〈インターネットの次に来るもの ── 未来を決める12の法』原題 "The Inevitable"、ケヴィン・ケリー著、服部桂訳、NHK出版、2016年

 

──この絶え間ない変化の上に、現代の破壊的進歩が成り立っている。いまに続く多様なテクノロジーの力を渡り歩いてきた私は、それらの変化を、アクセシング、トラッキング、シェアリングといった12の動詞に分類してみた。それらは正確には動詞ではなく、文法的には現在進行形という、連続した行動を表現する。(中略)12の連続した行動の一つひとつがいまのトレンドとなり、少なくとも今後30年は続いていくことを身をもって示し続けている。私はこうしたメタレベルのトレンドを「不可避」と呼ぶ。(p.12)

 

 

 

 

 

 

 

 

インターネットの次に来るもの

 

ケヴィン・ケリーが書いた<インターネット>の次に来るものは、いわゆる未来論の本ではないが、インターネットが辿ったここ数十年の歴史を振り返りながら、これから30年ほどの間に社会のネット化が何をもたらすのかを、非常にユニークな方法論を駆使して展望している。彼はネットやデジタル・メディアが持っている基本的な性質を12の言葉で表現し、それらが不可避な変化を起こすと主張する。

 

それらの言葉は各章のタイトルにもなっており、その12章を簡単に駆け足で辿るなら次のように要約できる。

 

  • ネット化したデジタル世界は名詞(結果)ではなく動詞(プロセス)として生成し…(第1章:BECOMING)
  • 世界中が利用して人工知能(AI)を強化することでそれが電気のようなサービスとしての新たな価値を生じ…(第2章:COGNIFYING)
  • 自由にコピーを繰り返して流れ…(第3章:FLOWING)
  • 本などに固定されることなく流動化して画面で読まれるようになり…(第4章:SCREENING)
  • すべての製品がサービス化してリアルタイムにアクセスされ…(第5章:ACCESSING)
  • その結果シェアされることで所有という概念が時代遅れになり…(第6章:SHARING)
  • さらにコンテンツが増えすぎてフィルターしないと見つからなくなり…(第7章:FILTERING)
  • サービス化した従来の産業やコンテンツが互いに自由にリミックスして新しい形となり(第8章:REMIXING)…
  • VRのような機能によって高いプレゼンスとインタラクションを実現して効果的に扱えるようになり…(第9章:INTERACTING)
  • そうしたすべてを追跡する機能がサービスを向上させライフログ化を促し…(第10章:TRACKING)
  • 問題を解決する以上に新たな良い疑問を生み出し…(第11章:QUESTIONING)
  • そしてついにはすべてが統合した彼がホロス(HOLOS)と呼ぶ次のデジタル環境(未来の<インターネット>)へと進化していく…(第12章:BEGINNING)

(『<インターネット>の次に来るもの』「訳者あとがき」より)

 

 

インターネットの中で起きている多くの出来事を、個別のプロダクトやサービスに注目して、数年後のアップルやグーグルの話をするのは、実用的な観点からはそれなりに意味もあるが、多くの人がツイッターやフェイスブックを日本語で使うようになってからまだ10年ほどしか経っておらず、しかもそれらは10年前にはある意味想像もできないサービスだった。そう考えるなら、これから10年、20年と時間が経過した頃には、こうしたサービスがずっと存在しているか、また現在のスマホのような端末が存在しているかどうかさえも保証の限りではない。さらに言うなら、IoTのような新しいテクノロジーで何百億という世界中のマシンや事物に接続したネットワークを、インターネットと呼んでいるかも定かではない(この本ではそれを仮にホロスと呼んでいる)。

 

現在のインターネットの姿を延長して未来を予測しようとしても、想定外の事象は必ず起こり、エジソンやノーベルのような最も優秀な人たちでさえ限界があるとするなら、もっと違う方法も考えなくてはならないだろう。第2回で紹介したように、AIを応用した囲碁や将棋のソフトは、名人たちが経験的に積み上げてきた対戦のノウハウをすべて学習したうえで、それ以外の可能性にまで踏み込んだ手を繰り出してくる。将棋ソフトで訓練を積んでいる藤井聰太四段は、定石に囚われない意外な手を繰り出して名人たちを翻弄しているという。もともと人間の思考力には限界があるが、コンピューターやAIは人間の脳を模して、疲れを知ることなく働き続け、その限界を量的に超えていく。それが、人間の扱えるデータの数倍という規模ではなく、数千万倍から兆の規模に達すれば、量が質に転嫁するような知見も得られるかもしれない。

 

 

未来とどう対するか

 

ケヴィン・ケリーは、こうしたデジタル世界の中にどっぷり浸かって心配していても、毎年のトレンドに翻弄されるだけだと考え、一歩引いて全体を見渡す視点を12の言葉で提供している。これらはデジタル世界の持っている物理法則のようなもので、基本的な性質を理解できれば、あとは個別の現場でそれをもとに判断できるはずだからだ。これは、19世紀に原子の存在が確認され人々が個々の発見に喜んでいた最中に、ロシアのメンデレーエフが周期表を提示したような科学的な発見だ。個々の原子に捕らわれることなく、それらを重さ順に並べたら、全体があるパターンを持っていることがわかり、穴の開いた部分には未知の原子があるだろうことが予測できたからだ。デジタル世界はまだ混とんとしており、迷信や神話が横行していて、科学的な見方が確立していない。

 

未来の話は尽きないが、一度原点に戻ってみる必要もあるだろう。そもそも生物は未来を向いた存在だ。エサを探すためには、まずひたすら前方に進んでいくよう本能がミミズに命じるように、生物は過去に拘泥するより、まず未来に向いて進んでいかなくては生きていけない。人間の精神疾患には過去に関する混乱などが多くあるが、未来についての疾患は認められないという。つまり脳の記憶を元にした過去は精神医学の対象となるが、まだ起きていないことについては、厳密に言えばすべてのことは妄想だ。下等動物でも人間でも、多かれ少なかれ一瞬先のことを予測して、判断しなければ生き残っていけない。こうしたオプションを持っていなくては、外部の変化に対応することはできないし、より行動半径を広げて活動しようとすれば、より多くの不測の事態に対応するために、さらなるオプションを持っていることが必要になる。人間の前頭葉は、こうした未来のオプションをより多く妄想できるよう発達したとも言われる。

 

そしてその予想の結果についても考えてみる必要がある。いくら未来学者がそうなると言っても、結果が当たるかどうかは占いの確率と大差ないとも言われる。シェイクスピアは「過去と未来は最高のものに見え、現在の事柄は最高に悪く見える」と言ったが、そうした人間の主観を超えたより客観的な見方はないのだろうか? そもそも未来というもの自体についても、アインシュタインが言うように「過去・現在・未来の区別はどんなに言い張っても、それは単なる幻想である」ということなのかもしれない。それに未来予測は、概念的な矛盾も含んでいる。すべての条件を整えて予測すれば未来の出来事を天体の動きのように正確に予測できるようになったとしたら、もう未来というものや、生きていくことにさえ意味が見いだせなくなるかもしれない。

 

地中海に飛び立ち行方不明になったサン=テグジュペリは「未来とは、あなたが予知しようとするものではなく、自分で可能にするものだ」と言い、「ONE PIECE」に引用されて有名になった物理学者ウィリー・ガロンは「人が空想できる全ての出来事は起こりうる現実である」とも言った。2005年のスタンフォード大学の卒業式でスピーチをしたスティーブ・ジョブズは、アップルを立ち上げた経験を「未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければならない」と卒業生にエールを送った。

 

つまり、未来予測という人類の普遍的なゲームには決定的な回答はなく、人々は自分の将来を判断するオプションをより広く多く手に入れるべく、テクノロジーという手段を使ってあたふたしているだけなのかもしれない。その姿をより冷静に理解して、楽しむ者だけに未来は微笑んでくれる。そう思いたい。

 

 

「未来を予測する最善の方法は自らそれを創りだすことである」

── アラン・ケイ

 

 

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服部氏が発起人の一人として携る「未来・予測・創造・プロジェクト:ホロス2050」では『<インターネット>の次に来るもの』の各章をテーマにした「未来会議」を定期的に実施。詳細はこちらを参照。

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