳氏に授与されました。
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● 引用・参考文献